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ゾンビ百人一首  作者: 青蓮
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しのぶれど色に出でにけりわが恋は 物や思ふと人の問ふまで

 何らかの理由で恋を打ち明けられないのは、よくある話です。


 しかし、それが他者からの強制であったとしたら?押し殺さなければ、生きていけない状況であったとしたら?

 しかし皮肉にも、押さえつける力が強い程、爆発した時の衝撃は大きくなるのです。

 恋愛禁止……一体、どこの世界の話だろう。

 私は人の注目を集める女優でもなければ、可愛らしさでお金を稼ぐアイドルでもない。

 ごく普通に生きてきて、ごく普通に恋に憧れていただけなのに。

 どうして、あんなに温かくて楽しい自然な感情まで禁止されないといけないのか。


 この世には男と女がいて、燃えるような恋がある。

 映画で、ドラマで、漫画で、アニメで……ありとあらゆる私たちを楽しませる架空の物語の中にも、恋はあらゆる場面に散りばめられている。

 当然私もそれを見て育ってきたし、身近な人が恋をするのも見てきた。

 私たちには、生まれながらに恋をし、それを成就させるために行動する権利がある……これはいつの時代のどんな場所でも変わる事のない、当たり前の事だと思っていた。


 その当たり前の権利を、どうして取り上げられなければならないのか!

 しかも今、このタイミングで!!


 私たちの暮らす場所にも、男と女がいる。

 老若男女いろんな人がいて、毎日たくさんの人と顔を合わせて、他愛のない話をする。

 今日の天気のこと、それぞれに割り当てられた仕事のこと、明日からの食べ物のこと、そして新たな脅威のこと……そこに色恋の話はない。

 年頃の女の子が数人集まればごく自然に始まるその楽しい話は、ここには存在しない。

 理由は簡単、禁止されているからだ。


 その規則には、老若男女例外はない。

 夫婦という関係は認められるが、それ以外の普通の恋愛関係はあってはならない。元から恋人同士だった場合は、速やかに夫婦となるか別れるかを選ばされた。

 新たに恋愛感情が生じた場合も、発覚した時点で同じ処置がとられる。

 0と1しかない、無機質な関係しか、認められない。


 なぜそんな事がまかり通るのか、理由は生き残るためだ。

 なぜなら、恋愛はいろいろトラブルの種になるから。三角関係、浮気、そして恋愛感情につけこんだ犯罪……恋は常に、そうした危険と隣り合わせだ。

 そしてそういうトラブルは、昔から時に命取りになってきた。

 今は、それが私たち全員の命を脅かしかねないほころびを生む。

 恋をする当事者の問題で、全員の命が危機に陥ってはかなわない。それが嫌なら、トラブルの種となる恋愛そのものを根こそぎ刈り取ってしまおうという理論。


 普通ならまず成立しない、乱暴な理論。

 でも、反対意見はあまり出なかった。


 だって、周りを見て!私たちの生きる世界は、もう普通じゃない!

 普通に考えたらお棺に入れられて微動だにしないはずの死体が、立ち上がって我が物顔で街をうろつき回っている。

 人間は普通同じ種である人間を食べないはずなのに、死体どもは人間の死体なのに人間の肉を食べようと襲ってくる。しかも、普通の人間の食べ物には見向きもしないで。

 街がこんなだから、普通の生活なんか営める訳がない。

 そしてこんな状況で生き残るために、あらゆるトラブルの種はできるだけ刈り取られなければならない。


 これは、戦時下の統制のようなものだ。

 生きるためには仕方ない、私もそう思っていた。

 胸の中の小さな想いを、自覚するまでは。


 いつからそうだったかなんて、正直はっきりとは分からない。

 ただ、親切だなとか、もっと喜んでもらえたらとか、何度もそういう気持ちを抱いたのは間違いない。

 例えば、死体に襲われる危険を冒して外に行き、食糧だけじゃなくて洗顔料とかブラシとか、女の子に必要なものを集めてきてくれた時。

 この人は、私たちの気持ちを分かってくれてるんだなって、すごく嬉しかった。

 それから、戦う力が乏しくて外に出られない私たちに、今外の様子がどうなっているだとか、見てきた場所の様子と自分の思い出を交えて話してくれた時。

 私にそんな事まで教えてくれるんだって、外の様子を聞けるドキドキも相まって、自分でもびっくりするぐらい聞き入っていた。


 彼にしたら、全ての女の子への気遣いの一環なのかもしれない。

 だけど私にしてみたら、たった一人のこんなに優しい人。

 色恋沙汰を避けるために女性とは過剰に距離を置いている他の男とは違う、私と道の世界をつないでくれる唯一の窓。


 深窓の姫君がどうして恋に落ちるのか、分かる気がした。

 他愛のない話をされるだけで私は胸が高鳴って、いつまでもこの時間が続けばいいって……。


 でも、この気持ちを大っぴらに表に出すことは許されない。

 そんな事をすれば、私と彼は今すぐ夫婦になるかどうかを迫られてしまう。そしてもし彼がその気でなければ、私の恋は終わりだ。

 彼の気持ちは分からない、彼が優しくしている他の女の子たちの気持ちも分からない。

 誰か他に彼の気持ちを知っている人はいるのだろうか。でも、もしいたら、その子の方が私より彼のことを分かっていることになってしまう。

 そんな人はいる?いない?いるなら、誰……。


 突然、側でしゃべっていた女の子が顔をしかめた。

「ちょっと、聞いてんの?」

 私は慌てた。考えるのに夢中で、今の話はこれっぽっちも頭に入ってこなかった。

 そんな私をいぶかしげに見て、他の女の子たちは言った。

「アンタさあ、最近ヘンだよ?アタシらがしゃべってても、辛気臭い顔でぼーっとしてるばっかりでさ。

 何か、悩み事でもあんの?」


 私は、大慌てで首を振って笑顔を作った。

 言える訳がない、幹部の男の人たちに知られたら終わりだ。それに、もしこの中に彼と仲のいい女の子がいたら、これ幸いと告げ口するかも……!

 自分でも恐ろしかった……今まであんなに仲良くしていた他の子に、こんな感情を抱くなんて。

 でも、止められない……聞きたくて聞けなくて、言いたくて言えなくて、口に出したいことを胸に溜めるたびに頭の中がクシャクシャになって……。


 それでもこの想いを潰されないために、私は黙って自分を押し殺すしかない。

 恋愛禁止を守らせるために定期的に行われる講話も、黙って聞くしかない。

 このご時勢に恋愛にうつつを抜かす事がどんな悲惨な結果を招くか、威圧的な声でとうとうと語られる。

 夫婦の一方が浮気して、暴力沙汰になったあげく、戦闘の要であった男が出て行ってしまった話。恋に夢見心地で二人の生活を目指して駆け落ちしたあげく、結局二人とも死体に食われてしまった話。魅力的な詐欺師の男に女が騙されて食料を盗み、それをどう裁くかで集団が内輪もめを起こして自滅の道を辿った話。


 残念なことに、それらは全てノンフィクション。

 実際に他の生存者の集団で起こった、致命的なトラブルの数々。

 それが全て事実であり、間違いなく恋愛に起因しているということが、聞いている者の心に重くのしかかる。

 でも私は、それすら素直に受け入れることができず、下を向いたまま反骨心を燃やし続けていた。


 話が終わった後、彼が幹部の人に呼ばれて注意を受けているのを見た。

「……ずいぶん女の子に優しくしているようだが、おまえは皆の命が惜しくないのか?

 自分と女の子たちのためを思うなら、あんな事はもうやめて……」

 聞いた瞬間、頭の中が一瞬でグラグラと沸き立った。


 何言ってんの、こいつらは?私が毎日何を心の支えに生きてるか、分かってんの?

 だいたい、あんたらは悪い例ばっかりあげつらうけど、それって全部私とは関係ない他人の事だよね。

 愛のために命をつないでる人は、生きてちゃいけない訳?

 冗談じゃない、生きてちゃいけないのはどっちだと……!!


 胸の鼓動が速い、体に力が入りすぎて焼き切れそう。

 それでも周りに悟られちゃいけないから、少しでも落ち着くために冷水で顔を洗い続けたけど、何度顔を上げても鏡に映るのは牙をむいた鬼ばかり。

「ねえ、あんた何か悩んでるなら……」

「別に、何も、あんたには関係ない!!」

 見かねたおばさんが声をかけてくれたけど、私は全身をいからせてはねのけた。

 こいつもきっと、密告して私の恋を潰す気なんだ。吐き出したらだめだ、吐き出したら断たれてしまう。いや、もう周りの人に気づかれてしまったんだから……。


 辛くて苦しくて、どんなに悩んでも答えが出なくて。

 相談できる人は誰もいなくて、やり場のない感情はマグマのように煮えたぎって……地表に煙が出始めた時にはすでに遅く……。


 それから程なくして、生存者の集団の一つが火事に見舞われたという。

 最近挙動不審になっていた女から事情を聞こうとした矢先に起こったらしいが、詳細は定かでない。

 生き残った者によると、夜を焦がす炎の中、集まってきた死体の襲撃もあって地獄絵図と化した避難所で、恍惚の表情である男の名を呼んで彷徨う女の姿があったという。その女は、立ち塞がる者の頭を相手の生死問わず割って歩いたそうだ。

 生き残った幹部は再び別の場所に拠点を移そうとしたが、ついて来る者はごっそりと減った。

 そこの方針に何らかの不満を持っていた若い世代が、それを機に別の集団に走ってほとんどいなくなってしまったせいだ。

 そして守る力を失って老人ホームのようになった集団は、あっという間に死体に踏みにじられて文字通り棺桶になったという。


 この事件が周辺の集団にどんな影響を与えたかは分からない。

 だが、少なくとも一つの教訓は与えた。

 忍び続けて孤独の中で狂った恋は、目に見える色恋沙汰よりはるかに恐ろしい。

 人の感情を外からの力で押さえつけ続けることはできない、耐え続ければ耐え続けるほど爆発した時の威力は増していく。

 隠させるなかれ、目を背けることなかれ。

 必死で隠していたものが隠せなくなった時、それは手遅れ以外の何物でもないのだから。

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