八重むぐらしげれる宿のさびしきに 人こそ見えね秋は来にけり
秋シリーズ第5弾、秋は似たような寂しい歌が多いのでネタがかぶらないようにするのが大変です。
忘れたころのネタかぶり防止にはちょうどいいですが。
ゾンビの世界でのお約束、本当に恐ろしいのはゾンビではなく……それらを近づけないためには、草刈りとかしちゃいけません。
荒れ果てた、館があった。
門は片方が外れて垂れ下がり、庭には草がところ狭しと生い茂っている。
およそ人が住んでいるとは思えない、うち捨てられたと思しき家……そこに私は住んでいる。
爽やかな風に誘われて、久しぶりに庭に出てみた。
大小さまざまな草が、足にまとわりつく。歩くたびに小さな穂が揺れて、種がぽろぽろと零れ落ちる。
この分では、来年は今年よりずっと多くの草が生えるだろう。
今年の春から手入れを止めただけで、この惨状だ。今年の草たちがこぼした種が来年どっと芽吹いたら、この庭はちょっとしたジャングルになるんじゃないだろうか。
だが、それが自然の摂理なのだろう。
人間が草を取ってきれいにしておくことが、そもそも自然に反しているのだから。
この館は、初夏から手を加えずに自然のままにしてある。
おかげで、かつて美しく整えられていた庭は足の踏み場もないほどの雑草に覆われている。
季節ごとに美しい花を植え替えていた花壇では、鋭いイネ科の草から高く抜きんでたセイカタアワダチソウが黄色くふさふさとした花をつけている。
植木鉢に植わっていたハーブたちはいつの間にか地面に根を下ろし、本来の野草の生命力を露わにして驚くほど大きく成長した。
何も植えていなかった場所に雑多な草が茂り、白いベンチは草に埋もれかけている。
生活感のない、荒れ放題の庭。
雨戸が閉まって掃除もしていない家と相まって、捨てられて久しい家に見える。
こんな有様では、ここに立ち寄ろうとする者などいない。
だが、これでいい。
こうして人を遠ざける事で、私は命を長らえているのだから。
今の世の中、下手に生活感を出すことは命取りだ。
一人でずっと過ごす間に、窓の外に人影を見出すことは時折あった。
しかし、私はそれらに声をかけたことはない。ただひたすら光と音が漏れないように身を潜めて、それがどこかへ行ってしまうのを待つ。
外にいる人影が、生きた人間かどうか分からなくても関係ない。
そいつが生きていようがいまいが、私にとって危険なのは変わらないのだから。
たとえそいつが内臓を垂らしていなくて、黒い瞳でしっかりとこちらを見据え、聞き取れる言葉で話しかけてきたとしても……私が応えることはない。
本当に恐ろしいのは、ゾンビか……それとも人間か。
この問いの答えは、問いが発せられた時点で既に決まっているのだと思う。
この世に生ける屍……ゾンビがはびこっても、私が真に恐れるのはそいつらではない。
確かに窓の多くを雨戸で覆ってあるのはゾンビに気づかれないためでもあるが、それだけではない。
むしろ私のこの館は、ゾンビへの防御は薄い方だろう。壊れた門は直してもいないし、周囲にバリケードを築いている訳でもない。
そうする余裕はあるけれど、私はあえてそうしなかった。
だってそうして目に見える防御をすると、別のものを引き寄せるから。
この辺りは田舎の別荘地で、幸いゾンビは少ない。
来たとしてもほとんどは一体で、私でも不意を突かれなければ戦って倒すことができる。数か少なければ、扉や雨戸を簡単に破られることはない。
むしろ警戒すべきは、道具を使ってそれらを突破する知能を持つ敵だ。
不幸にして、この辺りにはそちらの敵が多い。
ゾンビが少ないということは、人間が生き残りやすいという事である。
しかもこの辺りは別荘地であり、食糧を自給できる地元民は少ない。互いを守り合って団結できる親しいご近所さんなど、いる訳がない。
いるのは、もっと下品で危険かつ凶暴な者たちだ。
盗賊、略奪者……彼らは自分が生きるために、他人を手にかけることをためらわない。
いや、ためらう者は生きていけなかったというべきか。
この辺りをうろつく凶悪な略奪者たちは、元は都会からの避難民だ。
爆発的に増殖するゾンビから逃れて、ここに流れて来た。しかし、彼らに田舎で自活する知恵や技術はない。
リゾートのイメージだけに引かれて別荘地に引き寄せられる時点で、考えの浅さが分かるというものだ。
彼らは食糧や日用品を、他者から奪うしかなかった。女が欲しくても与えられるものがないから、暴力を振るって犯すしかなかった。生きるために目の前だけを見つめて、手段を選ばずに行動し続けた避難民のなれ果て……それが最大の脅威だ。
私が一人で生き残れたのは、ひとえに人を避けてきたからだ。
ゾンビが発生してから数週間、私は怖くて家から出られなかった。食料は豊富に備蓄してあったし、館の中にも井戸はあるから、それで生きていけた。
あの頃は生きようと目を血走らせた避難民がそこかしこにいたから、おそらく外に出て見つかっていたら無事では済まなかっただろう。
館が他の建物から遠く離れていたことも、幸いだった。
騒乱がある程度治まってから、様子を見ようと外に出かけてみたが……そこで見た光景は忘れられない。
明らかに人間に殺された死体が散乱する、キャンプ場。
道具を使ってバリケードを壊され、押し入られた家屋や商店。
どこも激しく争った形跡があり、食糧が根こそぎ奪われていた。
別の庭付きの別荘など、まだあまり伸びていなかったであろう芋のツルまで引き抜かれて……庭で野菜を育てていたがために、生存者がいると気付かれたのだろう。
中には、引き裂かれた女ものの衣類と、ゾンビ化せずに腐り果てた死体が転がっていた。
その時、私は気づいた。
生きたければ、人間に見つかってはならないと。
あれから私は、この館を手入れせずに荒れるに任せてある。
外をこぎれいに掃除するとか庭で食糧を育てるとか、やることは可能だけどやろうと思った事はない。
わざわざ労力を割いて、それが原因で殺されたらただの馬鹿だ。
だから私の庭は、秋の草がたわわに実をつけた草地になっている。
敷地の外から塀を越えて伸びてきた葛のツルは、花が散って豆の鞘をふくらませている。
ススキの仲間と思しき穂が、何種類も混じり合って、高さも形もそれぞれの個性を主張しながら風に揺られている。
元から植わっていたムラサキシキブの実と後から生えた野生のハギの花が、紫を競い合っている。
地面には数えきれないほどの種が落ちて……外から私のズボンにくっついてきた種もあるので、来年はもっとにぎやかになるだろう。
こんなにたくさんの草が身を寄せ合っているのに……こんなにたくさんの命が共に生きてそれぞれ主張し合っているのに……。
そこに、私の気配はない。
この庭を見るたびに、やりきれない気持ちになる。
この草たちはこんなにもにぎやかに暮らしているのに、私がそれを求める事は許されないのかと。
幾重にも茂ってこの庭を支配した草たちの中で、私だけが仲間外れにされているようで。
いくらでも仲間を増やせる草たちが、うらやましく思えて。
必死で押さえつけていた寂しい気持ちが、あふれてしまう……。
私だって、共に生きられる仲間が欲しい。
ここにいるって気づいて、手を差し伸べてもらいたい。
馬鹿ね、そうしてくれるかもしれない人の目まで避ける選択をしたのは私なのに。
略奪者には見つかりたくないけど、優しい人には見つけてもらいたい……そんな都合のいい芸当ができるなら、とっくにやっている。
見つけてとサインを出すのは簡単でも、やってくる人間を選ぶことはできないのだ。
サインを出すか出さないか、私が選べるのはそれだけだ。
そして私は、出さない方を選んだ。
今まで私は、ずっとそうして生き抜いてきたのに……ここ最近、急に物悲しくなるのはなぜだろう。
草を撫でて吹き抜けていく、涼しい風のせいだろうか。
朝夕のぐっと涼しくなった風は、吹かれているとつい体が震えて、誰かのぬくもりが恋しくなる。私と身を寄せ合って温めてくれる人を、欲してしまう。
夏の間は触れたいとも思わなかった他人の肌を、切に求めてしまう。
冷たいのは、風だけではない。
今はこんなに茂っている雑草たちも、秋が深まって冬が来れば枯れて眠りについてしまう。
そうしたら、私は本当に一人だ。
待ってと言っても、草たちは私の気持ちなど考えてくれない。どんなに一緒にいたいと願っても、冷たく断って枯れていく。
秋は私の周りから、人でない同居人すらも奪っていくのだ。
これから訪れる冬を、私は一人ぼっちで生きていけるだろうか。
花や実をあふれんばかりにつけて、後は枯れるだけの草たちを見ていると、心が揺らぐ。
でも、私はきっとこれからも、庭の草を刈ることはないのだろう。
人が来なければ、私は少なくとも人の尊厳を保ったまま死ねる。その死因がゾンビであれ、飢えであれ……。心無い人に見つかれば、それすら許されぬかもしれないのだ。
せめて私もおまえたちと同じ、私らしい生を……私は足にまとわりつく草を、そっと撫でた。




