逢ひ見ての後の心にくらぶれば 昔は物を思はざりけり
インターネットなどで、顔の見えない出会いが増えています。
そんな相手に助けてやると言われて、心待ちにしていた出会いの結果は……思ってたのと違うことって、ありますよね。
これでも、助けの手には違いないのですが。
「君を、助けに来たよ!」
玄関のドアを開けて、私は救世主を見ていた。
私は、ずっとこの人を待っていた。終わりの見えない恐怖の中で、この人を心の支えに生きてきた。
だから今この人がこうしてここまで来てくれる瞬間を、心から待ち望んでいたはずなのに。
あんなに、会いたいと思っていたのに……。
あなたの事を思って、夜も眠れなくなるくらい恋していたはずなのに……。
どうしよう、イメージと違う。
確かに私は、今までこの人の外見も声も知らなかった。
知り合ったのは、インターネットのSNS。
何だか面白い人がいたからフォローしておいたら、向こうからもメッセージが来ていつの間にかメル友になっていた。
語り口は軽快で、いろいろ物知りで、おしゃべりしていて飽きない人。
その頃はまだ恋などしていなかったけど、どんな人だろうとは思っていた。だってこの人は、SNSにもメールにも自分の写真は一切上げていなかったから。
そんなこの人が救世主になったのは、一週間くらい前。
その前後二、三日くらいで、私の周り……いえ、世界は一変した。
気が付けば、街を歩いているのは人間ではない何かになっていた。体が腐って目も真っ白に濁った死体が、普通に街を歩き回るようになっていた。
しかもそいつに噛まれると、噛まれた人も何かに感染して同じような死体になって……あっという間に、周りから正常な人間がいなくなった。
家族は帰ってこないし一人ぼっちで心細くて、それでも死体が怖いから外に出て助けを求めることもできなかった。
外を見ても、通りがかるのは死体ばかり。
警察も消防も機能しなくなって、私を助けに来てくれそうな人が誰もいない。
家は戸締りをしているけれど、いつドアや窓が破られるか気が気じゃない。それに、ここから動かなければどうやって食料を手に入れるのか。
そんな状況の時だった、この人がメールでこう言ってくれたのは。
<希望を失わないで、僕が君を助けに行くから!>
絶望の中に垂らされた、たった一筋の光だった。
この瞬間、この人は私の救世主になった。
メールで住所を教え、私はひたすらこの人を待った。
幸いこの人が住んでいる場所は私の街の近くだったので、時間はかかるが行けるだろうと答えてくれた。
以前、この人に直接会おうと言われたのに断ってしまったことを後悔した。あの時会ってリアルでも友達になっておけば、もっと早く助けてもらえたかもしれないと。
こんな状況でも助けに来てくれるくらい、いい人だったのにと。
待っている間、私は気がはやって仕方がなかった。
私の頭の中には、未だ見たことがない救世主への妄想であふれていた。助けに来てくれるのは、力の強いスポーツマンだろうか。それとも、意外とひ弱で純情そうな年下だろうか。
迎えに来た時のためにきれいにしておかなくちゃと焦って、待ち遠しいはずなのに時間が足りないような気がして。
気に入ってもらえなかったらどうしようと何度も不安になって、出会いの時を何度もシミュレートして、そんな空想に涙さえにじませて……。
頭の中がこの人でいっぱいで、はち切れそうだった。
外で死体の呻き声が聞こえても、この人の事を考えるだけで心が鋼のように強くなった。
この人が私のところに辿り着く日が、私の人生で一番いい日になるように思えた。
数時間ごとに届くメールに心躍らせ、長いこと着信がないと心配で心臓が止まりそうになって、私の家が見えたと知らせてくれた時には天にも昇る気持ちで……。
こんなにも、顔を見たくて手を取りたくて……。
自分でもおかしいと思うくらい、恋に浮かれていたのに……。
「さ、さあ!ぼ、僕と一緒に行こう!」
今、目の前にいるのは、私の想像とかけ離れた男。
べっとりと血が付いたジャンパーの下はチェックのネルシャツ、その上からでも明らかに太っているのが分かる。髪はボサボサで何だか臭いし、顔は脂ぎってにきびだらけだ。おまけにぶ厚い眼鏡をかけて、何のつもりなのか「必勝」と書いたはちまきまでしている。
荷物の細かいところやシャツのピンバッヂに目をやれば、何人ものアニメの美少女と目が合った。
ヤバい、この人……完全にオタクだ!
オタクは、血走った目と荒い鼻息で私の方にのめり込んでくる。
「だ、大丈夫だよぉ……ぼ、僕が守って、いつも一緒にいてあげるから!
さあ、早いとこ旅立とうか……僕たちのユートピアに!そ、それとも……こ、この……君の家で、ちょーっとゆっくりしていっていいかい?」
どもった言葉に煮詰まりすぎた欲望を感じるのは、気のせいだろうか。
この外見で、こんな気持ち悪い笑顔で言われても全然救われた気にならない。むしろそこまでして私を手に入れたかったのかと思うと、背中に鳥肌が立つ。
少し開けたドアから見えるオタクの向こうには、何体かの死体が倒れ伏していた。
ああ、こんな奴でも腕は確かなんだ。
血で汚れているのは死体と戦ったってことだし、臭いのもこんな状況で風呂に入れるかを考えたら当然かもしれない。
それに、あの恐ろしい死体と戦ってまで私のところに来るなんて、本当に私のためならすごい力と勇気が出るってことなんだ……。
でも……どうしてだろう。その力と勇気が、とてつもなく恐ろしい。
もしこのオタクについて行ったら、私は何をされても逃げられないんじゃないか。
このオタクは私を連れて行って、自分の理想の嫁にする気じゃないだろうか。
だって、SNSではあんなに爽やかなキャラだったのに、きっとアレだって女の子を引き付けるための計算の結果だとしたら……こいつの女への執着って、どれだけ……!
私は馬鹿だ。自分ではあんなに考えていたつもりでも、何も考えていなかった。
王子様みたいな素敵な人が来ることばかり考えて、そうじゃない危険なパターンだった場合のことを全然考えていなかった。
私は、恥ずかしがるフリをして立ち尽くすしかできなかった。
これからどうなるのか、どうすればいいのか、考える事がありすぎて頭がパンクしそうだ。
この男について行けば、確かに死体からは守ってもらえるかもしれない。でもその代わりに、私は人形のようにされるかもしれない。
今ならまだこのドアを閉じれば逃げられるかもしれない。でも、そうしたらもう二度と助けは来ないかもしれない。
こんな難しい判断を、これっぽっちの時間でしろっていうの!?
頭がショートして、体は動かなくて……私は、男の力で徐々に開いていくドアを見ていることしかできなかった。




