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ゾンビ百人一首  作者: 青蓮
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高砂の尾上の桜咲きにけり 外山の霞立たずもあらなむ

 花キャンペーン第3弾、桜といえば卒業と入学のシーズンです。

 桜は卒業と入学を祝うもの、新しい世界への門出の花です。


 遠くに、されどはっきりと見える目標に向かって突き進む……勇ましくも危うい、学生たちの話です。

 春、満開の桜は人々の門出を祝福する。

 卒業、入学、入社、退社……これまでの居場所を後にし、人は新たな一歩を踏み出す。

 今、満開の桜に背中を押されるように、まさに新たな地に踏み出さんとする一団があった。


 リーダーと思しき男が、門の内側から外を指差す。

「皆、あの山の桜が見えるか!?」

 強い決意のこもった視線と指の先には、山頂付近を淡いピンク色に染めた山がある。男は眉間に筋を立てて、仲間たちを鼓舞するように言う。

「あそこはかつて、桜の名所だった。

 あそこにどれだけの食事処や土産物屋があったかは、君たちも知っているだろう。つまりあそこまで行けば、水や食糧を確保できる可能性が高い!

 よって、俺たちはまずあの山を目指す」


 仲間たちは、薄汚れて痩せこけた顔で、それでも力強くうなずく。

 一団の望むことはただ一つ、今いるこの場所を後にし、ここではないどこかへ。

 手の届く範囲の食糧を食い尽し、もはや命をつなげる糧を無くした頑丈なだけの拠点を捨て、これからも生きられる可能性のある場所を目指して。

 その第一目的地が、あの山だ。


 リーダーは己と仲間の迷いを振り切るように、とうとうと語る。

「外は危険かもしれない、しかしここから出なければ俺たちは大人にはなれないのだ!

 この学び舎の役目は終わった、俺たちは今こそ広い世界に飛び出し、未来に向かって生きられる場所へ向かうべきだ。

 これは安全にあぐらをかいた怠惰からの、卒業である!!」

「卒業!」「卒業!」

 仲間たちも、涙ぐみながらその言葉を復唱する。


「見よ、この校庭の桜も我々の卒業を祝福してくれている。

 そしてあの山の桜は、我々を迎えるために咲いているのだ!」

 自分たちを送り出す門のように両側に並んだ桜、そして遠くの山で手招きするように咲いた桜を目に、一団はますます旅立ちの意志を強める。

 卒業、新しい世界への旅立ち……桜によって想起される数々の門出のイメージが、学生たちの背中を強く押す。


 その衝動の勢いを見計らって、リーダーは宣言した。

「いざ、旅立ちの時!行くぞ!!」

「オーッ!」

 昂ぶる心のままに、学生たちは重たい校門を開き、外へと踏み出した。


 卒業式の入場のように、一団は整然と並んで市街地を進んでいく。

 目指すのは自分たちが新たに生きる場所、目の前にそびえる山の上の桜だ。そしてそこからつながる、果てしない未来への道だ。

 あの山は裏からつながる尾根伝いの道で、他の山や街につながっている。さながらあの桜は、新たな世界への門だ。

 自分たちは卒業と入学の守り神である桜の下、未来への新たな一歩を踏み出すのだ。


 もちろん、新たな世界にはこれまでなかった危険もある。

 学校から少し離れると、行く先に不安定な足取りで歩く人影が現れた。後ろから見ると普通の住民のようだが、破れた腹から垂れ下がる変色したパーツがそうでないことを物語る。

「排除!」

 リーダーの命令一下、数人の男子が金属バットやハンマーを持ってそいつに駆け寄る。

 後ろからの物音に気付き、振り返ったところに渾身の一撃。


 本来学生には、いや社会的に許されない暴力。

 しかし、そんな古い考えからは卒業しなければならない。

 相手の肌を見ろ、とても生きている人間の色じゃない。目を見てみろ、死んだ魚のように白く濁り切っている。普通人間なら上げるはずの、悲鳴も制止の言葉もない。

 こいつはもう人間じゃない、住民だったのは過去の話だ。

 これは自分たちが新しいステージに到達するために、攻略しなければならないただの障害物なんだ。


 一体を殴りつけている間に、別のが歩み寄ってくる。

 それを倒している間に、また一体。

 そいつを同じように殴ろうと駆け寄った一人があっと目を見開き、動きを止める。

「あっ……ね、姉さん!?」


 間髪を入れずに、リーダーの発破がかかる。

「迷うな、今すぐ殴り倒せ!

 古い考えからは、卒業するんだ!!」

「は、はい……迷わずに、卒業!」

 叱咤された生徒は、必死で歯を食いしばって姉だったものにバットを振るった。やり場のない苦悶を噛み殺しながら、夢中で体を動かす。

 姉だったものが完全に動きを止めた時、その生徒の目からは涙があふれていた。


 肩を震わせるその一人に、慰めたり同情したりする者はいない。

 自分が、全員の士気を下げてしまうのではないかと恐れているのだ。

 気まずい沈黙が、一団に立ち込める。


 それを打ち破るように、リーダーが山の桜を指差して激励した。

「皆、目の前の事に囚われて迷うな!

 迷いに目が曇れば、目標が見えなくなる。例えば、あの山の桜が春の眠気のような霞に覆われて見えなくなったらどうなる!?」

 勝気そうな一人が、ピンと背筋を伸ばして答える。

「我々は進むべき道を失い、新しい世界に入れなくなります!」

「その通り、目標があるのだからブレてはいけない。

 迷ってはならない、やると決めた目標を迷いで曇らせるな。新天地への入口を覆い隠す日和見の霞は、心の中にあるのだ。

 空は晴れているのだ、心の迷いなど振り切って進め!」


 一団は再び、桜の山に向かって行進を開始した。

 周囲に目を光らせながら、心の視界からはできるだけ余計なものを消して桜だけを映す。

 あれが自分たちの行くべき場所だ、自分たちは全力であそこに行くと決めたのだ。決めたなら、迷ってはいけない。

 もやもやと心を曇らせて目標を見失えば、自分たちは文字通り目を白く曇らせて人間をやめることになるだろう。


 確固たる意志の下、進むのだ。

 自分たちがこれまで毎年、桜に見送られてそうしてきたように。

 華やかな桜のように花開く未来を信じて、学生たちは進む。決められた道を進めば、次の世界に入れるんだと、固く信じて心を高揚させて。


 桜の山が、だいぶ近くに見えてきた。

 薄いピンクの塊の中に木の形が見え始め、さらに希望をかきたてる。

 しかしはやる心とは逆に、学生たちの息は切れ始めていた。当然だ、彼らはひたすら己を鼓舞して休憩もろくに取らずに行進を続けてきたのだから。

 目標は決まっているのだから、早く着きたい……自然な心理ではある。


 しかし学校から離れるにつれ、行く手を阻む障害物はどんどん増える。

 かつて人間だった生ける屍の数が、どんどん増えていく。

 排除するために立ち止まる回数が増える。その停止は休憩ではなく戦闘なので、若く多少なら無理がきくはずの体力もどんどん奪われていく。

 人間を卒業した生ける屍どもは、人間であった頃とは段違いの耐久性を備えていた。痛覚がないため多少の打撃ではひるまず、頭を破壊しない限り動き続ける。

 まともに戦えば、人間は消耗するばかりだ。


「リーダー、迂回して安全な道を探すか、一旦丈夫な建物で立て直しては?」

 一人が額に汗をにじませ、肩で息をしながら進言する。

 しかし、リーダーは首を横に振った。

「いや、迂回した道が安全とは限らない。

 それに、せっかく見えている最短ルートを外れることはない、迷うな!」


 誰もが疲労を感じている、しかしその進言に耳を貸す者はいない。

 皆、怖いのだ。せっかくはっきりとした目標が見えているのに、それを見失うのが。せっかくそこに近づいているのに、ここで足を止めるのが。

 だから希望に引きずられて、がむしゃらに進み続ける。


 しかし、それは本当に賢い選択なのだろうか。

 昔から学生は決められたレールに乗って、はっきり見える目標に向かって進めば次の世界に進めた。しかし、それはもう過去の話だ。

 今の崩壊した世界に、安全な決められた道など存在しない。

 目標に向かって進み続ければどうにかなるという、その考えから卒業するべきだった。

 生きるのに必要な冷静な目を霞ませるのは、無理やり決めた目標それ自体なのだ。


 山頂の桜が、幸せな桃色の霞のように手招きし、学生たちの周りを見る目を塞ぐ。

 学生たちは疲労に霞む視界の中、それでもこれがたった一つの解答であると信じて足を踏み出し続けた。

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