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ゾンビ百人一首  作者: 青蓮
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住の江の岸に寄る波よるさへや 夢の通ひ路人目よくらむ

 一応、水辺に含まれますが、水より夢がメインです。


 夏が終わったので、次からは秋シリーズです。

 暗い道を、歩いていた。

 思わず急ぎ足になって上がりそうになる息を殺して、狭い路地裏を忍び歩く。

 慣れた道のはずなのに、なぜだかとても恐ろしい。

 密集した家のせいで空が狭くて、月明かりも満足に届かないこの道。自分の足元すらおぼつかない暗闇に、足がすくみそうになる。


 この道、こんなに暗かったっけ?

 確かに前から空は狭かったけど、その空は夜でももっと明るかったはず。

 それに、ここにはたくさんの人が暮らしているのだから、いつも窓から漏れてくる光に助けられていた。

 何かが違う……この闇は、一体何?


 遠くから、ざあざあと波の音が聞こえてくる。

 他に音のない静寂の中で、辺りに響くのは波の音と私の足音のみ。

 ああ、こんな小さな音では私の足音を消せやしない。これでは私の足音が気づかれてしまうではないか。

 懸命に足音を消そうと試みるも、足元が見えにくくてうまくいかない。

 気ばかりが焦って、私の心臓の音まで外に漏れてしまいそうだ。


 この道、こんなに静かだったっけ?

 この辺りは夜でも働いている人が多かったから、夜中でも少しは音があったはずだ。

 猥雑なテレビやラジオの混ざった音、夫婦げんかの怒鳴り声、酔っぱらいのけんかの声……人の営みから生まれる音が絶えなかった。

 それなのに、今のこの静寂は、何?


 それでも私は、恐怖を押し殺して足を進める。

 だって、こんな機会でもないと、私とあなたは深い仲になれない。

 今日の私は、たった一人。いつも離れることなくついて来るボディガードは、今日は影も形もない。

 だから今日ならば、私とあなたは見張られることなく好きなことが出来る。

 私はずっとそうしたかった、それができる日を待っていた。それができると思うだけで、私は暗闇も静寂も怖くなくなる。


 そう言えば、ボディガードはどうして今日はいないのだろう?

 あの男はいつも私の側にいて、私がどんなに命令しても離れてくれないのに。

 私を縛ろうとする親の言う事だけを、どこまでも忠実に守るロボットみたいな奴。私があなたといい雰囲気になろうとすると、いつも外でわざと大きな音を立てて警告する。

 私の恋路は、あいつに邪魔されてばかりだった。


 とにかく、今日の私は珍しく自由だ。

 こんな日にやるべき事といったら、あなたとの時間しか思い浮かばない。

 幸い、今日のこの通りは暗く静かだ。暗ければ人に見られたとしても顔はバレにくいだろうし、静かなのは周りに人がいない証だ。

 こんな機会、きっともう二度とない。

 だから私は、迷わずあなたの家に向かう。

 私の家の一室よりもずっと狭い、薄汚れたアパートの一室。中で交わされる愛の言葉すら隠せない、壁の薄い小さな楽園へと。


 ああ、でも……こんな時でも、やっぱり邪魔者は現れる。

 あの電柱の陰に佇む者は、私を監視する者の一人だろうか。

 私を見張る目は、数知れない。ある者は私をあなたから引き離したい親の命令を受けて、別の者は私とあなたの決定的瞬間を撮ってはやしたてるために、私にまとわりつく。

 どんな時でも、私の周りからこいつらの影が消えることはない。


 でも、だからといって行かない理由にはならない。

 私はどうしても、あなたに会いたい。

 だから、さらに狭くて光のない路地にも足を踏み入れる。怖いけれど、他の人に見つかるよりは何も見えない方がマシだ。

 海の音が近い……きっと、あなたの家が近いはず。

 けれど、漂ってきたのは、潮の香じゃなくて……胸が悪くなるような、何かが腐った臭い。


 突然、胸倉を掴まれた。

 気が付けば、目の前に人のシルエットが浮かぶ。

 どうしてだろう、光がないはずなのに、相手の顔が見えてくる。

 目の前にあったのは、血で真っ赤に染まった口だった。その上には、肉が削げて骨が見えた鼻。さらに上から、膜を張ったように白い目が見下ろしている。

 ……ああ、これは人間じゃない。

 こいつは私を縛らない、縛らないけど……。

 そいつの有り得ないくらい臭い口が、がばりと開いた。

「助け……!」


 叫ぼうとしたところで、目が覚めた。

 いつもの上品で広い私の部屋、柔らかいベッドの上。

(……何だ、夢だったのか)

 ホッとして汗を拭い、何の気もなしに窓辺に立つ。


 目の前に広がるのは、死んだように暗い街の夜景。夢と同じだ。

 たった数日前まで、ここからは華々しい大阪の夜景が一望できた。どんな星の海も敵わない、無限の宝石箱のように、色とりどりの明りが夜を彩っていた。

 その明かりが空に反射して明るかったから、あなたに会いに行く道でも足元を照らしてもらえた。

 だけど、今はもうその明かりはない。この夜の下で生活していた人々のほとんどが死んでしまって、電気も止まってしまったから。


 人が消えた街は、とても静かだ。

 闇の中では、さっき見た血塗れの化け物が獲物を待ち構えている。人であることをやめ、人を取って食う化け物が。

 おかげで私を網の目のように取り囲んでいた人の目は消え、化け物の白い目に変わった。


 私は見えない海の方を見つめ、耳を澄ます。

 ここからは、波の音が聞こえない。私の家は、海から離れた小高い丘の上にあるから。

 街を見下ろす高級住宅街に住む名士の娘である私と、海に近い貧困地帯に住む独り身のあなたとの恋は、いつも多くの人目に晒されていた。

 だから人の目がなくなれば、心置きなく会いに行けると思ったのに……世の中はそううまくいかない。


 そこまで考えて、私は自嘲した。

 さっきのは、夢ではないか。現実でも望みを絶たれたのに、夢の中ですら意のままにならないのか。

 私は夢の中で、人目を気にするあまり深い闇に踏み込んで、化け物に捕まってしまった。夢の中くらい堂々と行けばいいものを、馬鹿な私。


 でも、きっと今あなたに会いに行こうとすれば、あの夢は正夢になるのだろう。

 人目は確かになくなった、でも今は化け物の目が多すぎる。

 それでも、私の中であなたに会いたい気持ちは募る一方だ。砕かれても砕かれても打ち寄せる波のように、絶え間なく寄せてくる。

 それが理性の堤防を越えた時、夢は現実になる。

 きっと、それは遠い日の事ではないと思いながら……私は、かすかな波の音を聞いた気がした。

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