月見ればちぢに物こそかなしけれ 我が身ひとつの秋にはあらねど
月キャンペーン第6弾、秋の歌ですが月に含めます。
秋の歌はまだたくさん残っているので。
月の満ち欠けと季節の移り変わり、そして人間の衰退していく悲しさを重ねて。
たまには満月や有明の月以外の月も書いてみたい。
名月の日は過ぎ、風が涼しさを増していく。
外に出るにはいい季節だ。
僕は竹籠を背負い、水筒を腰に下げて夜道を行く。頭にはシンプルな野球帽、足には履き慣らしたスニーカー、そして手には……赤黒く血のこびりついた鉈。
ただのハイキングには少々物騒な装備だ。
月の光が照らしだす農道を、僕は足早に歩く。
本当はもっと早く帰ってくるつもりだったのだが、思った以上に収穫が多かったのでつい遅くまで頑張ってしまった。
背中の竹籠には、周りの野山や放置された畑で採れた野菜や果物がずっしりと詰まっている。
これらが食べるのに適した状態で採れる時期は限られているのだから、その間にできるだけ収穫して保存食にしておくのが望ましい。
実りの季節は、いつまでも続く訳ではないのだから。
秋が過ぎれば、冬が来る。
地球という星が季節を手に入れてから、えんえんと繰り返されてきた変化だ。
秋には多くの草木が実をつけ、それを食べた鳥獣は太り、野山は美味と栄養を満載した食卓となる。
人間もその恵みをたらふく味わい、各地で実りに感謝する祭りが催される。豊富で美味な食物に舌鼓を打ち、存分に腹を満たす。
この豊かな季節の後に訪れる、不毛の冬を生き抜くために。
そう、実り多き秋の後には冷たく無慈悲な冬が来る。
草は枯れ、木は葉を落とし、動物は巣穴にこもってひたすら眠りを貪る。日が陰り寒風が吹きすさび、食物が消え失せるこの季節を乗り越えるために。
冬は辛く厳しいが、それを越えれば春が来る。
温かい風と栄養豊富な雪解け水に導かれてやってくる、再生の季節を迎えるのだ。
僕たち人間だって動物なのだから、生きるには食物が必要だ。
これから訪れる冬を乗り切るために、できるだけたくさん蓄えておかなければ。
スーパーやコンビニに行けば季節問わずいくらでも食物が手に入った、そんな繁栄の時代はもう終わったのだ。
生きるためには、自分の足で動いて食物を集める必要がある。
この辛い時代を生き抜き、いつか来る明るい時代に向かうために。
今、人間という種族は冬の時代へ向かいつつある。
つい数週間前まであった人間中心の華やかな社会は、とっくに崩壊した。
生ける屍がものすごいスピードで人間を襲って仲間に引き込んでいくにつれ、人間の便利で楽な暮らしを支えていた社会のシステムは機能を失った。
もうスーパーやコンビニに食物は届かない、運び手がいなくなったから。電気もガスも水道も使えない、それらを管理する者がいないから。
当たり前と思っていた科学技術の恵みを失い、人間はますます数を減らしていった。
今はまだ保存食や備蓄された燃料を漁って生きている人間もいるが、やがてそれらも尽きるだろう。
生きるための恵みが絶える、冬がやって来る。
だが、冬の後にはきっと春が来るはずだ。
辛く苦しい時期の後には、再び発展と繁栄の日々がやってくるはずだ。
人類の歴史も季節と同じだ。芽吹きの春、発展と生産の夏、成熟と飽食の秋、そして衰退と不毛の冬を繰り返す。
だからきっと、この危機からもいずれ持ち直す日が来る。
それを信じて、僕は生きるためにできるだけの努力をしている。
とりとめのない事を考えながら、僕は足を進める。
道のわきにはすすきが茂り、銀色の穂が爽やかな風になびいている。今は緑色の葉が地面を覆っているが、やがて茶色く枯れて穂も散り果てるだろう。
空には、昇ったばかりの月が輝いている。満月から少し欠け、半分がラグビーボールの形になった月。
そう言えば、月の満ち欠けも季節と同じだ。
周期はずっと短いが、月も成長と衰退を繰り返す。針のように細く現れては日々太って満ち、満月を過ぎると日に日に痩せてやがて見えなくなる。
気づいてみれば、僕を囲むのは衰退の印ばかりだ。
冷たくなり始めた風、種を残して後は枯れるばかりとなったすすき、新月に向かって後は欠ける一方の月。
その全てが、今の人間の運命を象徴しているようで、僕は何となく心が沈んだ。
これから細っていくのは、僕たちだけではないのに……いや、周りも皆そうだからこそ、救いがないように思えて悲しくなる。
気分が沈むにつれ、僕はいつの間にか頭を垂れて俯いていた。
下を向くと、足元しか見えなくなる。視野が狭くなる。
そのまま足を進めるうちに、いつしか足は長く伸びたすすきの影に入り……それの存在に気づいたのは、動くものがジーンズ越しに僕を掴んだ時だった。
「うわっ!?」
反射的に振り払い、僕は道の中央に転がり出る。
尻餅をついて慌てふためく僕の前に、そいつはずるりと這い出してきた。
月の光に照らされた白い道に、まず所々不自然な方向に曲がった五本の指を持つ手が、ボサボサに乱れて妙な形に固まった髪が、それらをまとめた人間の形が伸びてくる。
顔を上げると、濁った目が月の光を反射して白く光った。
そいつが再び手を伸ばす前に、僕は鉈を振り下ろしていた。
厚い刃が白い目と目の間にめり込み、そいつは急に力を失ったように動かなくなった。
危なかった……あと少しだ噛まれるところだった。間違いなく、生ける屍だ。すすきの影が作り出す暗闇に、音もなく潜んでいたのだ。
こいつの歯が少しでも食い込んだら、もう助からない。だが、寒さや下草対策に厚手のジーンズをはいていたおかげで、歯も指も直接触れずに済んだ。
油断していた……今となってはもう、こいつらが現れない土地なんてないのに。
暗闇を見たら、できる限り離れて通るべきだった。物思いに沈んで、無意識にこれまでと同じところを歩いていたのがいけなかった。
そう、同じところはもう安全ではない。
今は秋、そして満月の日は過ぎた。
これから日は短くなるばかりで、さらに月の出は遅く、光は弱くなっていく。日が落ちて暗くなるのは思っていたよりはるかに早く、さらに昨日のこの時間よりも月が低いせいですすきの影はずっと長く伸びていた。
安全な場所と時間が、どんどん削られていく。
一息ついて月を見上げると、胸が締め付けられるように苦しくなった。
生きるための恵みが、目に見えて少なくなっていく。
まるで季節と月が結託して、僕を追い詰めているようだ。
この調子では、もう明日以降は今日より遠出はできなくなるだろう。
日の光も月の光もない暗闇では、音もなく近づく生ける屍に気づくことがきでない。そんな状態で外を歩くことになれば、僕の命はいくつあっても足りない。
日が短くなる以上に、月の出が遅くなるのは非常に痛い。
今日は日の光が消えた時にどうにか月が東の空にあったが、明日にはもう暗闇の時間帯が生まれる。
惰性で同じように出かければ、命取りだ。
しかし同時に、もう少し頑張らなくて大丈夫かと焦りも湧いてくる。
単純に、これまで蓄えた分と日中に動ける範囲にある食物だけで冬が越せるのかという問題だ。
自給自足で冬を越した経験などないので、こればかりはどれだけ蓄えればいいのか分からない。
多く蓄えた方がいいのは確かだが、そのために無理をして命を落としたら本末転倒だ。
ああ、秋の月は残酷だ。
欠けて出が遅くなっていく月は、生存の道をどんどん狭めていく。
月に阻まれて動ける時間帯が減り、月が再び太り始める頃には、今が盛りの山の恵みは収穫の時期を逸して腐り落ちているだろう。
僕が取れる選択肢は、少しの間命の危険を冒して恵みに手を伸ばすか、確実に明日を生きるために恵みを諦めるかだ。
しかし、それでもまだ僕には選択の余地がある。
屍に追い詰められ、八方ふさがりで選ぶ余地もなく死した者たちがどれだけいたかと考えれば、僕はまだ幸せなのかもしれない。
幸せ……そう思うと、なぜか涙が湧いてきた。こんな僕でも、まだ幸せなのだ。
今は確かに人間にとって衰退の季節、しかしその衰退はどれほど深いものになるのか。
まだ繁栄の季節の恵みが残っている今でさえこんなに厳しいのだ。それらがなくなる時が、どんなに無情で冷たい冬になるのか。
こんなに厳しい季節でさえ、まだ月の光が欠け始めたばかりかもしれないのだ。
そうなのかと月に問えば、満月より少しだけ弱まった光が投げ返された。
月はこれから細るばかりで……新月までには、なお長い日々を残していた。




