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ゾンビ百人一首  作者: 青蓮
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わたの原漕ぎ出でてみればひさかたの 雲居にまがふ沖つ白波

 水シリーズ第9弾、逃げ出した先の海上にて。

 押し寄せるゾンビの黒い波から逃れたものの、海の彼方に見えた景色は……黒い波と白い波、どちらを選びますか?

 もう海には出ないと、誓ったのはいつの日だったか。

 逆巻く波に転がされて息もできず、溺れる恐怖を骨の髄まで刻み込まれたはずだった。

 だが、今俺は再び船の舵を握っている。

 眼前に広がるのは、あの時と同じ無限に連なる波。辺り一面に立ち込める潮の香りと、べたつく海風が船の窓を叩いている。


 恐怖がなくなった訳ではない。

 今も昔も、海は簡単に人を殺す。それは変わらない。

 だが、それでも俺は海に戻ってきた。

 どこまでも人を弄ぶように波打つ海面に身を任せ、人口のちっぽけな陸地に足を置く。

 波に合わせて揺れる足元に、不安は止めどなく湧き続ける。だが、まだ起こってもいない悲劇に不安を感じられるのは余裕がある証だと、心のどこかで思う。


 俺は今、波の上にいるのだ。

 波に巻かれている訳じゃない。

 それに、海の波は俺に悪意を持っている訳ではない。


 陸地を振り返ると、港の岸壁の内側で黒々と蠢くものが見えた。

 人を不安にさせる低い唸り声を響かせ、時折あふれて一部が海に落ちていく、悪意と残忍な欲に染まった黒い波。

 俺は、あれに追い立てられて海に出たのだ。

 後から後から尽きることなく押し寄せ、手を伸ばしてくる黒い波に。


 あれは、人の形をした化け物の集合体だ。

 黒く見えるのは、ぞの全員が腐って黒く変色した体を持ち、その肌が露出した手と顔を前面に押し出しているからだ。

 そのうえ、大部分は服も乾いた血でどす黒く染まっている。その血が壊された己の体のものか、食い破った相手のものかは問題ではない。

 あの化け物共は、人を食う。

 自分が生前人間であったことも忘れて、まだ生きている人間に一直線に向かっていく。


 数が少ないうちは、陸で奴らに対処しながら暮らすことも可能だった。

 だが、日が経つにつれて化け物の数は増えていく。

 化け物に食われて死んだ人間が化け物となって起き上がり、また近くにいる生きた人間を襲う……その一帯に生きた人間がいなくなるまで、それが繰り返される。

 化け物と人間の数はあっという間に逆転し、化け物の方が圧倒的に多くなった。

 ものすごい数の化け物が、生き残った少数の人間めがけて押し寄せるのだから……襲われる人間から見れば、抗いようのない大波に等しい。


 俺もついさっきまで、それに巻かれてあがいていた。

 始めは、ポツリポツリと現れる化け物を倒せばそれで済んだ。そのうち化け物共は数体まとめて現れるようになり、俺は外での迎撃を諦めて戸締りをして二階に上がった。

 建物に群がる奴らを上から一体ずつ倒そうとベランダに出たところで……俺は愕然とした。

 段々多くなる化け物共は、すさまじい津波の先触れでしかなかったのだ。


 化け物共は、後から後から連なって迫って来ていた。

 地上からは見えなかった道のずっと先からは、黒く汚れた腐臭まみれの波が止むことを知らずに寄せてきていた。

 あれが、今いる家まで到達したらどうなるか……。

 今いる数体と近くにいる十数体ならば、階段にバリケードを築いて籠城すればしばらく耐えられるかもしれない。

 だが、あの大群……おそらく数百は下らない化け物共に包囲されたら、どうなるか。


 単純に数の加算で力を増した大群は、建物そのものを崩壊させるかもしれない。大質量の津波が、家を軽々と押し流すように。

 あるいは、重なって高さを増す波のように、化け物同士が折り重なって二階に届くだろう。

 そうなれば、後はなされるがままだ。

 海の波にのまれたあの日のように、抵抗もできずにもみくちゃにされて……。


 俺は、とっさの判断で逃げ出した。

 だが、陸続きの場所にいる限りあの黒い波はどこまでも追ってくる。

 逃れるためには、化け物の手が届かない場所に逃げるしかなかった。

 そして俺は、親の漁船に飛び乗り、しばらくぶりに海に出た。


 深い青の波に揺られて、俺は黒い波から遠ざかる。

 これで当面の間は、命を長らえさせることができるだろう。

 もっとも、本当に長生きするつもりなら、どこか安全な岸なり島なりを探す必要があるが……とりあえず、それを考える時間の余裕はできた。

 俺はくったりと体の力を抜き、運転席の椅子に身を預けた。


 ぼんやりと見つめる海の彼方は、白い帯で空と区切られている。

 海と空の色は違うが、あれではどこまでが海でどこからが空だか分からない。

 もっとも、雲は空にしかないのだから、白い部分から空なのだろうが……。


 そう考えながら目を凝らして、俺は気づいた。

 白い帯の下の方は、白と青の縞模様になっている。そして、その模様はゆらゆらと揺れて変化し続けている。

 白い部分が弾けて消え、また別の場所に現れてつながって……どこまでも連なってうねっている。

 あれは、波だ。

 高い波の頭が崩れ、泡だって白くなっているのだ。


 海が、荒れている……!?

 俺は驚いて立ち上がった。


 波が白くなるのは、頭が崩れるくらい高くうねっているから。

 今いる湾内はそれほど荒れていないが、湾の出口から見える外海には白頭の高波がどこまでも連なっている。

 あの程度ならまだ船を出せないことはないが……あれ以上波が高くなったら……あの日の再来だ。


 そう思いながら、俺は気づいた。

 白い波とつながっている、空と海を分ける帯の上側に……むくむくと高くそびえ立ち、天に向かって伸びている……あれは、積乱雲?

 豪雨と暴風をもたらし、高波を誘う嵐の雲。

 あの白い帯は、荒れ狂う白波と積乱雲の集合体……悪意なく全てをなぎ倒す、自然の暴力が形を成したものだ。


 ……ここは、悩みどころだ。

 今岸に戻れば、化け物共の餌食になるのは目に見えている。かといって外海に出れば、波に揉まれて海の藻屑になる恐れがある。さりとて湾内にとどまっても、風で岸に吹き寄せられたら終わりだ。

 黒い波にのまれるか、白い波に身を任せるか……。


 しばし考えた末、俺は外海に船を向けた。

 化け物の波は俺を殺そうと明確な悪意に染まっているが、海の波にそんな意志はない。白く無垢な、ただの自然だ。

 ならば俺の運命も、自然に任せてみるとしよう……黒と白の狭間で、俺は静かに海に祈った。

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