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ゾンビ百人一首  作者: 青蓮
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もろともにあはれと思へ山桜 花よりほかに知る人もなし

 花キャンペーン最終回、山桜には人里に多いソメイヨシノとは違った趣があります。

 ソメイヨシノが一気に散り果てた後、山桜は生存者にどんな感慨を与えるのか。

 下界の桜は、散り果てた。

 下界の人間も、滅び去った。

 語るべき人がいないなら、私は一体どこの誰とこの気持ちを分かち合ったらいいのだろうか。


 街は、灰色に見える。

 少し前までは街のところどころにほんわかと柔らかいピンクが色を添えていたのが、今はすっかりなくなってしまった。

 花見の季節は、終わりだ。

 枝を覆い尽くすほど咲いていた街の桜の花は、短い間にごっそりと散ってしまった。

 今の桜は花を失い、かといって葉桜にもなりきれぬ中途半端な芽吹き状態だ。

 もっとも、もう少し経って緑の葉が伸びれば、花の頃とはまた違った趣を得て葉桜になるのだろう。たくましく青々と茂り、時折毛虫を垂らして疎まれる存在に。


 街から、灰色の煙が立ち上っている。

 数日前までは色とりどりの光にあふれ、昨日辺りまではところどころで派手に火の手が上がっていたのが、今は嘘のような静けさだ。

 光を灯し、喧騒を生み出していた人々は、もういない。

 代わりに街を練り歩くのは、言葉も知能も失った人ならざるものだ。人として持っていた機能のほとんどをそぎ落とされ、人の肉を食うだけに特化した生ける死者だ。


 人は死に、街も死んだ。

 街を美しく彩っていたソメイヨシノが一瞬で散り果てるように、人々の暮らしはまたたく間に崩れ落ちた。

 滅びを惜しむ間も、分かち合う間もないほどに。


 そして私は残された。

 下界を見下ろす山のキャンプ場に、たった一人で。


 元々、孤独は嫌いではなかった。

 街の喧騒がうっとうしくて、よくこうして一人で自然の中にひたりに来ていた。

 しかし、仲間がいなかった訳ではない。

 時々行く自然の中での生活を、ところどころ趣味の合う仲間と語り合い、体験や感慨を分かち合うのが楽しかった。

 それは語り合う仲間があってこその、帰る場所があってこその楽しみ。

 決して世を捨てたいとか、誰もないほうがいいとか、そういう意味じゃないんだ。


 今、私の心にはぽっかりと大きな穴が開いたようだ。

 これから私がどんな体験をして何を思っても、それを分かち合う人はいない。

 とても大きな穴が開いているのに、そこをどうやっても破れない透明な壁が塞いでいて、流してしまいたいものも出て行ってくれない。

 聞いてくれる人がいなければ、心の中に生まれたものは溜まって腐るばかりだ。


 散ってしまった桜をすぐ元に戻すことはできない。

 同じように私が失った仲間や帰る場所も、元には戻らない。

 この辛さを聞いてくれる人は、いない。

 私が肩を落として息を吐いても、胸のつかえが取れることはなかった。


 私は、花も人も失った街を見下ろしてしばらく呆然としていた。

 言葉を持ち動くこともできる人間のつながりは、儚い桜の花よりもずっと強いと思っていたが、どうやら買い被りだったらしい。

 そもそも、あんなに華やかで儚い桜を作り出したのは人間ではないか。

 子は親に似るというのだから、生みの親たる人間も結局儚いものだったのだ。思った以上に狭い許容域を超える災害が起これば、時には文明すらも一瞬で散り果ててしまう。


 これ以上見ているのが辛くて、私は街に背を向けた。

 目を癒すものも、心の澱を抜いてくれるものもない街など、見ていても仕方ない。

 私のこの気持ちは、誰にも打ち明けられないまま腐っていくしかないのか……。


 途方に暮れて後ろを見た時、目から心まで洗われるような白が目を射ぬいた。

 いつの間にかそこにいて、話を聞いてくれていた、清楚な少女を思わせる白い五枚の花弁。振り向かれたことに赤面したような、わずかに赤みを帯びた若葉。

 可憐な花とたくましい葉が共存する、山桜の花だ。

 花が散っても骸骨のようにはならず、花から葉へと緩やかなグラデーションを辿って変化していく野生の桜だ。


 私は思わずその枝を引き寄せ、純白の花に見入った。

 人の手がかかっていない素朴な、しかし何者にも媚びない高潔な白。

 散り果てていない桜が、ここにあった。


 ふと山々を見渡せば、緑色の中に時折白や、ぼかしたような淡い桃色の部分がある。

 ここだけではない、自然の中で自分のできる限りの花を咲かせる山桜が、まだ他にもたくさんあるのだ。

 色はそれぞれ微妙に違い、人の手で作られた桜のように均一ではない。花も枝を覆うほど一面には咲かず、花と葉に力を分けている。

 しかし、ソメイヨシノのように一気に散り果てて裸になったりしない。

 それぞれが自分のペースで、人の手を借りなくてもそれなりの花を咲かせている。


 山々を彩る野生の桜たちを見て、私は気づいた。

 桜が人の世話になる者だけでないように、人も街に住んで人の社会だけに依存して生きている者だけではない。

 人の少ないところで、群れずに自然と共に生きている人たちがいるはずだ。

 生き残りはきっと、自分だけではない。


 眼下の街にはもう、咲いている桜も生きている人も見当たらない。

 豊かな心を失って腐肉と骨ばかりになった死者が、花をなくして葉もほとんどない枝ばかりの桜の間を歩いている。

 しかし、山にはまだ山桜が咲いている。


 新たな仲間を探して、旅に出よう。

 白い山桜の下、私は決意した。

 生き残っている人たちは、意識して注意深く探さないと見つからないかもしれない。自分のペースで生きていて、私に合せてはくれないかもしれない。

 それでも、そんな山桜のようなたくましく人に頼らない人々が、私と新たに気持ちを分かち合う相手になってくれるはずだ。

 私も、今や山桜の仲間なのだ。


 だが……今はまだ、一人だ。

 今この決意を共に分かち合い、励ましてくれる人はいない。

 だから、せめてここにある山桜よ、君だけは今の私のこの気持ちを知っておいてくれ。そして私の心が折れないように、別れを惜しむ白いハンカチのような花を揺らして送り出してくれ。

 生き残りはいるかもしれない、しかし出会えるかどうかは分からない。


 幸運なその時が来るまでは、君こそが私の唯一の同志だ。

 そして私は旅立った……君以外に私の心を知ってくれる、誰かを求めて。

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