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ゾンビ百人一首  作者: 青蓮
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由良の門を渡る舟人かぢを絶え 行方も知らぬ恋の道かな

 水シリーズ第7弾、風任せ波任せの人生です。


 自分の思い通りに物事を進めるには、意志だけでなくそれに伴う覚悟と勇気が必要です。

 それを伴わずに人生のかじ取りを気取っていた男の末路は……。

「へへーんだ、来れるもんなら追ってきてみろ!」

 そう言ってゾンビ共に手を振ったのは、数時間前のこと。

 思えば、あの時が運命の分かれ道だった。

 今になってみれば、あの時の自分は何と愚かで、目先の事しか考えていなかったのだろう。目の前の危機から逃れるのに精一杯で、何が本当の危機なのかをすっかり忘れていた。

 そして今、僕は本当の危機に直面している。


 さっき僕を捕食しようと手を伸ばしていたゾンビ共は、もう見えなくなった。

 視界から外れたのではなく、単純に遠すぎて形を視認できなくなっただけだ。

 ここからではもう、海と陸の境界は漠然とした一本の線でしかない。魂を失って蠢く人影も、そいつらを隠していた建物の形も、もう分からない。

 僕と奴らの間には、どこまでも青く深い海が広がっているのだから。


 ここまで来れば、もう奴らの手は僕に届かない。

 鼻だけでなく心まで折られそうな腐臭も、ここまでは流れてこない。

 僕は、安全だ。


 安全になった、これでもうゾンビの腐った爪に怯えなくてよくなった……そのはずなのに、僕の背中にはじっとりと嫌な汗がにじんでいた。

 ゾンビ共のいた岸は、どんどん遠ざかる。

 こうして見ている間にも、海と陸の境がぐんぐん離れていく。

 もう十分なのに、十分すぎるのに止まらない。止められないのだ!


 僕が腰を下ろしているモーターボートに、まだ燃料はある。エンジンをかければ、ボートは力強く海面の上を走り出すだろう。

 けれど、それでは岸から離れるばかりだ。

 ボートの舳先は、海と空の境に向いている。

 その舳先を陸の方に向ける事が、できないのだ!

 ボートの尻にはかじ取りのレバーがあるが、もはやそれが力を伝える先は存在しない。海面の下に隠れた舵板は、根元から折れてなくなっている。

 動力はあっても、その方向を定めることはできないのだ。


 僕は、漂流している。

 それに気づいたのはほんの十分ほど前だが、これがいつまで続くかは見当もつかない。

 進む道は波任せで、風任せ。そこに僕の力が介入する余地などない。ただ流されて、運を天に祈りながら時を過ごすだけ。


 おかしいな、僕はそんな毎日から抜け出すために海に出たのに。

 自分の意志ではどうにもならない、頼りなく、糠に釘を打つような日々と決別したくて……今度こそ自分で人生を掴みとれると思ったのに。

 これじゃ、前と同じじゃないか。


 思い返せば、僕は常に他からの力に流されて生きてきた。

 親の都合で慣れ親しんだ故郷を離れて引っ越しをさせられ、仲良くなりかけていた女の子とも離れてしまった。

 彼女とは、ずっと側にいて仲良くしていれば今頃付き合っていたはずなのに。いくらそれを親に言って反対して泣き喚いても、親の都合は変えられない。

 僕は、意のままにならぬ現実を呪いながら、遠ざかっていく彼女を車の窓から見送っていた。

 いつか僕を縛り付けるクソ親共から解放されたら、今度こそあるべき日々を取り戻してやると心に誓って。


 そのクソ親共が死んだのは、ゾンビ共のせいだ。

 どこからともなく現れた歩く死体はあっという間に世の中を埋め尽くし、人間と、人間が築いた社会のシステムを食い散らかした。

 これでもう、僕を縛るものは何もない。親も学校も警察も、全て消え去った。

 これからはきっと、自分の思い通りに行動して生きていけるのだと、僕は解放感を噛みしめながら思っていた。


 そして僕は、故郷に向かって旅を始めた。

 普通に考えれば、人食いゾンビがうろつく世の中で旅をするなど無謀の極みだ。けれど、僕にはちゃんと勝算があった。

 僕の街から故郷までは、海岸線でつながっている。つまり、ゾンビ共の手が届かない水上を、海岸から離れすぎないように行けばいいのだ。


 僕は、ハゼ釣りで慣れたモーターボートに乗り込んだ。

 米どころの意義を失った新潟を抜け、百万石ゆえにゾンビ密度の高い石川をやり過ごし、原子力発電所の立ち並ぶ富山を爆発の恐怖に耐えて進み……ひたすら、南西へ。

 故郷の山陰を目指して、旅は順調だった。

 ネットの情報によれば、山陰は人が少ないおかげでゾンビも少ないらしい。だから故郷に着けば、彼女と幸せに暮らせると……僕は遠い幸せの妄想にふけっていた。


 僕は、馬鹿だった。

 自分がどれだけ幸運かも知らず、自分の意志で行動すれば全てうまくいくと信じ込んでいた。

 それが破られたのは、京都に差し掛かった時だ。


 少し眠っている間に、ボートは岸のすぐ側まで打ち寄せられていた。

 気が付けば、港の岸壁の上にいたゾンビ共が僕を見つけて次々と海に飛び込んできていた。そのゾンビ共の胸の辺りまでしか深さがないと気づいた時、僕はパニックに陥った。

「う、うわあああ!?」

 すぐさま跳ね起きて見ると、既にボートの後ろに一体のゾンビが取り付いていた。


 恐怖と嫌悪感に突き動かされ、反射的にオールを手に取る。

 自分では完璧なルートだと思っていただけに、間近で見るゾンビの顔は衝撃が大きかった。

 夢中になってオールで叩くと、ゾンビはどうにかボートのへりから手を放した。

 しかし、その後ろからは次々と後続のゾンビが近づいてくる。少し先の未来を予言するように押し寄せてきた腐臭に、僕は完全に冷静さを失った。


 とにかく、早くここから離れなければ!

 僕はすぐに船尾の舵をきり、エンジンをかけようとした。

 だが、その舵が動かない。見れば、さっき叩いて沈めたゾンビの上半身が舵板とスクリューに食い込んでいる。

 それでも、僕は強引にエンジンをかけた。一刻一秒でも早く、ここから離れたかった。

 次の瞬間、スグリューが回転ノコと化してゾンビの体を力任せに引き裂く。海の中に、どす黒い血が広がり肉片が散っていく。

 半壊したゾンビの体はスクリューのすさまじい力で舵板に押し付けられ……ついに力が限界を超え、舵板が折れた。


 その時、僕は更に救いようのない選択をした。

 とにかく船首を海原に向けるべく、僕はオールで迫ってくるゾンビを押し……そのままオールを手放してしまったのだ。

 ボートは狙い通り、力強く唸りを上げて岸から離れ始めた。

 目の前の危機が去り……新たな危機の始まりだった。


 誤ったと気付いたのは、とある海峡に差し掛かった時だ。

 ボートが、急速に沖へ向かって流され始めた。

 苦労して海岸線に沿うように向きを変えた船首が、みるみる沖へ向いていく。エンジンをかけていないのに、ボートは滑るように岸から離れる。

 離岸流に、乗ったのだ。

 海峡はその狭さゆえに、潮の流れが速い。潮の干満に合わせた流れが一か所に集中し、容易に強力な潮流を作り出すのだ。

 もはや、その力に抗う力はこのボートに残っていなかった。


 かくして、ボートは今も沖へと流れ続けている。

 既に、エンジンを燃料がなくなるまで働かせても、戻れるとは思えない程沖に出てしまった。

 僕がこれからどうなるかは、それこそ波任せ、風任せだ。どこへ行くのか、生きるか死ぬかすらも……そこに僕の意志が介入する余地はない。


 何てことだ、これじゃ前と同じ……いや、前よりはるかにひどいじゃないか。

 僕は今度こそ自分の意志で、僕の思うような人生を歩むはずだったのに。


 だが、こうなった原因は何となく分かっている。

 僕は意志を貫くと言っておきながら、それを実行する覚悟と勇気を準備していなかったんだ。

 だから、目の前の感情に突き動かされて大事なものを失ってしまった。とにかくゾンビから離れたい一心で、後先考えずに舵を壊してオールを手放してしまった。

 冷静に考えれば、オールでゾンビを払いつつ深いところまで進んで、スクリューと舵に引っかかったゾンビは沖で落とせば良かったのだ。

 だがその時僕の頭からは漂流という危険がすっぽりと抜け落ちていた。

 その結果、僕の人生は僕の手を離れてしまった。


 考えてみれば、彼女との関係も同じようなものだった。

 僕は今まで、彼女に告白していないし手紙すら書いていない。照れくさいとか恥ずかしいとか嫌われたくないとか、目先の感情に囚われて……自分から勝負を下りていた。

 勇気と覚悟を持って告白していれば、今でも遠距離恋愛になっていたかもしれないのに。その怠惰を周囲のせいにして人生を呪うなんて、根性なしもいいところだ。


 この漂流は、そんな僕に対する天罰なんだろうか。

 これではもう、彼女に会いに行けやしない。

 それでも、きっと僕の事で彼女が悲しむことはないのだろう。このボートが僕の手を離れたように、彼女との恋も本当はもう僕の手を離れて、とうに終わっているのだから。

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