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ゾンビ百人一首  作者: 青蓮
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さびしさに宿を立ち出でてながむれば いづこも同じ秋の夕暮れ

 秋シリーズ第3弾、どこへ行っても変わらない寂しさです。


 孫を自慢しに行ったらひ孫自慢で返されたのは、旦那の父親がうちの娘を自慢しに近所を歩いて実際にあった話です。

 田舎には子孫の帰省を楽しみにする老人が多いもの。その子孫たちが失われてしまったら……。

 ぱちぱちと、いろりの火が音を立てる。

 外から吹き込んでくる風が、木造の戸をがたがたと鳴らす。

 聞こえてくるのは、無機質な音ばかりだ。


 老人は、一言もしゃべることなくいろりの側に座っていた。

 目の前のやかんはまだ火にかけたばかりで、湯が沸くにはだいぶ時間がかかる。それまでは、何もやる事がない。

 だだっ広い家の中にたった一人で、老人は身を縮めていた。

 じっとしていると、冷たくなってきた風が徐々に体に染みこんでくる。

 以前なら気にならなかった隙間風が、今はひどく冷たい。


 老人の手元には、一つのスマートフォンがあった。

 電源は入っているが、これが老人の心を温める事はもうない。

 待ち受けには、老人と若夫婦、そして小さな子供が何人か映っている。この老人が生きる目的といた、子や孫たちだ。

 夏休みには、今年もここに来て楽しい数日間を過ごした。

 その時にこのスマフォを買いに行き、悪戦苦闘しながら使い方を覚えた。これからは子や孫たちと、もっと手軽に連絡を取り合えるようにと。

 だが、相手がいなくなれば、もう何の意味もない。


 最初にあのメールが届いた時は、あんなに心躍ったのに。

『何だか、暴動で学校が休みなんだって。

 人の多いところは危ないらしいから、おばあちゃんの家に行こうかってパパが言ってた。また畑で何か取れるかなあ?』

 暴動とは物騒な事だと思いながらも、内心嬉しかった。

 夏休みが終わって孫たちが帰ってしまってから、口には出さないが寂しくてたまらなかった。社会に何が起こっているかよりも、孫たちが来る方が大事だった。


 それが、とてつもなく理不尽で残酷な事件の始まりだったと気付いたのは、後の事。

 暴動のニュースは伝染病のニュースに変わり、やがて各地の都市が壊滅したという悲惨な状況が伝えられた。

 テレビに映るのは、死んでもおかしくない怪我をしながら人に襲い掛かって食いつく恐ろしい暴徒の群れ。都会のビル街でも、住宅街でも、都市から脱出する高速道路でも。

『暴徒が事故を起こしたみたいで、車が動かない。

 渋滞を抜けて着く時間の目処が立ったら、また連絡する』

 このメールを最後に、息子たち家族からの連絡は途絶えた。


 あれから、もう何週間経っただろうか。

 老人は何度もメールを送ってみたが、もちろん返事は来ない。電話をかけてみても、相手の電源が切れていると無情なメッセージが流れるばかりだ。

 テレビももう全ての局が砂嵐になってしまって、何の情報もくれないし慰みにもならない。

 冷たくつれない日々が過ぎるのに比例して、吹き込んでくる風も冷たくなっていく。


 連絡がつかなくなって日が浅いうちは、いつ家族が来てもいいようにと準備に余念がなかった。

 だが、今はもうやるべき事は一通りやり尽くしてしまった。

 それに何より、冷えていく心が……動揺が去って冷静になっていく心が、これまでは直視を避けてきた現実を受け止め始めている。

 息子や孫たちはもう、二度とここに来ないのではないか。

 逃げ場の乏しい高速道路で進むことも退くこともできず、道路を走って迫る暴徒に……。


 老人は、一つ大きなくしゃみをして身震いした。

 家が、広い。時が過ぎるのが、遅い。

 布団は家族の分も用意してあるのに、それを敷く日は待っても待っても訪れない。食器も揃えたし、米も芋も果物も今が取り入れ時とばかりに実っているのに、料理をふるまう相手がいない。

 やる事が、何もない。心を温めてくれるものが、何もない。


 暇が、深海の水のように周囲を満たしている。

 自分がこの世界に一人ぼっちになってしまったようで、どんどん体が冷えていく。

 このまま一人きりでいたら、凍り付いてしまいそうで……。


 いたたまれずに、老人は家の外に飛び出した。

 家の中に一人でいると、来ない家族の事ばかり考えてしまう。寂しさに潰されて、生きる事を忘れてしまう。

 そうなる前に、誰か他の人と話さなければ。

 自分は一人ではない、村には付き合いの長い隣人がたくさんいるのだ。その人たちと話をして、少しでも生気をもらわなければ。


 家から出ると、すぐさま隣家の老人と目が合った。

 その目を見た途端、どう言っていいか分からなかった。

 戸惑ううちにかけられた、言葉。

「あんたのとこ、息子から何かあったかね?」

「いえ、何も……」

「そうかい、ウチの孫娘のとこも相変わらず何もないよ」


 隣家の主も、老人と同じ寂しさに耐えかねた目をしていた。

 そうだ、この隣家には夏休みの間、幼いひ孫が来ていたはずだ。うちが孫を自慢しに行ったら、ひ孫自慢で返されたのを覚えている。

 その大事な孫娘たち家族と連絡が取れなくなったと聞いたのは、一か月ほど前のこと。

 それ以来、顔を合わせれば話すのはそのことばかりだ。


 老人は、少し肩を落として周りを見回す。

 もう夕方で辺りが暗くなり始めているというのに、周囲の家や道には何人も同じような目をした老人が佇んでいる。

 皆、寂しいのだ。村から出て行った子供や孫たちの消息が知れなくて。


 この村は、高齢者が人口のほとんどを占めている。

 細々と昔からの農業を営みながら、時々帰ってくる若者たちを見るのを心待ちにしている。若者たちは皆職を求めて街に出てしまったため、年寄りばかりが残ってしまったのだ。

 そして今、街に出た若者たちのほとんどが消息を絶ってしまったため、村には心の拠り所がない老人があふれている。


 あちらこちらで佇む隣人たちに、老人は胸が詰まる思いだった。

 寂しさから逃れたくて家から出てきたが、家の外にも孤独はあふれているではないか。

 話しても、共感はできるが寂しさは埋まらない。むしろ、同じような寂しさがさらに重なって心がしぼんでいくばかりだ。

 いや、それでなくてもこの村にはしなびていくばかりの老人しかいないのに。


 冷たい風に吹かれて、木の葉がカサカサと音を立てる。葉は変色し乾いて後は落ちるのを待つばかり、草は枯れて腐るのを待つばかりだ。

 それが今のこの村にそっくりで、老人は背筋が寒くなった。

 そうだ、今この村に生きるのは、人生の秋を生きる者ばかりだ。

 秋と寂しさは、この村の全てを覆っている。この枯れゆく村にいる限り、それから逃れることなどできやしないのだ。


 暗くなっていく空と冷たい風に耐えかねて、老人は一人また家の中に戻った。

 広すぎる家の中で、やかんが申し訳のように音を立てた。

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