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ゾンビ百人一首  作者: 青蓮
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誰をかも知る人にせむ高砂の 松も昔の友ならなくに

 ゾンビものはだいたいゾンビが出現してあまり時間が経っていない世界が舞台ですが、それから何十年も経った世界はどんな時代になっているのでしょうか。

 そして、ゾンビ出現前から生きていた人間はその世界に適応できるのでしょうか。

 思い出を共有できるものがなくなる、それが最大の孤独だと思うのです。

「おじいちゃん、本当に昔はゾンビがいなかったの?」

 こくりと首をかしげて尋ねる幼子に、老人は答える。

「ああ、そうだよ。

 わしが若かった頃は、一度死んだ者が起き上がるなんて考えられんかった。だから昔のお葬式は、死んだ人を入れた棺にふたは打ち付けてなかったんだよ」

 それを聞くと、子供たちはふしぎそうに腕組みをしてつぶやく。

「ふーん、それじゃ昔のお葬式は、みんな命がけだったんだね」

 子供たちは驚いたように少しざわついて、そのうちどこかに行ってしまった。


 老人は、子供たちの感想を少し噛み砕いて苦い顔をした。

(違うんじゃよ……昔のお葬式は棺のふたを閉めなくても、危なくなかったんじゃ……)

 老人は、子供たちに伝えそびれたその言葉を一人ぐっと飲み込んだ。

 自分が若かった頃、ゾンビがこの世にいなかった頃は、死体がゾンビになる事がそもそもなかったから棺を強固に閉じる必要がなかった。

 今の子供たちには、それが分からないのだ。


(あれからもう、何十年経ったじゃろうか……)

 木の根元に座って背を幹に預け、老人は思い返す。

 世界が変わってしまったあの日、彼はこれが世界の終わりなんだと絶望した。きっと人が生きられる世の中はもう訪れないんだと、打ちひしがれて泣いた。

 しかし、世界は終わることなく、人々は今も生きて時代を紡ぎ続けている。

 ゾンビを当たり前のものとして構築された、新しい時代を。


 人は死んだら動かない、その古い常識が破られたのは突然のことだった。

 ある日どこからか現れたウイルスが、死んでも歩き回って人を食う存在……ゾンビをこの世に誕生させた。

 古い常識に囚われていた大多数の人間は、それに対応できず混乱するばかりだった。

 感染して死んだ者をこれまでと同じように弔おうとし、ゾンビになって起き上がった相手に食われた。死んだ仲間や肉親の頭を割るに忍びず、ゾンビを発生させてせっかく得た安全地帯を失った。

 そうして、その新しい脅威に対応できなかった者のほとんどが滅びた。


 それでもまだ、人間の社会は細々とながら続いている。

 新たな脅威をきちんと見つめて対応できた者たちがわずかながら生き残り、新たな秩序のもと再び社会を作り、次の世代へと伝えてきたからだ。


 今生きている若い世代は、生き残った者たちの子や孫だ。

 生まれた時からこの世にはゾンビという脅威があって、親から当たり前のようにその対処法を教わり、それを常識としている子供たち。

 さらにその子供たちが大人になって孫世代を生み出しつつある。

 彼らは、ゾンビが誕生する以前の世界を知らない。

 そのうえ、ゾンビによって壊される前の、人間の全盛期とも言える時代を知らない。老人たちが懐かしむ古き良き時代を、新しい世代は理解すらできないのだ。


 老人が平和だった在りし日の話をできる仲間は、もうこの近辺にいなくなってしまった。

 新しい世代には話しても空想話のようにしか取り合ってもらえず、もしくは全く期待とは違う反応が返ってくる。

 分かってもらえない相手との話は、寂しさを増すことはあっても心の穴を埋める事は出来ない。

 だから老人は、最近言いたいことの大部分を口から出さずに飲み込んでしまうようになった。


 かつてこの国には、今の彼くらいの年の老人は掃いて捨てるほどいたものだ。

 しかし、今を生きる人間の集団に老人はほとんど見かけない。

 なぜなら、そこまで生き残れる確率が昔より大幅に下がったせいだ。

 昔、老人が若かった頃、人間は高度な医療網によって守られていた。あらゆる種類の薬が至る所にある病院や薬局にあふれ、電話一本で素晴らしい救命技術を乗せた救急車がとんできた。病院には精密かつ正確な医療機器が並び、高い教育を受けた医師が迎えてくれた。

 今は、そのほとんどが失われてしまった。

 ゾンビ発生の当初、多くの感染者が古い常識に従って助かろうと病院に殺到したために、医療は真っ先に崩壊した。


 昔は適切な治療をすれば助かった病が、今では命取りだ。

 それに目の前で突然倒れて息が止まりかけている人間を見たら、周りの人々は助けるよりも頭を破壊することを優先する。

 ゾンビとして蘇る事を防ぐ、新しい常識に従った処置だ。

 そんなこんなで、人間の平均寿命は昔とは比べ物にならないくらい短くなった。

 老人と呼べる年になるまで生きられる人間は、ほとんどいなくなった。


 それに、今老人になっているのはゾンビ発生以前から生きていた人間……人生の一部を平和と古い常識のもとに生きてきた世代だ。

 いくら世界が変わっても、魂にこびりついた古い考えを完全に捨てきれる者は少ない。

 さらに老いによって心が弱ってくると、人は情にもろく頑固になる。若者の忠告に耳を貸しにくくなる。

 例えばある老人は、自分の孫がゾンビに噛まれたことを受け入れられず、速く殺してと泣く孫をさらって逃げ出した。そして、閉じこもった家を囲む若者たちの呼びかけに頑として応じず、ゾンビとなった孫に食い殺された。


 この話を聞いた時、老人はその犠牲者の気持ちが分かって涙した。

 しかし周りの若い人々は、さも迷惑そうに呆れてこう言った。

「噛まれた子を守ろうとするとか、何なの?馬鹿なの?

 そんな事したら自分にも周りにも百害あって一利なしなのに、何でわざわざ犠牲増やすかな」

「本当、ああいうのを老害っていうんだ!」

 やはり今の若者たちに、古い考えは理解できない。

 老人は同情の涙を見られないように、静かにその場を離れるしかなかった。


 いつもの静かな松林で、老人は空を見上げてため息をつく。

 もう自分はこの時代にいるべきではない、いる場所もない旧世代の遺物だ。同じ時代を生きた者は滅び去り、残っているのはこの背にした松くらいのものだ。

 昔から長寿の象徴とされてきた松……この立派な松も、自分と同じ時代を生きてきたはずだ。

 しかし悲しいかな、老人は松と思い出を語り合うことはできないのだ。


 松は何も言わない、話しかけても返事はない。

 そのうえ、老人にはこんな松林と共にある古い思い出などなかった……彼は都会育ちなのだ。

 松林どころか草の生えた地面すら珍しいコンクリートジャングル、古い時代の文明の集大成とも言える都会で彼は若き日を過ごした。

 その都会は、ゾンビ発生以来、人の生きられぬ不毛の地として捨てられて久しい。

 ゾンビから逃れ、食糧を求めて辿り着いたこの田舎に、彼の幼少期から青春、そして幸せな新婚時代の思い出を共有できるものは何もない。


 知った人間も、昔を思い出せるものもない。

 老人は、たった一人だ。


 老人が涙を流していれば、慰めたり励ましてくれる人はいる。

 しかしその周りの人々に、老人の心中は理解できない部分が多いのだ。

 気持ちの理由を話して戸惑ったようなうろたえるような顔をされるよりは、表情を変えず物も言わない松の方がいいとさえ思えてしまう。

 だから老人は、最近ここでよく一人になっているのだが……。

 やはり、どうしても人の返事と共感が欲しくて耐えられなくなる時はある。


「どうしたの、おじいちゃん?僕で良かったら聞くよ」

 心配そうにのぞき込んできた子供に、老人はつい昔の話をした。自分が住んでこの子と同じ年の頃を過ごした、都会の話を。

 すると、子供は無邪気にこう言った。

「ふーん、それじゃあおじいちゃんは、すごいお金持ちだったんだね。

 あんな畑も田んぼもないところに、わざわざ食べ物を届けてもらえるなんて」

 ああ、やはり話が通じない。


(違うんじゃよ……わしの若い頃は、都会のコンビニやスーパーに何でも売っていたんじゃ)

 ゾンビがこの世界にはびこる前、都会には各地から集められたありとあらゆる食べ物があって、安くいくらでも手に入った。

 しかし、それはもう古い常識だ。

 輸送に使えるほど燃料がなくなり、地産池消が新しい常識となった今、都会は生きるための補給がきかない死の土地でしかない。

 しかし、それを話しても今の若者たちに理解できるかは望み薄で……。

 老人はもの言わぬ松のように、その言葉をぐっと胃の奥に飲み込んだ。

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