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ゾンビ百人一首  作者: 青蓮
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君がため春の野に出て若菜摘む 我が衣手に雪は降りつつ

 4月になっても、まだ寒いと思うのは気のせいでしょうか。

 寒いので、残雪と山菜ネタで。

 溶けかけの雪をぐしゃぐしゃと踏み分けて、僕は山のふもとに出かける。

 竹の籠をかついで、ぬかるんだ山道を下りていく。

 一歩ごとに足が沈むけれど、君のことを思えばこれくらいどうってことはない。

 道が多少悪くても、奴らさえいなけりゃ問題ないさ。


 やがて南側斜面に来ると、土がだいぶ顔を出している。

 黒い湿った土の中に、きれいな緑色の塊が見える。

 ふきのとうが、所々で芽を出しているのだ。

 こんな小さな命を摘み取る事に少しだけ罪悪感を覚えつつ、丸っこくて可愛らしい芽吹きを摘んで籠の中に入れる。

 一緒に来た仲間たちも、我先にと食べられる植物に手を伸ばしている。

 僕も負けていられないな、今日は君に新鮮な春の味をたっぷりごちそうするよ。


 世の中の物流が止まってから、新鮮な野菜はそうそう手に入るものではなくなった。

 特に冬の間は、こんな雪に埋もれた寒村で作物はできない。

 かといって、不用意に雪のない地域に出かけるのは自殺行為だ。

 この山を覆う雪は、畑を覆い隠す厄介者であると同時に、僕たちを恐ろしい奴らから守ってくれる天然の防御壁でもある。


 奴ら、というのは、死んでいるのに歩き回って人を襲う死体のことだ。

 死体に噛まれた人間も同じように歩く死体になるもんだから、奴らの数は増える一方だ。

 すでに南の方や平地では、人間はほとんど奴らに食われてしまったらしい。

 馬鹿らしい話だが、これは現実だ。


 しかし、この辺りに今奴らの姿はない。

 理由は簡単、みんな凍りついて雪の下に埋もれているのさ。

 奴らは死んでいるから、人間のように体温を保つ事ができない。

 そして外気温が零度をきると、体内の水分が凍りついて動けなくなる。動けなくて固まったまま、雪に埋もれてしまう。

 そうなればもう人間を襲う事もないから、この辺りは安全だ。

 少なくともこの冬は今まで、雪深い山中は安全だった。


 黒い土の間に、ちょろちょろと水が流れている。

 そう、もうこの辺りも雪解けの季節だ。

 雪が溶けて気温が上がれば、死体どもがこの辺りに来られるようになる。

 そうなる前に、できるだけ食糧を蓄えておかなくては。


 野菜不足は、案外恐ろしいぞ。

 今年の冬は集落に蓄えた穀物と時々獲れる獣の肉で生きてきたが、人間は野菜がなくては生きていけないのだと思い知らされた。

 寒さが峠を過ぎてりんごがなくなってから、それは起こった。

 十分に食べているはずなのに、なぜか元気が出ない。

 歯を磨くと、恐ろしいほど出血してしかもなかなか止まらない。

 子供たちはすぐに鼻血を出し、妊婦は出血が止まらず母子ともに助からなかった。


 その不気味な症状の正体は……ビタミンCの不足、壊血病だった。

 昔、大航海時代の船乗りによく起こったらしい。

 人間の体は、ビタミンCを常に補給しなければ生きていけないのだそうだ。

 すぐさま新鮮な植物を探し、常緑樹や笹の葉をつぶして飲んだら、症状はたちまち良くなって皆助かった。

 この事件から、僕たちは身をもって学んだ。

 雪の中で生きていくなら、野菜も蓄えるべきだと。


 僕たちはこれからも、死体にできるだけ会わないよう、高山で生きていくだろう。

 しかし高山には、ロクな植物が生えない。

 だから今のうちに、山菜を採って加工して蓄えなくてはならない。

 だいたい、山菜を採りに来られる時期もそう長くはないんだ。

 雪が溶けて土が出て……しかし温かくなりすぎると死体が動き始める。

 死体が動き出して出没するようになれば、もう安全な食糧採集はできない。いつ、どこから襲われるか分からないからだ。

 つまり今だけが、安全に食糧を集められるチャンスなのだ。


 柔らかい土から芽を出した植物を、手際よく摘み取って籠に放り込む。

 気がつけば、かなり下の方まで下りて来てしまっていた。

 だいぶ土の部分が多くなり、白い面積が狭くなっていく。

 溶けかけてシャーベットのようになった雪のふきだまりから、何かが突き出ていた。

 これは……思わず凝視してそれが何かを認識したとたん、僕は叫んでいた。

「うぎゃあああーっ!!!」


「どうした!?」

 仲間が下りてくるまで、僕は尻餅をついて動けなかった。

 白銀の雪の下から突き出す、どす黒く変色したそれは……間違いなく、死体の手だ。

 すぐさま仲間が雪を掘り起こし、動かない死体の頭をつぶした。

 ……ここに来るのが一週間遅かったら、僕はこいつに噛み殺されていたかもしれない。そう思うと、背筋がざあっと寒くなった。


 寒くなったのは、どうやら気分のせいだけではないようだ。

 鉛色の空から、ちらちらと白いものが舞い始めた。

 冷たくて柔らかいぼたん雪が、髪に、肌に降りかかる。

 ふもとから上ってくる暖気を押し返すような、重く冷たい山の雪だ。


(この調子なら、もう少し長く食糧を集められそうだな)

 だいぶ重くなった籠を背負って山を登りながら、僕は思わずほおをゆるめた。

 寒さが長引くのはいい事だ、その分君のためにより多く食糧を集めてやれる。

 これから訪れる暖かい季節は途方もなく長いが、それを越えてまた安全な冬を迎えられる確率を少しでも上げてやれる。

 だったら、この寒さを嫌がる理由なんてどこにもないじゃないか。

 そうだろ?


 白い息を吐きながら、僕は袖にまとわりつく白雪に語りかけていた。


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