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ゾンビ百人一首  作者: 青蓮
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わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと 人には告げよあまの釣舟

 ゾンビの世界で最も理想的な避難場所といえば、離島です。

 しかしそこに辿り着くにも、相当な困難を乗り越えなければなりません。

 それでも愛する人のために海に挑む場面を描いてみました。

 目の前に広がる、果てしなき大海原。

 もしその先に楽園があったなら、必ず君を連れていくよ。

 だからどうか、今一時のこの別れを耐えてほしい。

 僕は大切な君のために、新天地を探しに行くのだ。


 ポンポンと音を立てて、船が進む。

 振り返れば陸地はすでに遠く、あんなに目に焼き付けようとしていた君の姿はおろか、そこに人がいるのかすら見分けがつかなくなってしまった。

 船の進む方向には、どこまでも青い海。

 底の見えない濃い青の水面が、内海とは比べ物にならない高さで波打っている。

 僕たちはこれから、この海に挑むのだ。


「ここまで来りゃあ、ひとまずは安心だわな」

 仲間の一人が、くつろいだ表情で海原を眺めてつぶやく。

 船の周りにあるのは、水面ばかり。水底は船底のはるか数百メートルも下。この船と固い地面をつなぐものは今はない。

 これだけ遠く隔てられていれば、這い上がってくるモノはいない。

「あのおぞましげな亡者共も、ここまでは手が届くまいて。

 錨の鎖にさえ気を付けりゃあ、ここは楽園じゃあ!」


 その言葉に、他の仲間たちも自然と笑顔になる。

 どことなく苦しいような申し訳ないような、しかし心からの安堵を隠せない笑顔。

 だってここには、陸地では決して得られない安心があるのだから。


 陸地に足をつけた生活は、常に危険と隣り合わせだ。

 人間と同じように地に足をつけてその上を堂々と歩き回る、亡者共が常に僕たちを狙っている。いつどこで、何をしていても常に警戒しなければならない。

 地続きであれば、奴らはどこにでもやってくる。

 風に乗って流れるわずかな人間の匂い、生活の匂いを感じ取り、白く濁った目で人間の動きや生活の光を感知して、血糊と粘液でべたべたの歯で肉を食いちぎろうと寄ってくる。

 昼も夜も関係なく、いつでもどこにでもやって来る。


 亡者がこの世を歩くようになってから、人の生活は常に亡者に脅かされるようになった。

 人は亡者から身を守るため、堅固な建物に籠ったり、集落の周りを柵や壁で覆って亡者の侵入を防ごうとした。

 しかし、地続きの場所である限り、それは所詮一時しのぎに過ぎない。

 亡者の数が少なければある程度はもつかもしれないが、自分の体が潰されるのも構わず後から後から押し寄せる亡者の大群の前には多少の障壁など無効だ。亡者共は疲れ知らずに壁や柵を押し続けて壊し、己の痛みも他者の痛みも気にせず折り重なって高所にも手を伸ばす。


 だいたい、亡者共の元はこの国に暮らしていた人間なのだ。

 地上を席巻してひしめき合っていた人間がほとんど亡者に置き換わった今、この国にいる亡者の数は数千万を数える。

 そのうちの一万やそこらが襲ってきたら、もう守る術はないのだ。


 ならば、どうすればそれを避けられるか。

 その答えは、海にあった。


 亡者共は一般的に、水に浮かない。

 息をする必要がないから、水に入ればすぐに肺一杯に水をためてしまい、浮力を失って水底に足をつけ、地上と同じように歩いて移動する。

 時折勢いをつけて浮き上がろうとする奴もいるが、そう長く水底から離れてはいられない。

 それに亡者共は水の中では動きがいつもに輪をかけて鈍く、さらに水流や腐敗の加速で肉を削がれて地上よりずっと早く消滅する。

 だから亡者から身を守るには、水を使えばいい……それは正しい考えだった。


 しかし、水そのものが万能ではない。

 陸からの距離が近ければ亡者は消滅せずに上がってくるし、水深が浅ければ水面から手を伸ばして船に這い上がってくることもある。

 実際、海や川を防壁にしようとしたいくつもの生存者の集落が、その手の不意打ちで滅んだ。


 それに、水に囲まれるということは自分たちの生活の場も制限されるということだ。

 海の上では野菜を育てる事も、真水を得ることもできない。

 それらを得るためには必然的に陸に近いところや一方が陸とつながったところに暮らさねばならず、不便の割に危険はあまり減らない。

 海に囲まれ陸から離れていて、さらに暮らしの場となるある程度の広さの地面が必要だった。


 そんな理想的な場所はないものか……。

 実は、この国には割とたくさんある。

 海に囲まれた島国ならではの、珍しくもない地形……列島から離れた離島だ。


 離島には、僕たちが生きるのに必要なものがだいたい揃っている。

 大量の亡者がさまよう列島からの十分な距離と水深、暮らしの場となるある程度の広さの地面、そして森のある島では確実に真水が得られる。

 亡者の大群に怯えることなく、自分たちが自給自足の生活を営める理想郷。

 僕たちはこれから、そこを探しに行くのだ。


 もちろん、簡単にたどり着ける訳ではない。

 僕たちの中にはそんなに長い航海を経験した者はいないし、海は気まぐれで時に容赦なく牙をむく。

 それに、近くの島はすでに同じことを考えた避難民で一杯だったり、運が悪ければ海賊の根城になっているかもしれない。

 危険は多い……しかし、行かねばならない。

 大切な君と仲間たちを、亡者の大群から守るためには。


 いつしか陸が見えなくなり、陸の近くでよく見かけた漂流船の影もなくなる。

 周囲を見渡して目に入ってくるのは、どこまでも続く水平線とたった一つの船影のみ。大きな網を巻き上げる手を止め、乗員皆がこちらに手を振っている。

 こんなに陸から離れたところで他の船に会うのが、向こうも珍しいのだろう。

「どこまで行くだ?」

「安全に暮らせる島までだ!」

 そう答えると、向こうから見つめてくる視線が潤んだ。

「水と食糧、少しなら分けれるけど、要るか?」


 ああ、ただ魚を獲るだけの男たちも理解している……僕たちの旅路が、いかに困難な道であるかを。

 海に囲まれたこの小さな船で、魚以外の食料と真水の補給はできない。それが尽きる前に補給できる島を見つけられる保証はない。

 生きるためのこの旅は、死と隣り合わせなのだ。


 それでも僕たちは、新天地に賭ける。

 何もせずに亡者の大群を待つよりは、一部の命をかけても安住の地を探す。

 たとえ見えないところにいても、僕たちは決してこの旅を放り出して逃げたりしない。

 もし漁の途中、僕たちの集落に寄ることがあれば、それを大切な人に伝えてはくれないか。

 僕たちがいない間、彼女たちも必死で僕たちの帰る場所を守ってくれているのだ。


 それだけ伝え終えると、僕たちは列島に帰る船を背にし、さらなる大海原へと突き進んでいった。

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