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ゾンビ百人一首  作者: 青蓮
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人はいさ心も知らずふるさとは 花ぞ昔の香に匂ひける

 春なので、桜や梅などの季節、花キャンペーンです!

 第一弾は題名では分かりませんが、梅の花です。


 梅は古風で、昔からの変わらぬ美しさを想起させます。

 しかし、どんなに変わっていないように見えても、人が生きている限り変化と無縁な場所などないのです。

 本当は、帰るつもりなんてなかった。

 俺にとって古里なんてのは、足枷でしかないと思っていたから。

 ……こんな状況になってのうのうと帰ってきた俺を、古里は変わらず迎えてくれるだろうか。


 車の通らない道路を踏みしめて、俺は歩く。

 顔を上げると近隣の住民でないと名前すらしらない地名の看板がかかっている。

 俺は少しの間立ち止まって、それから看板の矢印が指し示す方向に足を進める。このまま進めば、目指す場所はもうすぐだ。

 ここまでは、昔と同じだ。


 国道から分かれた細い道に入り、俺はひたすら歩く。

 昔はよくこの分かれ道で国道を眺めては、自分もいつかここから広い世界に飛び出して見せるんだと憧れを抱いたものだ。

 何の変哲もない山の中の国道にさえそんな憧れを抱くほど、俺の故郷は田舎だった。


 村の人たちは全員が顔見知りで、家族のように親しかった。

 外から見たら閉鎖的かもしれないが、村では皆お互いのことをよく知り、困った時はいつでも皆で助け合っていた。

 強固な信頼で結ばれた村人たちは、疑う事を知らなかった。

 むしろ知った人間が助けを求めるのを拒むなど、考えるだけで失礼とされた。

 その温かく優しい空気は、一旦村の外に出た人間が戻って来ても変わらず受け止めていた。一度身内となった者は、いつまでも身内なのだ。


 だからきっとここなら、俺を優しく受け入れてくれるはず。

 変わり果ててしまった都会とは、違うんだ。


 俺はそう思って、村に入る曲がり角を曲がった。

 その瞬間、何かが足に引っかかってけたたましく鳴子が鳴った。


 たちまち数人の男が、近くの茂みや物陰から飛び出してきた。

 俺は慌てて両手を上げ、害意がないことを示すが、男たちは構わず俺を殴り倒し、さすまたで押さえつける。

 田舎だからと気を抜いていた俺は、あっという間に地面に叩きつけられた。

 思わぬ不意打ちに目を白黒させる俺に、一人が鉈を持って歩み寄る。息は荒く目は血走り、今にもそれを振り下ろさんばかりだ。

 このままでは殺される……俺は大慌てで叫んだ。


「ま、待ってくれ、おじさん!

 俺だ、前に村に住んでた田端の次男だ!」


 それを聞くと、男たちは顔を見合わせ、俺の顔をじろじろと見つめた。

「……本当に村の者か?」

「まあ、とりあえず人間ではあるべなあ」

 若い男たちは俺を疑いの目で見つめるが、これは仕方ない。俺が村を出たのは二十年くらい前だから、俺を知らない世代がいても無理はない。

 俺は男たちの中でも一番年を取った、見知った男に請うような視線を送った。

 この人なら俺を知っているから、きっと優しく抱きしめてくれるはず……。


 しかし次の瞬間、俺の目に飛び込んできたのは疑いの視線だった。

 重く冷たく、威圧的に心の中まで力ずくで踏み込んであら探しするような、不快で恐ろしい視線……まるで村の外から来た見知らぬ人間に出も向けるような。

 俺が身をすくめて黙っていると、おじさんは険しい顔のまま言った。

「まあ、元この村にいたことは間違いあるめえ。

 こんな所に転がしといてもしょうがねえ、村に連れていくぞ」

 どうにか受け入れてもらえたのか……俺はホッと胸を撫で下ろした。


 村の男たちに囲まれて、俺は懐かしい道を歩く。

 車一台がようやく通れるような、細い農道で区切られた田畑。その中にぽつぽつと立ち並ぶ、古い民家と農具小屋。

 田畑ではうららかな日差しの下で、年配の人たちが農作業に勤しんでいた。

 そしてそんなのどかな村を包む、ほのかな梅の香。

 梅干し用の梅園は、今がちょうど花盛りだ。


 何もかも昔のままの、村の風景。

 俺がぬくもりに包まれていた頃と同じ、平和で優しい村の風景。

 都会がどんなに変わり果てても、古里は変わらず俺を迎えてくれる。


 だが、俺に向けられる人の目だけは以前と違う気がした。

 しかし、それもそうだろうと俺は思う。

 だって、今俺がどんな格好をしているかって……服のセンスとかそういうの以前に、俺は今ひどく汚れている。

 しかも田舎でよくある泥とかそんな生易しいものじゃない。

 俺の服をまだらに覆っているのは、乾いて赤茶色になった血痕だ。一体どこで人を殺してきたのかと思うほど、俺は血痕まみれのゴアめいた格好をしている。

 これでは、村人に奇異な目で見られても仕方ないだろう。


 でも大丈夫だ、もうこの村ではきっと、返り血を浴びる事はない。

 この平和でのどかな村に、あの腐った連中は見当たらない。それにこうして外で作業している人がいるってことは、ここは安全なんだ。

 ようやくあの悪夢のような生活から抜け出して、安住のゆりかごでゆっくり眠る事ができる。

 そう思うと急に名残惜しく思えて、俺は村を出てからの事を思い返した。


 都会は、とにかく変化が速くてついていくのが大変だった。

 新しい店、新しい流行、新しい話題が次々と現れては、あっという間に古くなっていく。

 毎年変わらぬ時間を繰り返しているような村で育った俺は、その変化を追いかけるだけで精いっぱいだった。


 その速すぎる変化の極めつけは、あの腐れ病の流行だ。

 何の前触れもなく、朝のテレビで残虐な殺人事件が報じられたと思ったら、夕方には同じような事件がどこそこで起こって交通が乱れていた。気になってネットを見たらもう自分も同じような事件を見たとか、事件の犯人は人間じゃないとか、頭がパンクしそうなほどの情報が乱れ飛んでいた。

 そして翌朝には、都会は見渡す限りの地獄に変わっていた。


 昨日まで何も考えずにすれ違っていた人たちは、ほとんどが腐って死んだ目をした化け物になってビルの谷間をうろつき、俺を見ると大口を開けて噛みつこうと襲い掛かってきた。

 昨日は普通に話して、暮らしていた人たちが、今日はもう人じゃなくなって説得も通じない。

 一夜にして荒廃した通りにはおびただしい車が乗り捨てられ、腐った連中が徘徊している。生き残った人々はパニックを起こして、殺し合いと略奪の嵐が吹き荒れていた。

 平穏から混沌、無関心から疑心暗鬼のジェットコースター。

 あまりに速すぎて大きすぎる変化に、俺はいきなり見知らぬ世界に放り込まれたようなショックを受けた。


 目まぐるしく変わり果てていく都会を前に、俺は思った。

 もうこんな所で生きていたくはない、見知った元の世界に帰りたい、と。

 だから必死の思いで都会を脱出し、時の流れが緩やかなこの古里に戻ってきたのだ。


 荷物の検査と着替えを済ませて、俺はようやく血なまぐさい都会の空気を脱ぎ捨てる。

 解放感からぐーんと伸びをすると、昔と変わらない村の空気が胸一杯に流れ込んでくる。菜の花、泥、枯草、そして心を安らげる梅の香。

 温かく柔らかい日差しが、戸口から土間に流れ込んでくる。

 ああ、これだ……昔から変わらず俺を包んでくれた村だ。

 あとは自分も再びここの一部に戻って、昔のように助け合って平和に暮らしていくだけ……俺は晴れやかに一歩を踏み出そうとした。


 しかし、そんな俺の肩を、節くれだった固い手が掴んだ。

「おい、勝手にどこ行く気だ?」

 温かい村の空気には場違いなほど、冷たく無機質な声。はっと振り返ると、おじさんと村の男たちがさっきと全く同じ重く不信に満ちた目で俺を見ていた。

 なぜだ、俺は元々村の一員だったのに。

 血に汚れた服も着替えたし、その訳も話したから、もういいじゃないか。昔からこういう時は、帰還を祝って村の皆が集まって宴会じゃなかったのか。


 戸惑う俺に、おじさんは険しく言い放つ。

「おめえは確かに、昔は村の一員だった。

 けど、今おめえが腐れ病にかかってねえとどうやって証明する?おめえが情につけこむ強盗なんぞの先走りじゃねえと、誰に分かるよ?」

 温かかった空気が、一気に冷えた。


 古里は、俺を温かく迎え入れてくれなかった。

 俺は常に疑いの目を向けられ、何をするにも監視つきだ。久しぶりに会った旧友に挨拶しても、返してくれる顔はどこかこわばっている。あんなに優しくて親し気だった老人たちも、見知らぬものを警戒するように遠巻きに身構えるばかりだ。

 愕然とする俺に、おじさんはバツが悪そうに告げた。

 この村も腐れ病や世の中の変化と無関係ではない。外からの脅威から村の平穏を守るために、村の外から来る者にはこうならざるを得なかったのだと。


 見た目には昔と変わらない村の景色、変わったのはただ住む人の心だ。

 梅は毎年変わらず花を咲かせ、心安らげる香りを里に広げる。

 しかし、自分と村の人々が昔のように戻れる日は来るのだろうか……俺はこの梅の香りが村人の心にも春を運んでくれるように、そっと祈った。

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