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ゾンビ百人一首  作者: 青蓮
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花の色はうつりにけりないたづらに 我が身世にふるながめせし間に

 温かくなって、花の季節になってきました。

 しかし美しい花を楽しめるのは、ほんの短い間です。

 花のように人の手で美しく整えられていたものは、人の手がなくなるとその命は儚くて……人間がいなくなった世界で、いつまで美を保っていられるのか。

「あーくそっ、遅かった!!」

 色あせ、散りかけた花木を前に、女は地団太を踏んだ。

 水を吸って黒っぽい地面には、しなびたりふやけたりした花弁が敷き詰められている。

 見上げれば、木に残っている花はあとわずか。それもきちんと花の形を保っているものはほとんどなく、だいたいはかろうじて花弁の残る花の残骸だ。

 これでは、とても花見などできやしない……女はせっかく作ってきた弁当を乱暴にベンチに叩きつけた。


(あーあ、やっぱりちょっと無理しても早めに来た方が良かったのかな)

 ぶすっとして弁当を口に運びながら、女は思う。

 確かに外出はおっくうだ、しかしここの花はそれでも見に来る価値があったのに。

 一年に一度の楽しみ、地元だけでなく広く有名だったこの公園の花を、せっかく独り占めで楽しめるチャンスだったのに。

 次にこれを楽しめるのは、一年後だ。


 ピクスルとソーセージを挟んだだけの簡単なサンドウィッチをむしゃむしゃと頬張りながら、女は散りかけの花を見上げる。

(一年後、か……その時もこれだけの装備を整えられるかしら?)

 女の腰には、二丁の拳銃を下げたガンベルトが巻かれている。弾薬はウェストポーチにもバックパックにもたっぷり詰まっている。

 それに今食べているサンドウィッチ……これの材料を手に入れるのもそれなりに苦労した。

 こうして美しい公園にピクニックに来るのも、今は相応の労力と覚悟を伴う大仕事なのだ。


 せっかく来たのだからと、女は地面に落ちた花弁を踏んで公園を歩く。

 かつてはこの時期になると、多くの家族連れや若者たちでにぎわい、落ち着いて散策することもできなかったこの公園。

 しかし今、この公園に女以外の人影はない。

 当然だ、もうこの町にはこの女以外の人間が残っていないのだから。


 地球最後の人間……もしそうなってしまったら、人は何を楽しみに生きるのだろうか。


 女にとっては、その楽しみの一つがこの公園の花だったのに。

 もう女と共に時間を過ごせる友人はいない、電気は止まってしまい音楽や映像を楽しむこともできない。レストランはもう営業していないし、もうまともな食べ物があまり残っていない。

 彼女の世界にあって彼女を楽しませていたものは、ほとんど死に絶えた。

 残っているのは、こうして季節が巡るごとに美しく咲き誇る花くらいのものだというのに。

 それすらも、ちょっとした危険を恐れて外に出るのをためらう間に散ってしまった。


 ここは、女の住んでいる家からもわずかに見える距離だ。

 しかしその距離を歩いて花見に来るのは、昔よりはるかに大変だ。

 昔は道沿いにいくらでも並んでいた屋台がいくらでもスナックやジュースを売っていたが、今はスーパーやレストランにすら食べ物がない。

 代わりに町全体を覆っているのは、いつどこから襲ってくるか分からない命の危険だ。

 こんな状態では、外に出るのもおっくうになる。


 腰を下ろして休んでいる女の耳が、不穏な物音を捉えた。

 声とも音ともつかない、低いサイレンのようにも思える空気の漏れる音。引きずられる何かに、地面に生えた草が擦れる音。

 そして、風に乗って鼻をかすめたわずかな腐臭。

 女は静かに銃を抜き、油断なく辺りを見回した。


 ペンキがはげて錆びついた、元はファンシーだったであろう土産物屋の陰から、それは現れた。

 人前に出るにはあまりに品がない、ボロボロに破れて汚い汁がしみ込んだ服。その布地と溶け合うかのような、ぶよぶよにふやけて崩れかけた皮膚。

 もはや元の顔が分からない程に腐り落ちて、鼻の高さも唇の厚さも分からなくなった顔。

 靴が片方足ごと脱げていて、むき出しになった骨をコツコツと鳴らしながら近寄ってくる。

 どう見ても、花見に来た客ではない。


 女は、落ち着いて銃口をそいつの顔に向けた。

 何を向けられているかも分かっていないそいつは、無防備に両手を伸ばして近づいてくる。

 近づくにつれて濃くなってきた腐臭に顔をしかめながら、女は面倒くさそうに引き金を引く。パァンと小さな音がして、そいつは糸が切れた操り人形のように倒れた。

「……まだいるの?

 こんな姿になってるくせに、あんたらはいつになったら散るのよ?」

 一人毒づいて、そいつの頭を憂さ晴らしのように蹴飛ばす。


 女がなかなか外に出られなくなったのは、こいつらが原因だ。

 死んで腐っても動くのをやめず、人間だったはずなのに人間の肉を求めて彷徨う醜い死体。

 これが町にあふれてから、家から一歩でも外に出るのは……ドアを開ける事でさえ命の危険を伴う行為になった。

 町はもう、のどかな優しい空間ではない。気のいい隣人も愛想のいいなじみの店員も、みんな死体になって命を取ろうと襲い掛かってくる。

 だから女は、自分を守るために滅多に外に出なくなった。


 しかし、それでも外に出なければならないことはある。

 肉体の命をつなぐための食糧や水、日用品の調達。そして心が死んでしまわないための、小さな楽しみを求めて。

 他の人が全くいなくなった世界で少しでも正気を保ち、心を晴らすため、女はその癒しを花の美しさに求めてここまで来たというのに。


(また来年、来年こそは満開の時に来られるといいな。

 できれば、町の外から来たいい男と一緒に……)

 まだ見ぬ未来に無理矢理希望をつなぎ、女は公園を後にする。

 しかし内心、それがとても確率の低い未来であることは分かっている。割れずに残った土産物屋の窓ガラスに、自嘲の笑みを浮かべた女の横顔が写る。


 髪は伸び放題傷み放題で、服も見た目などどうでもいい動きやすいだけのコーディネート。顔は化粧をしなくなって久しく、最近は肌の手入れすらなおざりだ。

 それは女が、どうせ人目などないものと諦めている証だ。

 本当に男と出会えると信じているなら、こんな風に手を抜くものか。

 今の女の容貌は、世の中が人であふれていた頃よりずっと年を取ったように見えた。実際はそんなに経っていないのに、十年は年を取ったように見える。

 美しくある努力を怠れば、老けるのは一瞬だ。


 公園の花木だって、いつまでも美しいとは限らない。

 人の手で美しく管理されていた木々は、手入れされなくなればあっという間に好き勝手に枝を伸ばして見苦しくなっていく。

 昨年、今年と見ているだけで、すでに木々の形は崩れ始めている。

 今年の花はもう散ってしまったのに、一体あと何年、美しいと言える花を楽しめるのか。


 色あせて地面に張り付いた花弁に自分を重ねて、女はため息をつく。

 美しいものの命は短く、時はあっという間にそれを押し流していく。一人ぼっちの世界では、それを止めるものはない。

 そして長くその姿を留めるのは、死体のような醜く見苦しいもののみ。

 女は倒れた死体に一瞬だけ羨望の眼差しを向けると、足早に去って行った。

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