いにしへの奈良の都の八重桜 今日九重に匂ひぬるかな
花キャンペーン、第2弾!今度は桜です。
古い場所から新しい場所に人の手で連れて来てもらった八重桜。
人の営みにぴったり寄り添って人の栄華と共に生きることになったことは、果たして幸せだったのか。
八は縁起のいい数字ですが、一つ足して九になると途端に縁起が悪くなりますね。
人の引っ越しに合せて、新しい場所に連れていってもらうこと。
それは、自分で動くことのできない物や植物にとって非常に幸せなことと信じられている。
なぜなら、置いて行かれた物たちはもう元の持ち主に可愛がってもらえない。たいていはうち捨てられて、寂しく朽ちていくのみだ。
しかし、本当にそうだろうか。
新しい場所に移されたことで、思わぬ災難が降りかかることもある。
人の栄華と共にあったことは、果たして本当に幸運であったのか。
ひらひらと可憐に揺れる、濃く深みのある花弁が風に吹かれている。
薄い花弁が奥ゆかしく幾重にも重なり、花の中心の人であれば見せられない器官を覆い隠す。その佇まいは、古の貴族がまとっていた十二単を彷彿とさせる。
雅な宮中で、色とりどりの貴族たちと共に咲き誇った花。
市井に咲いている一重の桜とは違う、格調高く重厚な八重桜。
花の形はぼんぼりのように立体的で、色はソメイヨシノよりも濃く、古よりの高貴な色である紫を帯びて、単色ながら宮中に気後れしない気高さを感じさせる。
その奥ゆかしい花弁に、今日は新しい色が重なっている。
きつく目を射る原色の赤が、桃色の花弁に点々と散ってまだらになっている。
別の花弁には赤茶けて乾いた汚らしいしみ。鮮やかな赤い水玉模様は、時が経つにつれて色あせてこの無粋な汚れに変わっていく。
せっかくの完成した美しさを台無しにする、新しい色。
八重桜に重ねられた九つ目のペイントは、一体誰が塗ったのか。
そのけばけばしい赤色は、八重桜が住まう御所全体にぶちまけられていた。
いつもきれいに磨かれている床や柱、グレーの濃淡でわびさびを感じさせる庭園の砂利、他のほぼ全てがこの色に侵されていた。
まき散らしているのは、古よりここを美しく保ってきた人間たち。
八重桜が古より聞いてきた教養高い会話でも雅な和歌でもない、獣じみた引っ掻くような悲鳴が御所を満たしている。
人が叫ぶたびに、どぎつい赤が飛び散り、御所を汚していく。
どうしてこんな事になってしまったのか、八重桜に心があればさぞ驚いたことだろう。
それが植えられている御所は、それが人に連れてこられて以来、ずっとこの国有数の神聖な場所として管理されてきたはずだ。
つい百数十年前に元の家主である天皇が去っても、この千年続いた伝統ある都の中心として、未だ衰えぬ栄華の中にあったはずだ。
その栄華の一部として咲き誇る事を許され、はるばるこの場所まで連れてきてもらったこと、何より誇りに思っていたというのに。
今日、御所はこの千年でも見たことがない程混雑している。
元からこの都に住む者と大勢の観光客が、不安と疲労をにじませた顔で身を寄せ合っていた。
彼らの服や体には、今まさに御所を汚しているのと同じ、無粋な濃い赤の汚れがところどころついていた。
そして門や塀の外から聞こえてくる、どんな戦ともつかぬ低い唸り声。
桜には、想像もできないだろう。
千年続いたこの都に、そしてそれを支えてきた人々の世に終わりが訪れようとしているなどと。
御所の外は、すでにこの世の地獄が広がっている。
魂を失った亡骸がひとりでに歩き出し、まだ生きている人間を貪り食う。生きている人々は食われたくないから、必死で迫りくる亡骸を傷つけて止めようとする。
生者が自ら流した血と、亡骸から飛び散る返り血……九つ目の不浄な色の正体だ。
今や京の都は、この不浄な色にあふれている。
そこにいるだけで、この不浄な色に染まるのは避けられないのだ。それが元はどんなに美しく気高い花であっても。
かつて、この地に栄華とともに移ってきたこの桜を、古の人はこう讃えたという。
奈良にあっても美しかったこの八重桜が、今はこの新しい都の空気をまとってより美しく咲き誇っていると。
しかし、彼は気づいていただろうか……それが人の栄華に寄り添い親しくなっていくほど、人の世の変化に巻き込まれやすくなることを。
哀れ、この八重桜の運命は醜い崩壊を迎えた人の世と共にある。
もし八重桜に心があれば、こう思っていたかもしれない。
「奈良にいれば良かった……」と。
この桜の故郷である、さらに古い都、奈良。
千年以上前に京に都の座を奪われてから、かつての都として歴史あるものを守りながら、都の栄華から切り離されて生きてきた奈良。
人の数も活気も、今は京に遠く及ばない。
しかし、そこで静かに生きていれば、こんな目に遭わずに済んだのではないか。
亡骸を動かす穢れはうつる病であるからして、人が多ければ多いほど亡骸の増殖は速く、惨劇の凄惨さは増す。
そして脅威にさらされた人々は、その遺伝子にまで刻み込まれた神聖な安全地帯に殺到する。
千年の間、この国の天皇を抱き続けて不可侵とされてきた御所に。
そのうえ、京の人々はこの栄華がいつまでも続くと信じ、変化に対して鈍かった。
千年栄え続け、家主を失ってもまだ栄え続けたあだ花だ。
ここなら安全と信じた人々が御所にすし詰めになり、すでに穢れに侵されていた人々に対処できず、御所は閉ざされた殺戮場となった。
桜の見ている前で、京を包んでいた栄華の空気が死の臭いに汚されていく。
京が誇る料理や菓子、土産物屋や寺社で焚かれる香の匂い、そして桜を始めとする花や木が発する香……八重の花弁の如く絶妙に重なり合って織りなされた古都の香が汚されていく。
むせかえるような血と肉の腐りゆく臭いが、かぶさって醜く変質していく。
桜に心があれば、さぞかし嘆いただろう。
だが、自ら動けぬ八重桜は己の運命を選べない。
美しい館に閉じ込められた姫君のように、周りと運命を共にするだけだ。
人の手で完璧に管理され続けて千年以上過ごした桜は、人の手なしでこれまでのように咲き誇れるのか。
もう水や肥料をやってくれる人も、害虫や病気から守ってくれる人もいない。自然の環境からも離れたこの地に取り残され、もはやこの桜と共に栄えてくれる者はいない。
もし奈良に留まっていれば、桜の運命はもう少しましだったかもしれない。
人も亡骸も少ない地で、余計な色や匂いを重ねられることもなく、それなりに自然に任せられた古寺で、栄枯盛衰を受け入れていたかもしれない。
しかし、物言わぬ桜はただ人のなすがままだ。
美しさを見初められて京の都で共に栄え、共に滅ぶ。人の栄華という八重の花の一部として、栄枯盛衰を共にする。
それでも桜に心があれば、これだけは言いたかったに違いない。
「せめて他の色を重ねるのは、花の咲かない季節にしてほしかった」と。




