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ゾンビ百人一首  作者: 青蓮
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みかの原わきて流るるいづみ川 いつ見きとてか恋しかるらむ

 なし崩しで水シリーズ第6弾、顔の見えない恋心です。


 現代は顔の見えない相手と知り合う機会が増えましたが、それは決して悪い事ではありません。

 彼女と彼をつなぐのはラジオ、そして川。

 今日もまた、新しい一日が始まる。

 起きたらまず近くの川で水を汲んで、お湯を沸かすところから。

 その間にトイレに行って……ちょっと面倒くさいけど、畑の側の公衆トイレまで短いお散歩。ああ、急がないと間に合わなくなってしまう!

 慌てて焚き火に戻ってきたら、薪を足すより先にラジオのスイッチを入れる。

 さあ、楽しい時間の始まりだ。


「おはよう、エブリバディ!

 今日も元気に生き残ってこうや!」

 ラジオから流れだす、軽快な男の人の声。

 思わず頬が緩んで、ラジオに向かって甘く微笑みかけてしまう。こんなところを誰かに見られたら、ちょっと恥ずかしいかも。

 でも、この胸のときめきとニヤニヤ笑いは止まらない。


 その理由は簡単、私はこの時間が一日で一番好き。

 私はこの声の主に……ラジオの向こうにいる人に恋をしているんだ。


 毎朝ラジオのスイッチを入れれば、彼は私に声をかけてくれる。

 お天気とか季節とかの他愛ない話に織り交ぜて、大切なことを教えて私を助けてくれる。

「やあ、今日はちょっと天気が悪いな!俺の住んでるとこは、ここ数日雨が降りそうで降らん日が続いとる。

 天気悪い言うても畑は乾いてまうから、水やりは忘れんといてな」

 私はうっとりと目を細め、黒く小さいラジオにうんうんとうなずく。


「それはそうと、水汲みは割れにくい容器を使ってな。

 水汲み中にあの噛みつき屋に襲われた時に、放って逃げれへんと命に関わるよってに。どっかの避難所の子供がな、割れたら困る言うて水を手放せへんで、重たて噛みつき屋から逃げれへんかってん。

 ほんま、悲しい話やで。みんなも、命は大事にな!」

 私は、目に涙を浮かべながらラジオに向かって頭を下げる。

 分かったよ、私はそんな事はしない。

 だって、誰かが死んだ事を話すたび、あなたはとても悲しそうだもの。私は、あなたを悲しませるような事しないから。


 悲しむ……あの人が?

 冷静に考えたら、有り得ない。

 だって私たちはお互いの名前も住所も知らないし、顔を見たこともない。ラジオの電波を通して一方的にしかつながらない、赤の他人なのに。


 そんな遠い人の事を、私は一日中考えている。

 今日はこんな話をしてくれた、明日はどんな事を聞かせてくれるんだろうって。

 私が毎朝起きるのは、あなたの声を聞きたいから。私がまめに働いて人の役に立とうとするのは、あなたがそんな人が好きと言ったから。

 私が日々を生きるのは、明日もその先もあなたの声が欲しいから。


 全く、我ながらどうかしている。

 私は彼の声しか知らないのに、どうしてこんなに夢中になっているんだろう。

 ラジオの向こうにいる彼が、本当にラジオの通りの性格なのかは分からない。年も声から推測するしかないし、外見が好みかどうかも分からない。

 それでも私の心を支える大黒柱は、今や彼以外の何者でもないのだ。


 出会った当初は、私はただのリスナーでしかなかった。

 声と調子のいい語り口、軽いテンションの相手にふさわしく、私の中で彼の存在はほこりくらいの重さでしかなかった。

 けれど、何度も聞いている間に心の底では少しずつ惹かれていたのだろうか。

 でなければ、突然心に開いた巨大な穴に……それまで私を支えてくれていた人たち全ての代わりに、彼がただ一人はまる事はきっとなかった。


 私は、家族全てを失った。

 死んだ人が生きている人を食い殺す地獄の中で、私の大好きな人はみんな死んだ。

 学校で友達や先生が目の前で引き裂かれて血に染まり、家に帰ったら母が父に食いついていた。父は母をもう一度確実に殺し、自ら命を絶った。

 私は、ぽつんと一人残されていた。


 単純に、何のために生きればいいか分からなかった。

 私はこれまで、好きな人たちのために生きてきた。好きという気持ちを周りの人に向けて、その人に好かれたいという思いで生きてきた。

 その、好きという気持ちを向ける相手がいなくなった。

 人見知りな私は、初めて会う人、なじみのない人に好きという気持ちを向けるのが苦手だ。だから、よく知っている人がいなくなって、私の中の「好き」は行き場を失っていた。

 もう私が好きになれる人はいない、私の生きる目的がない。

 ただひたすら空虚な心で、眠りについたのを覚えている。


 翌朝、私はいつものようにラジオのチャンネルを合わせた。

 他にやる事はたくさんあったけど、やる意味が見つからなかったからそうした。何もかもなくなったという事実から、少しでも目を反らしていたかった。

 そしてラジオから流れてきた、軽快で明るいあなたの声……。


 突然、意識がクリアになった。

 あった。

 私の好きを向けていた人が、まだ残っていた。私がこれからも好きを向けて、目的にできるものがここにあった。私の好きだった日常の一部が、壊れずに残っていてくれた。

 急に浮上した私の心に、ラジオを通じてあなたは言った。

 生きろと。

 だから私は、生きる事にした。私はこの人に好かれたい、だからこの人の言った通りに生きよう。

 それが、顔も知らず触れることもできない人に応える唯一の方法だから。


 こんな私の事を、一部の人は危ういという。

 会って共に未来を築くことのできない対象に依存するなんて、非生産的だという。

 でも、いいじゃない。

 私はそれで心を満たして日々を生きていける。こんな世界の中でも、明日への確固たる希望を持って歩き続けている。


 それに、彼は確かに私を助けてくれている。

 ラジオを通して、生きるために必要な事をたくさん伝えてくれた。

 見るだけでパニックになりそうだった恐ろしい動く死体を「噛みつき屋」と茶化して呼び、本来怖がりな私から余計な恐怖を取り除いてくれた。

 彼は確かに私が好きで、私を助けてくれている。

 たとえそれが広く多くの人々に向けた、愛ですらない気持ちの一部でも、関係ない。私は彼が好きで、彼は私に応えてくれる。だから私も彼にもっと好かれようとする。それだけ。


 それでも、時々もっと彼とつながりたくなる時はある。

 そういう時は彼の言葉を思い出し、少しでも彼の役に立ちそうなことを模索する。


 ああそうだ、あなたは水が汚くて困っていると言っていた。

 スタジオの近くに大きな川があって、水量は申し分ないけど、臭くて汚いから飲めるようにするのが大変だって。

 きっとあなたは、どこかの川の下流に住んでいるのね。

 だから私は、生ゴミや排せつ物をできるだけ川に流さない生活を村のみんなに提案した。緊張したけど一生懸命他の人と話して、畑の側に公衆トイレと肥溜めを作ってもらった。

 これで、あなたの側にある川が少しでもきれいになったらうれしいな。


 正直、私の側を流れる川が彼とつながっているかは分からない。

 私がそう思っているだけで、全く別の川かもしれない。

 だけど私は、今とても幸せ。だって、あなたのしている事と私の今している事に、奇妙な重なりを感じられるから。


 あなたのラジオは、一つのスタジオから広い範囲に流れて多くの人を楽しませている。ラジオからあなたの声を受け取る全ての人に、希望と勇気を与える。

 川だって、それは同じ。小さな流れから始まってどんどん太くなり、広い地域を潤してたくさんの人を支えている。

 だから私が川をきれいにすれば、あなた以外にも多くの人が助かると思う。

 少しでもあなたと似たことができて、すごく嬉しいの。

 こんな所にも、私とあなたのつながりはあるんだなって。


 そんな事を考えながら、ラジオの前で満面の笑みの私を、村の老人たちが温かい目で見ている。

「本当、感心するくらいええ子やよ。こんな生きるのに必死な状況でも、他の人を思いやれるんやからなあ。

 恋っちゅうのは、すごいもんやね」

「せやな、ただ……その恋心を村の若いモンに向けて子を生んでくれたら、もっと嬉しいんやけどな……」

 ほら、またあんな事を言っている。


 確かに私のこの恋は、私の未来に自己満足しか生まないかもしれない。

 私と彼がこの先出会ってこの恋が実る可能性は、きっと万に一つもない。

 この川を下れば、あるいは会えるのかもしれないけど……こんなご時世にそんな無謀な冒険はしない。ここの下流には、京都とか大阪とか……そんな噛みつき屋の多い都市には近づけない。

 でも、私はあなたのためにと川をきれいにして、たくさんの人の未来をつないでみせる。

 そうしてあなたという存在に少しでも近づけたら……私は、幸せだから。

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