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ゾンビ百人一首  作者: 青蓮
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風をいたみ岩うつ波のおのれのみ くだけて物を思ふころかな

 有馬山裏話の最終は、男の歌で締めたいと思います。

 前回の『名にし負はば~』の女性には、想いを寄せる男がいました。

 しかし彼は自分の優位にあぐらをかき、怠惰に身を任せて想いを告げずにいた結果、気が付いたら取り返しのつかない事態になっていました。


 あのときやればよかったと、後悔するのはどうしようもなくなってからです。

 最近、彼女はますますきれいになった。

 僕の彼女に寄せる気持ちも、どんどん強くなる。

 でも、どんなに強く想っても、この恋が報われる日は来るのだろうか。

 今の彼女は、まるで岩だ。押しても引いても動かない、何をやっても気にかける素振りすら見せてくれない。

 僕がどんなに彼女を愛しても、今の彼女から返してもらえるものは何もない。


 後悔するのは、どうしてもっと前に声をかけなかったのかということ。

 僕はずっと彼女の近くにいて、一緒に育ってきた。

 幼い頃から小学校、中学校もずっと一緒で、高校も同じだった。別にそのために努力した訳じゃないけど、要するに幼馴染だ。

 声をかけるチャンスなんて、いくらでもあった。

 でも、それが逆に良くなかったのかもしれない。いつかやる、まだ大丈夫と思っているうちに、彼女の心は不動の岩と化していた。


 あのまま一緒の大学に行って、社会人になっていればと思う時もある。

 でも、世界は僕たちにそれを許してくれなかった。

 僕が何となく彼女と過ごせる平和な世界は、もうない。

 災いは僕たちから惰性で何となく一緒になれる道を閉ざし、その後の変わり果てた世界が彼女を岩のように強く変えた。


 変わってしまった世界は、軟弱な僕や彼女が生きるには過酷だった。

 特に、太ってか弱くてなんの取り柄もなかった彼女には。人一倍食べるくせに足は遅くて疲れやすくて、生き抜く力に乏しかった彼女には。

 生ける屍に襲われても、重そうな体で転げそうになって逃げ回るしかできなかった彼女。

 あまり重い物は持てないし、狭いところには入りづらそうだった彼女。

 ただ、彼女の作る料理はとても美味しくて、一緒に食事をする時の笑顔が最高に幸せそうで、僕はこっそり彼女を慕っていた。

 その頃の彼女には、僕のほかに想いを寄せる者などいなかった。

 だから僕は、何もしなくてもこの恋が逃げていくことなどないと、追い風が来てやりやすくなった時に進めればいいとたかをくくっていた。


 でも、風は気まぐれだ。

 何となく踏み出せずに日々を過ごすうちに、風は突然変わった。

 彼女に、愛をささやく男が現れたのだ。


 あまりに予想外のできごとだった。

 あの生き抜く力に乏しい、現実的に考えたら荷物にしかならない彼女に、惚れる奴が現れるなんて。

 しかも、その男は僕よりずっとたくましくていい男だった。

 彼女が生ける屍に襲われた時も、数体を手際よく速攻で片づけてしまったらしい。

 こんな男、愛に飢えた彼女じゃなくてもたちまち虜になるだろう。


 思わぬ逆風に、僕は焦った。

 このままでは、彼女を取られてしまう……そう思った僕は、あの男の悪口を言うという卑怯な手段に出てしまった。

 だって、顔でも力でも敵わないのに、他に何ができたよ?

 あいつは素性が知れない、信用できないと、しかめ面で彼女に言い続けた。

 今になって思い返せば、そのたびに彼女の僕を見る目が冷たくなっていったけど、その時は必死だったんだ。

 彼女の心が離れていくのが嫌で、逆効果にしかならない事を夢中でやり続けていた。


 そんな日々は、思わぬ形で終わりを迎えた。

 彼女があの男と駆け落ちしようと食料を盗み出して、それを仲間に見つかった。彼女にそうしろとそそのかしたのは、あの男らしい。

 ほら見たことか、僕の言った通りあいつは悪い奴だったじゃないか。

 僕は誇らしげにそう言ったが、彼女の目はますます冷たくなるばかりだった。

 彼女は、肩を抱こうとした僕の手を打ち払ってこう言った。

「人が弱ってるところにつけこむなんて、最低……!」


 それでもまだ、僕は何とかなると思っていた。

 彼女は食料を盗んだ罪で、厳しい罰を受けている。

 この生ける屍がはびこる世界で、食糧を手に入れるのは大変だ。だから彼女は重罪人として、奴隷のような扱いを受けるようになった。

 安全な避難所から放り出されて、生ける屍がどこから襲ってくるか分からない街をさまよい、食糧と物資を探してこなければならない。しかも一人でだ。

 こんな生活に、か弱い彼女の心が音を上げないはずがない。

 彼女が弱音を吐いた時こそ、今度こそ僕が大きく手を広げて受け止める時だ。

 僕は相変わらず自分から踏み出さないまま、ひたすらその日を待ち続けていた。


 だが、予想に反して月日はどんどん流れていく。

 僕はもう、いつその時がくるかとやきもきしてたまらないのに、彼女は少しも音を上げることなく淡々と仕事をこなす。

 僕は、大好きなエサを前に「待て」と言われた犬のようだった。

 彼女が取られそうになった事で、僕は前よりずっと彼女が愛しくなった。罰を受ける彼女を見て庇護欲をかきたてられ、僕と一緒になればかばってあげるし食べ物も分けてやるのにと、もどかしさに身を焦がした。


 でも、結局それは僕の一人よがりでしかなかったんだ。

 誰よりも長く側にいたはずの彼女の変化に、僕は全く気付いていなかった。


 彼女は、僕ではない男に与えられた愛で、前よりずっと強くたくましくなっていた。

 それが本当の愛かどうかは、彼女にはもはや関係ない。

 僕が思った通り、心の底から愛に飢えていた彼女は、最初に与えられた詐欺師からの愛を貪るように腹の底まで味わった。

 そして、初めて心に染みわたる幸福感に、自分の運命の相手はこの人なんだと刷り込まれてしまった。


 彼女はその愛を糧に、めきめきと強くなった。

 危険な罰ですらもその愛のための試練だと受け止め、持ち帰る物資が足りなくて満足な食事を与えられなかった時ですら、幸せな思い出に身を委ねて耐えていた。

 以前はあんなに空腹に弱かった彼女が……信じられない。

 僕は僕の食べ物を少しとっておいてそれで釣ろうとしたけど、あえなく断られた。

 これなら確実になびくと思っていたのに……結局、僕は彼女に与えるはずの食べ物で満たされぬ心を満たすしかなかった。


 そうこうしているうちに、彼女は見た目まで変わり始めた。

 体を厚く覆っていた脂肪が落ち、筋肉がついて引き締まっていく。

 いつもおどおどして自信なさげだったのが、凛とした強さと希望に満ちた顔になり、目の奥にはまばゆい光が灯った。

 詐欺師への愛に身を捧げて重労働に耐える生活が、彼女を強く美しい魅力的な女性へと変えた。


 僕は、信じられない思いでその奇蹟を見ていた。

 ざまあみろ、僕が目をつけていた女は本当はこんなにいい女だったんだぞ。

 しかし、ここに来てまた周りの風が変わった。

 彼女の変貌を目の当たりにした他の男たちが、彼女を色気づいた目で見始めたのだ。

 僕は、激しく慌てた。今までは彼女が全くモテなかったからのんびりやっていたのに、このままでは本当に他の誰かに取られてしまう。


 それに気づいてから今まで、僕は彼女のためにできるあらゆる事をしてきた。

 でも、それらはことごとく空振りに終わっている。

 まずは彼女に課せられた罰を少しでも軽くしようと仲間に訴えたが、リーダー曰く同じことを言うのはもう三人目だし、彼女はそれを望んでいないとのことだった。

 それならせめて外で彼女を手伝い、生ける屍から守ってやろうと思って後をつけたが、逆に生ける屍に不意を突かれて彼女に助けられる始末だ。

 彼女に頭を割られた生ける屍に囲まれて尻餅をつく僕に、彼女は氷のような目をして言った。

「自分の行動に責任も取れないなら、やめたら?

 足手まといになるような男は、いらないの」


 何てことだ、彼女はもう僕の助けなんか必要としていなかった。

 彼女の中で、僕の株は恐ろしい程下がっている。

 どうにか目を引こうと何かやればやるほど情けない結果しか出せなくて、逆に弱いから守ってくれとすがれば蹴り飛ばされる。

 押しても引いてもどうにもならない、まるで岩のようだ。


 何より悔やんでいるのは、どうしてこうなる前にはっきり想いを告げなかったのかということ。

 でも原因は分かっている……これは、僕自身が今まで勇気をもって行動しなかった報いだ。

 僕は、恥ずかしいとか面倒くさいとか、惰性に流されて自分から踏み出さなかった。彼女が弱い事に甘えて、根拠もなく安心して周囲の流れに身を任せていた。

 彼女が愛に飢えていた頃に、一歩踏み出して手を差し伸べていれば……世界が変わって逆風に苦しむ彼女に、寄り添って愛を告げていれば……こんな事にはならなかった。


 しかし、もう元には戻らない。

 相手の気持ちを全く考えず的外れな事ばかりする僕に、彼女は心の岩戸を閉ざしてしまった。

 ああ、それでも僕は……今日も、そしてこれからも、無駄かもしれない体当たりをやめられないのだろう。

 行動はしなかったくせに、僕は想いばかりを募らせすぎた。無駄だと分かっていても、次から次へと彼女への慕情が湧いてきて、何かやらずにはいられないのだ。

 僕は、自分が粉々に砕け散るまでこの体当たりを続けるのだろうか……僕はどうしようもない自分自身を、心の中でそっと笑った。

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