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ゾンビ百人一首  作者: 青蓮
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明けぬれば暮るるものとは知りながら なほ恨めしき朝ぼらけかな

 惰性で過ごせる時間を無理やりにでも作ろうとする、夜更かしのお話し。

 生活に余裕がないほどストレスを緩和する時間が欲しくなりますが、そのために睡眠を削ったりするともっとイライラして悪循環に……。


 自分も育児で自由時間がだいぶ減りましたが、そうならないよう気を付けています。

 一人で過ごす、ぜいたくな時間が好きだった。

 自分の欲望と惰性の赴くままに時間を使える、それが至福だった。

 だからあたしは一人で生きる事を選んだし、仕事もフレックスで彼氏を作る気もなかった。全ての時間を、あたしの好きにしたかったから。


 たっぷり時間をかけて迷いながら紅茶を選び、手間をかけて美味しく淹れる。

 それを手元に置いて何となく本を読んだりテレビを見たり、くだらない事を延々と考えながらぼーっとしていたり。

 このゆったり流れる時間が、あたしの宝物だった。

 昼も夜も好きな時にこんな時間を持てる、それが何より幸せだった。

 この生活を手放すなんて、考えられなかった。


 でもある日、いつものようにくつろいでいたら救急車のサイレンが聞こえて……。

 家のすぐ側で事故を起こして、すごい音がして……。

 一人の時間を邪魔されて腹が立ったし、でも時間は余ってるから、どうせなら現場を見てやろうと思って……。

 外に出たら、救急車の後部から這い出してきた血まみれの男と目が合った。

 今まで見たこともない、赤みがすべて抜けた肌と白い目だった。


 あの日、あたしは時間の自由を奪われた。

 そして今に至るまで、取り戻せていない。


 ……皆が寝静まる夜更け、窓からの光がわずかに青く部屋を照らす。

 部屋に中には、かろうじて通路があるくらいの密度で敷かれた布団。その上に製材所の丸太みたいに横たわる、人間。

 寝返りもままならないような雑魚寝で、十重二十重に重なった寝息はもはや奇妙な音楽の域に達している。

 その狭苦しく余裕のない部屋から、あたしは一人抜け出す。


 目指すのは、物置になっている少し離れた部屋。

 折り畳み机とパイプいすが大部分を占めているけど、人間が詰まっているよりはマシ。

 整然と並んだ机の一つを引っ張り出して広げ、パイプいすを持って来れば、即席のくつろぎスペースの完成だ。


 それから、机の下に隠してあった懐中電灯を点ける。

 この時光の向きに気を付けないと、窓から光が漏れて気づかれてしまうから注意。

 光はあくまで、あたしが読む雑誌やまんがだけを照らすようにしないと。くつろぎ時間のための光がくつろぎ時間を奪われる元になりかねない。

 これ以上あたしの時間は奪わせない……生きてる奴にも、死んでる奴にも。

 ただでさえ、あたしの自由な時間は夜にしかなくなってしまったんだから。


 あの日救急車から這い出してきたものは、死んでも動く化け物だった。

 そいつは周りに人間に噛みついて仲間を増やし、あっという間に日常を崩壊させた。

 あたしはくつろぐ暇もなく逃げ回るはめになって……どうにか、死ぬ前に保護されてこの避難所に連れてこられた。


 命は助かった、でも待っていたのは地獄のような日々だった。

 一人でぜいたくに使える時間が、ない。

 避難所はそれなりの大きさの学校だったけど、まず避難している人の数が半端じゃない。一つの教室に何十人も詰め込まれて、プライバシーのかけらもない。

 おまけに生活を維持するために、やる事が次から次へと湧いてくる。小学校の時間割よろしく仕事の時間割ができて、日中はくつろげる時間などない。

 なけなしの自由時間も、周りがウザくて一人でくつろぐ事などできない。


 そんなあたしが唯一自分の時間を取り戻せるのは、夜だ。

 日中頑張って働いた皆は、夜は早々と寝てしまう。

 まあ、暗い中で明りを点けていると周りを徘徊する化け物を引き寄せてしまうから、夜は明かりをつけられなくて作業ができないのが原因なんだけど。

 おかげで、夜だけは誰にも邪魔されずに一人の時間に浸っていられる。


 静寂の中、懐中電灯の光で雑誌を読む。

 だいぶ前に拾ってきた、若者向けのファッション雑誌。生活の役に立たない虚飾とどうでもいい話が詰まった、ぐだぐだ流れる時間が形をなしたようなもの。

 何度も読み返してくたくたになったページを、隅から隅まで目でなぞる。

 もう内容の大部分は古き良き時代の遺物になっているけど、それでもいい。あたしは、その古き良き時代と同じ時間に浸っていたいのだから。


 あくびをし、眠気を噛み殺しながら雑誌やまんがを読む。

 それでも耳はちゃんとそばだてておいて、足音が聞こえたらすぐ電灯を消して息を潜める。

 見張りの人に見つかったら、多分もうこの時間は戻って来ない。

 懐中電灯は本来全員で管理すべき物資だから、勝手に持っているのがバレたらほぼ確実に取り上げられる。そして、電池を無駄に消費しないように、こんな事には使えなくなる。

 それに、雑魚寝の部屋に連れ戻されてしまう。夜眠らないと日中の作業能率が落ちるから、見張り以外の夜更かしはご法度なんだって。


 ……どうして、ここまでして自由な時間にこだわるのかと、自分でも時々考える。

 本当は、決められた規律に従ってしまった方楽なんじゃないかと。

 でも、これは多分、意地のようなもの。

 あたしは、自分の人生を自分の思うとおりに生きたかった。自分の惰性と欲のままに過ごせる時間は、あたしに自由を実感させてくれた。

 こんな世の中になっても、あたしはその生き方を失いたくなくて。

 それを失ったら、あたしはあたしのものじゃなくなる気がして……。


 気が付けば、窓から差し込む光は白く強くなっていた。

 いけない、もう夜が明けてしまう。

 日が昇って起床時間になれば、あたしの本当の自由時間は終わりだ。

 決められた時間に決められた仕事をやらなければいけない、他人が決めた時間に追いかけまわされる慌ただしい時間が始まる。


 ああ、憂鬱だ。

 これからまた眠くて動きたくない体に鞭打って働かなきゃいけないのか。この太陽が再び地平線の下に沈むまで……長い拷問だ。

 まあでも、朝が来れば夜が来る。頑張って夜まで耐えれば、またくつろぎ時間がやってくるのは分かっている。

 分かってるけど……キツい。このストレスは本当、くつろぎ時間がないとやってられないわ。


 あるいは、ここから抜けて一人で生きていく道もあるかもしれない。

 でも、外にいる化け物共はいつでも24時間対応で獲物を求め続けている。それから身を守るためにはこちらも24時間警戒しないといけなくて、くつろぎ時間どころではない。

 まだ、寝静まる時間がある人間の方がましだ。

 いっそ朝も夜もなければ仕事を好きな時間にずらせるのにとも思ったけど、それであたしを見張る目や雑音が常に稼働していたら意味がない。


 目の奥に突き刺さる目覚まし時計のベルのような煩わしい光に、たまらず目を細めながら、あたしは皆のところに戻っていく。

 周りから聞こえてくる生活音が、あたしにも早く働けと言っている。

 人間の中に居たいなら、他の人間に合わせて生活しろと。

 そうだ、人間だからこそ朝になったら起きて、働いて疲れるからこそ夜になったら眠るのだ。疲れも眠りもない化け物に、朝と夜の区別はない。


 悔しいけど、あたしは人間でいたいから、朝を甘んじて受け入れるしかない。

 拒んでここから追い出されたら、あたしはあっという間に死んで、朝も夜もあたしの意志ではない何かに体を動かされるはめになるだろう。

 そんなのは、まっぴらごめんだ。


 朝の光が言う事は、正しい。

 正しいけど……だからこそ気に食わない。

 だけど正しい事には従うしかなくて……少しでも早く優しい夜が来てくれるように祈りながら、あたしは眠気と心の中の苦虫を一緒に噛み潰した。

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