来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに 焼くや藻塩の身もこがれつつ
夏休みももう終わりですが、今年は子供が小さいので海に行けませんでした。
海が恋しいので、夕凪の海に想いを馳せて。
前回の『瀬をはやみ~』とリンクしています。
愛する男と別れ、一人生き残った女の胸中です。
黒く乾いた海藻を、朱色の炎がなめていく。
紫から山吹色のグラデーションを見せる空に、一筋の煙が上っていく。
風のない静かな砂浜で、私はじっと燃えていく海藻の山を見つめていた。波の音も穏やかで、時の流れすらもゆっくりになったように思える。
私だけが浸っている、ゆるい時間。
あなたと共に過ごしたかった、安らげる時間。
凪いだ海面は薄く霞み、その向こうに対岸が見える。
あのどこかに、私とあなたが誓った川が流れている。
ここから見える稜線の山々から生じ、途中で分かれても必ずこの海に注ぐ、澄んだ流れ。全ての水は海を目指すから、きっと全てここに来る。
だからあの川を目印に下って、河口近くで再び会おうと約束した。
私とあなたもいつかあの川の流れのように、また一つになれると信じて。
でも、あなたは今ここにいない。
山中で別れてからだいぶ経って、私がここに来てからもしばらく時が経ったのに……。
待っても待っても、あなたは来ない。
確かに私は、約束の河口のある対岸からは離れてしまった。
河口のある沿岸地域は元々人口が密集していた大阪や神戸に近くて、安全が確保できなかった……不死者が多すぎて留まるには危険すぎた。
私は運よくそこで巡回中の警備隊に拾われ、安全なこの島に連れてこられた。
聞けば、あの沿岸の生存者は、不死者の大群を避けるためにほとんどこの島に避難したらしい。今も、そしてこれからも、沿岸に現れる生存者は皆ここに回収してくるそうだ。
だからあなたもきっと、いつかは沿岸まで逃げてきてこの島に回収されてくると信じて……私は、今日も待ち続けている。
天高く昇る煙は、あなたの目に届くだろうか。
夕焼けを帯びた美しい空に立ち上る、一筋の煙。
そのたもとで燃えている海藻に、私は自分を重ねる。もし気持ちに本当の意味で温度があるのなら、私もきっとこんな風に炎をまとって煙を上げているのだろう。
灼熱の中で身を捩り、のたうつように形を変えて崩れていく。
それでも彼らにはまだ、終わりがある。終わりがあるから、幸せだ。
私のこの身を焼かれるような苦しみに、終わりはあるのだろうか。
私はあなたに会いたくて、あなたの無事な顔を見たくてたまらない。あなたの事を考えると、居ても立ってもいられなくなる。
この持て余す慕情は、あなたが来てくれるまで終わらない。
あなたが来てくれるかは分からないから……終わりがあるかも分からない。
熱く熱く、燃え尽きる事のない苦しみ。
考えても考えても、絶える事のない煉獄の如き後悔。
私の魂を苛む炎が慕情だけなら、どんなに楽だっただろう。
でも私に取りついた消えない炎は、もっとずっと残酷な色を帯びている。
それは、後悔……あなたがここに来られないのは、多分、私のせい。
山中であなたと別れた時、あなたは私を細い山道に逃がして、迫りくる無数の不死者を一身に引き受けてくれた。
愛する私を死なせないために、囮になってくれた。
自分だけならきっと逃げ切れる、お互い生き残って再会しようと約束して。私はそれを信じ、山道に潜んで生き長らえた。
その時の私は、本当に愚かで罪深かった。
自分の非力を棚に上げて愛の力を盲信し、あなたに重い鎖のような期待を押し付けていた。愛さえあれば何でも何とかなると、あなたに依存しきって生きていた。
その何とかなるという安直な考えで場当たり的に行動し続けた結果、私たちは大量の不死者に追われ、二人で生きる道を塞いでしまった。
逃げている最中でさえ、気持ちがあればきっと大丈夫と言い続けて、冷静に考えるということをしなかった。あなたにそうさせなかった。
結果、私とあなたはどうしようもないほど消耗し、二人で逃げる事ができなくなった。
気持ちだけではどうにもならないという現実に気づいたのは、あなたと別れてから。
いくら心で叱咤しても動かない体に愕然としながら、私はようやく気付いた。目の前の現実を冷静に考えてやるべき事をやらなければ、生き残る事は出来ないと。
そして、もう一つ気づいてしまった。
冷静に考えて、囮になったあなたがあの状況から逃げきれる確率はほとんどない。
そこまで追い込んでしまったのは、他の誰でもない、私。
あの時の事を思い出すたびに、私は身を焼かれるような後悔に襲われる。
愚かで罪深い私にふさわしい、魂の焦熱地獄。
できることなら今すぐにでも、あなたに謝りたい。私のせいであんな目に遭わせてしまったあなたに、思いつく限りの言葉で詫びたい。
でも、あなたが来ない限りそれはできない。
そして今日も、あなたは来ない……。
私は海藻を焼きながら、対岸を見つめる。
別の日は海水を汲みながら、対岸を見つめる。
私は今、他の人の生きる助けになるようにやるべき事をやっている。人の生きる源である塩を少ない燃料で作るための藻塩作りを、頑張って手伝っている。
愛だけでは人は生きられない、それが分からなかった自分への戒めとして。
それでも、この島を越えてさらに先の安全地帯へ引っ込むことは心が許してくれない。
本当は、私のような非力で感染していない人は、さらに先の安全地帯まで行く方が望ましい。そこで再び人間社会を作る手伝いをし、もっと言えば新しい相手と結ばれて次世代へ命をつなぐのが役目だ。
でも、私にはそれができない。
この島を越えた先の安全地帯……徳島まで行ったら、もう約束の河口が見えないから。
近畿、中国地方の生存者がまず集められる、ここは淡路島。
安全地帯となった四国に感染者を入れず、警備隊を送り出す架け橋の島。
そしてその北端近く、不死者の世界への最前線であるこの砂浜。
私はきっとこれからも、ここで藻塩を焼くのだろう。
やり場のない後悔に身を焼きながら、来ないあなたを待ち続ける。
でも、こんな私にまだ祈る事が許されるなら、私は迷わずあなたの事を祈る。
どうか、生きていてほしい。無理して私に会おうなんて思わなくてもいい、別の誰かと幸せになっていてもいい。
だって、あなたは私のために十分すぎる事をしてくれた。
身を焼かれる地獄で苦しむのは、きっと私一人で十分だから。




