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ゾンビ百人一首  作者: 青蓮
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あらざらむこの世の外の思ひ出に 今ひとたびの逢ふこともがな

 ゾンビといえば感染、噛まれたら助からないことが定番です。


 今回は、残り時間が少ない中で愛する仲間を思うお話です。

 助けに来てほしい、しかし来ない方がいいかもしれない……結果は、来てみないと分かりません。

 ドンドンと、激しく扉を叩く音がする。

 扉の外からは、人とも獣ともつかない唸り声がひっきりなしに聞こえてくる。

 そして、この部屋にいるのは私一人。


 私はここにいる、早く助けに来て!


 幸い、この部屋の扉は頑丈だ。

 それに、あの知能を失ったヤツらに鍵を開ける事は出来ない。鍵だけならもっと大きな力が加わったら壊れるかもしれないけど、この扉は外開きだから、外から一方的に力を加えられているならちょっとやそっとじゃ開かない。

 ヤツらがここに入ってくるまでには、まだなかり時間があると思う。

 でも、ヤツらが入って来なくても、このままでは私は死ぬ。


 この部屋には、飲める水も食べ物もない。

 人間が飲まず食わずで生きていける時間には、限りがある。

 ここにいればヤツらには襲われないけど、一つしかない入口の外にはヤツらがひしめいている。

 どんなにお腹が空いても喉が渇いても、水や食料を取りに行くことはできない。

 どんなに強靭な人間でも、水がなくて生きられるのは三日がいいところだ。

 ……もっとも、それは健康な人間の話。


 私にはもう、時間がない。

 それも何日なんてレベルじゃない……私はあと、何時間人でいられるか分からない!


 私はぎゅっと唇を噛みしめ、当て布をした腕をぎゅっと握った。

 押し当てたハンドタオルには、赤くむせかえるような鉄の臭いを放つ血がじっとりと染み込んでいる。その下がどうなっているかなんて、見たくもない。

 でも何となく想像はつく……こうなった時、私は一瞬見てしまった。

 痛みと嫌悪感に突き動かされて必死で振り払った時、ヤツらの歯に挟まれた腕の肉がえぐられてちぎれるのを……。


 私は、噛まれてしまった。

 だから私は、確実に感染している。

 だから私は……そのうち、ヤツらと同じになってしまう。

 うつろな目をして心をなくして歩き回り、生きた人間に誰彼かまわず襲い掛かる恐ろしい動く死体に……。


 そうなってから見つけてくれても、もうどうしようもない。

 私はすでに私であった頃の記憶も感情もなくして、こんなに愛しいあなたのことも分からずに噛みつこうとする。

 その私の姿をしたものはもう私じゃないから、私の意志では止められない。

 私にとってそれがどんなに辛い事でも、そうなった私はもうそれを感じる事すらできない。

 私がそうなってしまう前に、ただ、もう一度あなたに会いたい。


 私がそうなる前に、あなたは私を見つけてくれるだろうか?


 あなたたちとはぐれた時、私は気づいたら一人になっていた。

 だから私がここにいることは、私しか知らない。

 ここには通信手段がないから、あなたにそれを伝える術もない。私にあまり時間が残されていない事も、また……。

 それに通信手段があったとしても、私は自分のいる場所をうまく説明できるだろうか。

 一人になってからはもう、その一瞬一瞬を逃げるのに夢中で、自分がどこをどう走ってここに来たかなんて覚えていないのに。


 非常時ほど冷静な判断が必要になる、これは本当だ。

 私が相手にした死体は、最初はたったの一体だった。

 あなたたちは前方の死体を相手にしていたから、ここは私が引き受けて邪魔にならないように倒してしまおうと思って……それが間違いだった。

 私だってやればできるんだって、見せてあげたらあなたは喜んでくれるかしらなんて浮ついた考えで……その一体を倒した時には、大勢の死体が私に迫って来ていた。


 振り向いて助けを求めようとした時、あなたはもうそこにいなかった。

 でもこれは、作戦通りの行動。

 一息つける安全な拠点を確保するまでは、進行方向以外の死体を相手にしない。逃げ始める前に、みんなで何回も確認したこと。

 戦っている間にその音がもっと多くの死体を引き寄せてしまい、気が付いたら囲まれているような事態を避けるために……馬鹿な私が、さっきまさにやってしまったような。


 それからはもう、夢中だった。

 襲ってくる死体から逃げて、でもどこへ行けばいいのかは分からないまま。

 この入り組んだ建物の中で、あなたたちがどっちへ行ったかは見当もつかない。それにこのまま大群に追われながら合流したら、あなたにも迷惑がかかってしまう。

 せめてこいつらを振り切ろうとやみくもに走って、行く先々で別の死体に見つかって追い詰められて、おまけに噛まれて自分が時限爆弾にされて。


 ……心のどこかで、私はこのまま見つからない方がいいとも思う。

 探しに来れば、あなたたちはこの部屋の前の大群を相手にすることになる。

 そして結局、あなたが来ても来なくても、私はどうせ助からない。

 ……でも、それでも私は、今あなたに会いたくてたまらない。


 心の中でせめぎ合う、二つの気持ち。

 あなたのために、私に構わず安全なところに逃げて。多分これが一番みんなのためになる、正しい判断。

 私のために、どうか私が人であるうちに助けに来て。私が謝りたいとか、死ぬまで側にいてほしいとか、私のためだけの身勝手な望み。

 この暗い部屋でたった一人で死んでいく恐怖が、私にそれを望ませる。

 死ぬ前にせめてもう一度あなたの顔が見たい、あなたの声が聞きたい、そして……できればあなたの手で安らかに眠らせてほしいと。


 いっそ、自ら命を絶った方がいいかもしれないとも思う。

 でも私にその勇気はないし、ここにはそれができそうな道具はない。

 それならせめて命が続く限り生きて、あなたが私を見つけてくれるわずかな可能性を信じていよう。あなたがどうするかに関わらず、信じるのは自由だから。


 ……時が過ぎるのが遅い。……いいえ、速い?

 あなたが来てくれるのは待ち遠しいけれど、私の中の時限爆弾は確実に時を刻んでいる。

 ふと時計を見ると、さっきよりだいぶ針が進んでいた。時計を何気なく見るたび、過ぎていた時が長くなっている。

 これは良いしるし?それとも、悪い……。


「おい、ここにいるのか!?」

 愛しい人の声がその部屋に響いたのは、それから半日が経った後。

 その直後、ズダーンと無機質な銃声がこだまする。そして倒れる、起き上っていた女の死体。

 彼は、間に合わなかった。彼女は人である間に彼をもう一度認識することはなかった。

 しかし、最期の願いは叶えられた……せめてあなたの手で、安らかに眠りたいと。

 倒れた女の死体は、かすかに笑っているような安らかな顔をしていた。

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