朝ぼらけ宇治の川霧たえだえに あらはれわたる瀬々の網代木
水シリーズ第10弾、網代木とは魚を捕る簗のことです。
霧が晴れていき、現れた簗の目的は……。
ゾンビは低い場所に集まりやすいと言いますよね。
ぴちゃぴちゃと、澄んだ音が空気を震わせる。
音の源を包む空間が濃紺から青、薄い灰青色へと色を変えていく。
未だ地平線の下にある太陽から贈られたほのかな光が照らしだすのは、白く視界を遮るぶ厚い霧。
音の源を覆うように、堤防で囲まれた低地に沿ってたまっている。
山と雲の堤から太陽が顔を出すと、黄色を帯びた鮮烈な光が投げかけられる。
その鋭い光に溶かされるように、霧は濃度を下げていく。
白ばかりで何も見えなかった場所に、丸石を敷き詰められた地面が広がっていき、やがてその石の色が濡れた暗色に変わる。
もう少し先まで見えるようになると、そこでは石の形が絶えずわずかに変化し続け、その上で光が揺れる。
流れる水が、光を屈折させるためだ。
そう、音の源は水。夜と霧が二重に隠していたのは、川だったのだ。
冷たく湿った空気の中、俺たちは川のほとりに立つ。
作業は霧が消えてから始めればいいので、少し来るのが早すぎたようだ。
俺たちは強くなっていく陽光が服の湿りを取り去っていくのを感じながら、未だ白く霞んだままの川を見つめる。
ぴちゃぴちゃと静かな流水音に混じって、時折バシャバシャと大きく無粋な音がする。
この音を出しているものが、俺たちの目的だ。
不規則に水面を叩くようなこの音は、ただの川の音では有り得ない。これは川に住まう、形あるものが出している音。
しかもこの音が聞こえると言う事は、目的のものは水底から出て水面近くにいてくれるということだ。
どうやら、仕掛けにかかってくれたらしい。
霧がさらに晴れていくと、川のところどころに人工物が見えてくる。
茶色い竹を組み合わせて作った、低い滑り台のような構造物。
川の側に住んでいる人なら、見たことがあるかもしれない。これは、簗だ。川に仕掛けて獲物を水から引きずり出す、漁業用の罠だ。
滑り台は、下流に向かって沈み込むように設置されている。これは、川を遡ってくる魚を獲るための形だ。
霧が晴れて対岸まで見えるようになると、その簗が対岸までつながっているのが分かる。
対岸まで……つまり、この川を上ってくるものは全て引っかかる計算だ。
そんな事をして、漁業資源は大丈夫かって?確かにこいつがあると、これ以上上流に魚が行けないかもしれない。
だが、そんな事は今や些細な事だ。
この大規模な簗には、もっと重大な役目がある。
ぼんやりと見える、簗の周りに刺さったものが見えるだろうか。
滑り台の上流側に、滑り台が途切れるところを狙って斜めに刺さっている無数の杭か柱のようなもの……あれは杭でも柱でもない。
あれは、先端を鋭くとがらせた竹槍だ。
川を遡ってきたヤツが下流側から滑り台に上って……落ちるところでちょうど刺さるようになっている。
魚を獲るにしては、おかしな仕掛けだ。そうとも、魚が相手なら、あんな物々しい竹槍など必要ない。
じゃあ、何を獲るかって?
そりゃ魚よりはるかに大きくて、竹槍に刺さるものだ。
しかも、そいつらをここで止める事は、魚を止めるよりはるかに重要だ。
俺たちはこれから、その竹槍に刺さったものを処分しに行く。
そう処分だ、食べるんじゃない。そいつは食べ物じゃないし、食べたら大変だ。
俺たちは安全にそいつらを扱うために、全員が丈夫なラバースーツを着ている。そして処分する道具として、槍や斧を手にしている。
戦争にでも行くのかと言われそうだが、これは本当に戦争の一部なんだ。
魚の一部が滅んだってどうでもいいくらい重大な、人類を守る戦争の。
さあ、陽光が残されたわずかな霧を払っていく。
視界を遮るものがなくなって、君にも見えるだろう。
川幅いっぱいに広がる簗と、その背後にある竹槍の林……そこに引っかかってもがいている、何体もの人影が!
……大丈夫だ、あれは遠目には人に見えるが、人じゃない。
よく見ろ、あいつらは竹槍に体を貫かれても、気にすることなくもがき続けている。腹に刺さろうが胸に刺さろうが、お構いなしだ。
それに、あいつらの体から突き出ているのは竹槍だけじゃない。赤黒い肉がこびりついた白いもの……骨が体から飛び出している奴もいる。
普通、竹槍に刺さっただけであんな怪我はしない。腹が敗れて内臓がごっそりなくなったり、手足の肉が抉れていたり、そもそも四肢のいくつかがもげていたり……。
それに、人間ならあんな怪我をしたまま歩いて川を遡ったりしない。
あいつらは、動く土左衛門だ。
死んでいるくせに貪欲で、生きた人間を求めて川を遡ってくる。
この簗は、川を上ってくる土左衛門を食い止めるためのものなんだ。
この川の下流には、かつて日本の第二の都市であった大阪がある。そこから京都につながる、人口が集中した住宅街がある。
そこに住んでいた人間のほとんどが死んでまた動き出したため、そこを流れる川は動く土左衛門だらけになった。
そしてあいつらは、時折こうして川を遡ってくる。
この川から流れてくる人間の生活のにおいを感じ取り、人間と言う餌を求めて。
この辺りの川は、普段は流れが緩やかだ。
ゆえに、放置すれば動く土左衛門の通り道になってしまう。川に落ち、岸壁をよじ登れない土左衛門が川を遡るのだ。
この川を上った先に、何があるか……琵琶湖だ。
琵琶湖の周辺では、まだ人口密度の低い地域が生き残っている。だが、琵琶湖に大量の土左衛門が流入したら、そこを守るのも難しくなる。
広大な琵琶湖の湖岸全てに防衛線を張ることはできない。
となると、道を塞ぐしかないだろう。
この簗は、魚ではなく土左衛門取りの罠なのだ。
ああ、全く憂鬱な光景だ。
俺たちが相手にするのは、活きのいい魚ではなく死んでふやけた水死体だ。毎度のことながら、見るたびに心が沈む。
こんなものが出てくるくらいなら、いっそ霧が晴れなくてもいいと思ってしまう。
太陽が昇る前の、少しずつ霧が薄くなってきた辺りが、景観的にはベストだろうか。
白い中から突き出す杭と、ぼんやり見える簗の形。そのくらいならまだ、何がかかっているのか、何のためにあるのか分からない。
一見して、昔ながらの魚を獲る簗に見えるだろう。
古くから人が生活を営んできた歴史ある土地柄と相まって、とても趣のある神秘的な光景に見える事だろう。
だが、今ここにある簗にそんな趣は存在しない。
これはあくまで土左衛門を食い止めるための、武骨な防衛線だ。
この現実から、目を反らしてはならない。霧は、晴れなくてはならない。さもなくば、人類はまた生きられる土地を狭めてしまうだろう。
だから俺たちは、歴史も趣も全て捨てて、川に凶悪な簗を築いた。
それでも惜しまれるのは、本来の簗場という伝統のことだ。
この戦いが終わって、土左衛門の心配をしなくても良くなる日が来たとしても、おそらくもうここに本来の簗が仕掛けられる事はないのだろう。
今の防衛用の簗は、川幅いっぱいに仕掛けられている。つまり川を遡る魚も全て、これに捕えられてしまう。
何年も仕掛けておいたら、おそらくもう遡上する魚はいなくなる。
そうなると簗は必要なくなり……伝統は、滅び去るのだ。
そう考えると、霧に浮かぶ簗を見られるのも、これが最後かもしれない。
人は生きているだけで、何かを失い、殺していく。人がこの世界で再び生存権を取り戻した時には、霧が晴れてもそこには何もないだろう。
ここは、一つの歴史の終着点だ。
両手を広げて多くのものをせき止めるように、土左衛門殺しの罠は川に身を横たえている。その竹の間を、止まらない時の流れの如く、水だけがすり抜けて流れていた。




