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ゾンビ百人一首  作者: 青蓮
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瀬をはやみ岩にせかるる滝川の われても末にあはむとぞ思ふ

 暑いので水に関係する歌です。


 ゾンビもので定番の追われる状況を、かなりハードに設定してみました。

 愛し合う二人、しかし体力は尽きかけて追ってくるゾンビは大量で……愛を守るために、優しい男が下した悲しい決断とは。

 僕は、君の手を引いて走っていた。

 僕の息も君の息も、もう切れ切れで限界が近い。お互い何度も転んだせいで、足にはあまり力が入らずガクガクと震えている。きっとズボンの下は、あざだらけのお揃いだ。

 それでも僕たちは走らねばならなかった。

 空腹に身もだえし、獰猛な唸り声を上げる大群が僕らを追ってきているから。


 振り返れば、さっき僕たちが抜けてきた交差点は既に奴らに埋め尽くされていた。

 腐臭とねばついた涎をまき散らしながら、洪水のように押し寄せてくる。白く濁った目に獲物だけを映して疲れを知らずに行進する、不死者の群れ。

 虚ろで感情のない、しかし悪意を持っているように発せられる唸り声が重なり、大きな音の波となってさらに不死者を引き寄せる。

 僕たちが来た方だけじゃなくて、左右の道からも次々と不死者が合流する。

 道幅の全てを人影で埋め尽くす、暴食の壁が迫ってくる。


「はあ……はあ……嫌だよ、死にたくないよ!」

 君はかすれた声ですがるように言って、僕の腕を強く掴む。

 不意にかかった君の重さで危うく膝が砕けそうになったが、何とか歯を食いしばって耐えた。しかし、あと何回同じことができるかは分からない。

 僕だって、もう疲れと恐怖で顎すら外れて落ちそうなんだ。


 だが、逃げるのをやめればその先には何もない。何も残らない。

 不死者共は、僕と君をその飽くなき食欲で食い尽すだろう。

 しかも、あれだけの数……おそらく、もう数十の単位では済まない。それだけの飢えた口が、一斉に僕たちを貪るのだ。

 きっと僕たちの肉を全て合わせても、奴らの飢えを満たすには全然足りない。

 僕たちは一片の肉も残らず、道端に骨を散らすことになる。


「絶対、二人で生き残ろうね……二人なら、きっとできるから!」

 ああ、君は一途に愛の力を信じている。

 でも、愛では物理的な状況は変えられないんだ。

 どんなに心で願っても、体が動かなくなる時は来る。それに、あの不死者の大群が消えてくれることはない。

 いくら愛にすがったって、きっとその先にあるのは共倒れだけだ。


 僕はここまで何度も、君にそれを言おうとした。

 けれど、そのたびに君の愛を信じ切った目に押されて、口をつぐんだ。

 でも、力尽きる時は刻一刻と迫ってくる。

 何とか君だけでも逃げてほしい……君一人だけでも、助かってほしいのに……。


 どれだけ逃げ続けたのか、僕たちはもう走ることもできなくなっていた。

 しゃべる力もなく懸命に呼吸をしながら、互いによりかかるようにしてどうにか足を前に進め続けている。

 不死者共がのろいおかげで未だに追いつかれてはいないが、もう振り切る事は出来ないだろう。

 街から出て山に入り、大きくカーブした国道の後方……姿は一時的に見えなくなったが、さっきよりさらに厚みを増した低い合唱は絶え間なく響いてくる。

 いずれあのカーブの向こうから、隙間もないほど密集した不死者の流れが姿を現すだろう。


 前方に広がるのは、真っ直ぐで隠れる場所のない広い道路。山側と谷川の崖に囲まれて逃げ場もない。

 しかし、その前に一か所だけ、山に入れそうなところがあった。登山道なのか獣道なのか、細いけれど確かに一人ずつなら通れそうな道が。


 僕は、すぐさま君の手を引いてそこに向かう。

 あそこに入れば、不死者共の視界から逃れられるはずだ。

 天から垂らされた一筋の糸のように、僕たちに与えられた希望。僕の肩に寄せられた君の顔も、泣きそうながら笑っていた。

 だが、僕はこれから君に、残酷なことを告げねばならない。


 あの山道に入るのは、君だけだ。

 僕はこのまま、国道を行く。


 どうして、と君は絶望したように顔を歪める。

 そんな君の肩を抱いて、僕は告げる……二人で、生き残るためだと。


 このまま二人で山道に入っても、不死者が僕たちを諦めてくれるかは分からない。

 目標を見失って散り散りに迷走を始めるとしても、あの数だ。群れの一部はきっと山道に入り込み、僕たちを追い続けるだろう。

 それを防ぐために、僕は国道でわざとこの身を晒し続ける。

 そうすれば不死者共は見える僕を追ってきて、山道の方には行かないはずだ。

 その間に、君は不死者共から離れていくといい。


 ああ、君は離れたくないと僕の手を握って泣く。

 僕との愛を頼りに生きてきたのに、それを失ってしまったら自分にはもう生きる意味がないと。

 だが僕は、そんな君の手を握り返し、潤んだ目を正面から見つめて言った。

 僕は君を見捨てる訳じゃない、君と僕が確実に生きて再び会うために一時別れるのだと。僕は、死ぬつもりなどないと。

 僕たちは、愛し合う未来のために別の道を辿るだけだ。


 それでも離れがたい君に、僕は谷の向こうに見える滝を指差す。

 ごうごうと音を立てる真っ白な水の流れが、真っ黒な岩にぶつかって二つに分かれている。二つの流れはそのまま谷の林に吸い込まれ、行き先は知れない。

 だけどあの流れは、いつまでも別れたままだと思うかい。

 全ての水の行き着く先が海である以上、あそこで別れた流れも海で一緒になる。どんな道を通ろうと、目指す先が一緒ならいつかはそこで会える。


 僕たちも、海へ向かうという目標は同じだ。

 今見えているこの川を目印に、海を目指そう。そして河口近くにある生存者の集落に身を寄せていれば、いつかきっと会える。


 さあ、不死者共が姿を現す前に早く行くといい。

 疲れ果てた君の足ではあの群れを振り切るのは無理だろうけど、僕一人ならまだ何とかかりそうだ。君は山道の奥で不死者が行ってしまうのを待って、ゆっくり来ればいい。

 大丈夫、愛はきっと負けない。君の言葉を、君が信じるんだ。

 幸い、ここなら君が多少音を立てても滝の音がかき消してくれる。不死者共は視覚に頼って、僕だけを追ってくるだろう。


 涙を拭って君が山道に消えた時、僕は安堵した。

 これで僕は、今まで何度も口をついて出そうだった言葉……君のその気持ちが一番重くて疲れるんだと言ってしまわずに済んだ。

 本当言うと、もっと早く別れていればここまで消耗せずに済んだだろう。

 正直、僕にこの大群から逃げきれる体力があるとは思えない。


 それでも、僕は最期まで君を傷つけたくなかった。

 僕は今でも君が好きで、愛しくてたまらないから。

 だからもし、逃げる必要のないあの世で再び君に会えたら、今度は君を放さないよ。全ての人の魂は、きっとそこにつながっているから。

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