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ゾンビ百人一首  作者: 青蓮
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山里は冬ぞさびしさまさりける 人目も草も枯れぬと思へば

 ゾンビの世界では、安全と物資を求めて田舎に避難するのはよくある話です。

 しかし、温かい季節はともかく冬の田舎にそんなに物資があるのでしょうか。

 それに、自分を相手にする者が誰もいない孤独に、あなたは耐えられますか?

 ヒュウヒュウと空虚な音を立てて、冷たい風が吹き抜ける。

 その風が入ってこないようにコートの襟をしっかりと掴んで、男は森から姿を現した。


「本当に、何もねえ所だな……」


 吐き捨てるようにつぶやいて、田んぼのあぜ道に足を踏み出す。

 あぜ道の草は伸び放題でそれなりに背丈はあったが、ほとんど枯れて乾ききっているため踏めば素直に折れてくれる。

 パキパキと軽く空っぽな音を聞きながら、男は周りの風景に目をやった。


 ここは、典型的な山の中の農村だ。

 少ない平地にモザイクのように広がる田畑に混じって、ところどころに農機具小屋と思しき粗末な小屋が建っている。

 家ははるか向こうに見える道路に沿って連なっているが、そこに人のにぎわいはない。

 空家のように雨戸を下ろした家ばかりが、模型のように並んでいる。

 山に囲まれた見渡す限りの視界に、人の姿はない。人の声も、人が生活のために立てる音も全く聞こえない。

 この山里に響くのは、風の音と枯草の葉擦れだけだ。


 男は、小さく舌打ちして道路沿いの集落に入る。

 相変わらず誰もいない通りを、それでも周りに目を配りながら歩いていく。

 なぜなら、男がこれからやろうとしているのは不法行為だからだ。誰かに見られたら、通報されて捕まってしまったら、一巻の終わりだ。

 こういう事をやるには、寂しいくらいがちょうどいい。


「ごめんくださーい!」


 集落の端の家の戸を、男は軽くノックする。

 外に誰もいなくても、家の中には誰かしらいる可能性がある。

 この田も畑も枯れ果てる農閑期、外でやる事がなければ人は外に出てこない。それでも、中で寒さをしのいで身を潜めている可能性はある。

 男は、こっそりと戸に耳をつけて神経を集中した。

 すると、中からズルズルと何かを引きずるような音が近づいてくる。

 面倒くさいのか、声もかけずに戸口に向かってくる。


 ハズレ、いや正常な人間がいるよりは当たりだ。


 音が扉のすぐ側まで来ると、男はおもむろに玄関の戸を開け放った。

「悪いな、邪魔するぜ!」

 次の瞬間、男の手にしたハンマーがぶんっと風を切り、鈍い音を立てて出てきた住人の頭をかち割る。

 住人は悲鳴も上げずに、その場に倒れた。


 白昼堂々の惨劇、しかしそこに騒がしさはない。

 事件に気づいた者の悲鳴も、集まってくる野次馬の好奇の目も、そして人間なら最期に少しは漏れるはずの吐息すらない。

 静寂の中の、惨劇。


 男は倒れた住人を乱暴に蹴飛ばし、ハンマーを引き抜いた。

 あれほど血流が多いはずの頭を狙ったのに、血だまりは広がらない。傷口からは、代わりに腐りかけの変色した脳みそがドロリと垂れた。

 住人の肌はすでに血の気と張りを失い、目は今命を絶たれたとは思えないほど濁っている。

 当然だ、この住人はすでにかなり前に死んでいたのだから。

 死人は歩いても、悲鳴も上げなければ温かい血潮も噴出さない。


 生活空間にいても見えない棺に入っているように、静かに動いて静かに終わりを迎える。


 男は、動かなくなった死人をどけると、足音を忍ばせて家の中に入った。

 どうやら、この家にいたのはこいつ一人だったようだ。閉まっている戸を叩いても、わざと音を立てて家探ししても、誰も出てこない。

 この家どころか、周りから漏れてくる音すらない。

 一切の雑音がない中で、ただ研ぎ澄まされた風の音のみが外から伝わってくる。

 普通人の生活空間にはいろいろな音があふれているが、こう静かでは男が仕事に精を出す音を隠せないではないか。


 一通り家探しが済むと、男はぶっきらぼうに吐き捨てた。

「チッ、しけてやがる。まともな食い物が残ってやしねえ!」

 男の声は一瞬風の音を押しのけて存在感を放つが、すぐに消えていく。

 本当ならこうして油断して声を出すのはご法度だが、ここまで何もないと逆にどうでもよくなる。


 見ている人はいない。

 さっきのような死人がいれば声を聞きつけるかもしれないが、近くにはもういない。

 見る者も聞く者もいなければ、隠れる必要もないし、紛れる音も要らない。

 こんなに簡単で、虚しい仕事はない。


 男は、別の土地から来た流れ者の泥棒だった。

 元々はもっと人の多い街にいて、そこで豊富な物資を漁って生活していたのだが、生活が苦しくなってきたのでこの山里にやって来た。

 生活が苦しいというのは、仕事が危険になってきたということだ。

 もっとも、男がこの仕事を始めたのもそう遠い昔ではないが。


 この世を死人が歩き回るようになってから、男の生活は一変した。

 死人が人を襲って混乱を起こしたせいで、生きるのに必要なものが普通に手に入らなくなった。

 だから男はやむなく泥棒になったし、他の多くの生存者もそうやって生きる事にした。

 しかし、街は残っている物資は多かったが、仕事がやりづらかった。

 元から人が多かったせいで、襲ってくる死人も物資を奪い合う生存者も多い。死人の目に触れれば問答無用で襲われるし、同業者に出会えば物資の奪い合いが始まる。

 周りの物音に耳を澄まそうとしても、死人や他の生存者が出す雑音が邪魔で仕方なかった。

 そんな生活が嫌で、人目が少なく物資が残っていそうな田舎に来たのだが……。


「本当に、何もないじゃないか……!」

 田も畑も枯れ果てるこの季節、山里にはほとんど食べ物がなかった。

 刈り入れされなかった稲は風雨に打たれて泥の中で腐り、畑の作物は収穫期をはるかに過ぎて枯れ落ち、山の木々は葉を失って裸になり、わずかに枝に残っている果物は死人のように食い破られて腐っている。

 元々自給自足に近いこの村に、インスタント食品の備蓄などほとんどない。

 人口が少ないせいで死人は少ないが、生存者は全く見かけない。


 ひどい孤独が、男を襲った。

 まるで自分が、世界で最後の生き残りになってしまったような。

 自分はここで、誰にも看取られず何も手に入れられずに朽ち果ててしまうのか。自分という命は、もはや誰にも気づかれず見捨てられてしまったのか。

 涙を流しても、その男の姿を映す目はない。

 男の泣き声は聞く者もなく、木枯らしの音に紛れ、やがて消えていった。

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