吹くからに秋の草木のしおるれば むべ山風をあらしといふらむ
秋シリーズ第4弾、枯れていく山の恵みです。
吹き下ろす冷たい風に、生活の場を押し下げられていく危機感。
ゾンビは人口の多い土地、低い土地ほど多いですよね。
テントから出た途端、思わず顔を伏せた。
芯まで冷えるような重い風が、山肌から吹き下ろしてくる。
その風に翻弄されるように、落ち葉と砂ぼこりが舞った。
(さすがに、そろそろ限界か……?)
俺はジャケットの襟を掴んで寄せながら、周りの森を見回す。
木はたくさん立ち並んでいるのに、空への視界を遮るものは細い網目のような枝ばかりだ。少し前まで頭上を覆っていた林冠の葉は、すっかり落ちてなくなってしまった。
鮮やかな命の色もしなやかな潤いも失って、軽い抜け殻となって飛び去っていく。
重く吹き下ろす風に乗って、さらに低いところへ。
フードをかぶって強風に耐えながら、俺はテントの解体を始める。
ここの葉が全て散ってしまったなら、ここから日帰りで行ける範囲が同じように枯れ果てるのも時間の問題だろう。
草木は枯れ、実は腐り葉は散り果て、それを糧とする動物や魚たちは眠りにつく。
つまり、自分がそれを糧として生きることができなくなる。
ならばもう、ここに居続けることはできない。生きたければ、まだ糧とできる命がある土地へ……もっと低いところへ移らなければ。
風に背中を押されるように、重い荷物を背負って山を下る。
途中、風が唸るたびに、巻き上げられた落ち葉が俺を追い抜いて下っていく。
茶色く枯れた葉が吸い込まれていくのは、燃えるような紅葉を見せる低いところの森。
まるで彼ら自身が死神の先触れになったように、死骸となった自らを仲間に晒しに行く。この風に吹かれれば、おまえたちもすぐこうなるのだと。
自分たちを殺した風に乗って狂ったように舞い踊る様は、死を運んで仲間を増やすことを喜んでいるような錯覚を起こさせた。
死を運んで仲間を増やす……そう考えると、嫌でも思い出してしまう。
これから戻る低い場所をうろついている、人間の亡骸どもの事を。
思えば、人間にとっての死の風は低い土地から吹き荒れた。
冷たい山の風が木々を枯らすように、いとも簡単に人々の命を吹き散らしてしまったあの恐ろしい病は、低い平野にある大都市で猛威を振るい、それから田舎へと広がった。
海に近い人口の多い地域から、人の少ない山間部へ……。
逃げようとする人々は、人のあまり住まない田舎、さらに山中へと追い立てられた。
俺も、その一人だ。
普段は人のいない標高の高い山にテントを張り、俺は今まで生きてきた。
夏の光を受けて育ったみずみずしい野草を採り、罠や釣りで動物と魚を捕えて糧とした。もう少し季節が進んで涼しくなると、天然の果実が熟した。
しかし、それらはもうここでは手に入らない。
山の上から吹き下ろす冷酷な風が、すべてを枯らしてしまったから。
枯れ葉とともに山を下りながら、俺は陰鬱な思いに囚われる。
この無情な風とその手先となった枯れ葉とともに山を下れば、そこは既に人にとって死の世界だ。
死の病の元によって動かされ、他者に死を広げるために狂ったようにうろついている、あの亡骸どもの縄張りに入る。
亡骸どもはまだ生きている人間を見かけると、喜んで病を移しに来る。避けそこねてその歯を身に受ければ、遠からず自らも死神の手先に変わる。
ああ、今眼下に広がる森の木々も、あの時の俺たちと同じ思いをしているのだろうか。
かつては仲間であったものが、死の風にやられて命を落とし、生前の姿を半端にとどめたおぞましい格好で迫ってくるあの恐怖。
水分を失って乾いた肌と、肉が抉れた傷、露出した骨や内臓。
固く薄く乾き、葉肉がところどころ落ちて葉脈を露出させた落ち葉。
どことなく似ていると思うのは、気のせいだろうか。
だが、草木にはまだ希望がある。
いくら山の風が冷たくても、それが十分に届かない地方はあって、そこにはまだ緑の葉やまるまると汁を蓄えた果実がある。
やがて風向きが変わって温かい南風が吹けば、山肌を駆け上がる春と共に、木々は再び芽吹くだろう。
しかし、人間はどうだ。
俺は低い土地で吹き荒れる死の風を逃れてここに来た。
俺は今山を下っているが、それは死の風が治まったからじゃない。山の秋風に生きる場所を追われたからだ。
俺がこれから戻る土地には、今なお死を運ぶ亡骸がうろついている。
俺は自分の命をつなぐ糧を奪われたがゆえに、まだ糧の残っている死人の世界に下りていかなければならないのだ。
ああ、秋風は残酷だ。
山の恵みを枯らし、生きようとする者を下へ下へと押し下げていく。
生活の場を奪い、厳しい環境へと追い込んでいく。
俺が夏の間に整えた生活環境も、仕掛けた罠も、もう何の用もなさない。そこで生きるために積み上げてきたもの、そして未来への希望をごっそり吹き飛ばされてしまった。
そう言えば、俺を山へ追い出した死の病もそうだったな。
人々の命を奪い、人が築いてきた生活のシステムを崩壊させていった。
死をまき散らす亡骸のせいで、住み慣れた生活の場では生きていけなくなった。
これまで長い間かけて作り上げた生活空間も、懸命に働いて得た財産も、もう何の意味も持たない。人間関係も社会での地位も、全てはがれてしまった。
狂乱が去った後の街には、嵐が去った後のように何もなかった。
何もかもが壊れた街で、自分の身を守ってくれる身ぐるみを全てはがれて、そこではもう生きていけなかった。
抗いようのない圧倒的な力で、訪れた地に築かれたものを理不尽に壊していく……あの死の風は、まさしく嵐と呼ぶにふさわしかった。
そう考えると、今山から吹き下ろすこの風もまさにそうだ。
山の草木を枯らしていくこの風は、そこで暮らす俺のことなんか考えちゃいない。
ただ身勝手に命を奪って、土地を不毛に作り変えるだけだ。
理不尽な災いの風……それが嵐だ。
この嵐という言葉は、まさしく山の風という文字で表される。
そうとも、今俺を追い立てているこの冷たい風こそが、本来の嵐ではないか。
昔から、冷たくなっていく秋の風は多くの命を奪っていった。自然の恵みに依存していた昔の人々にとって、この不毛の風は自分たちへの生活への荒らしであったのだろう。
だから、山の風にあらしと名付けたのだ。
そして、山の風があまり届かない低地に文明を発展させてきた。
……困ったな、今はその低地で死の風が吹き荒れているんだぞ。
山の風と死の風、二つの嵐に挟まれた俺の命はどうなってしまうのだろう。
重い足を一歩一歩下へと進める俺を、乾いて死んだ葉がくるくる回りながら追い抜いていく。
それは、先に行くよとでも言うように俺の頬を撫でて、山のふもとに消えていった。




