きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに 衣かたしきひとりかも寝む
普通に考えて、霜が降りたらキリギリスは死ぬ季節なんじゃないかと……。
それを踏まえて、今回は「アリとキリギリス」みたいな感じです。
ゾンビがはびこって社会が崩壊したら、メディアやITでの仕事を評価されていた人たちはどうなってしまうのでしょうか。
なあ、信じられるか?
俺はこれでも、世に名の知れた男だったんだぜ。
都心の高級マンションで日ごとに違う女を囲い、ふかふかの羽毛布団とムーディーな音楽の中で毎夜愛を語っていた。
それが今や……何でこんな固い床の上で一人で転がされているんだ。
俺はこんな扱いをしていい人間じゃないんだぞ、分かってんのか田舎者ども!
いくら怒りをぶちまけても、聞いてくれる奴は誰もいない。
この部屋には、俺一人しかいないから。
というか、この家に俺一人しかいない。いや、この建物は家と呼ぶには粗末すぎる、こんなものは小屋と呼ぶのがふさわしい。
ここは本当に人が住むために作られたのか、不安になるほど隙間風が入ってくる。
暖房、いやせめてストーブがあれば……屋内で気温に不自由するなんて、子供の時以来だ。
子供の頃から、金持ちに憧れていた。
名を売って金持ちになればたいていの事は思い通りになる、そんな未来を思い描いてあらゆる努力をしてきた。
それでもうまくいかない奴は山ほどいるから、俺に才能があったのは本当に幸運だった。
親はもう少し地に足をつけた職に就けだの何だのほざいたが、世の中に一気に名を広める方を選ばないなんて馬鹿のすることだ。
そうして俺は、己の才能と努力の全てを注ぎ込んで全国に轟く名声を得た。
エンターテイメント業界の頂点、トップメディアクリエイターとして。
現代の人間は、とにかく暇を嫌う。
聴覚、視覚が刺激されていないと、すぐにテレビをつけたり音楽を流したりゲームを始めたりする。
だから俺は、それらを満たすものを作り続けて巨万の富を得た。
俺のおかげで目や耳や脳に恩恵を受けた奴がどれだけいるのかと考えると、これは当然だ。
なあ、俺はそこまでおまえらにしてやったのに、何でこんなひどい扱いができるんだよ。
おまえらの中にも、俺の関わった番組を楽しみにしていた奴やゲームにハマッていた奴はいるんだろう?
その代わりが、こんな埃だらけの部屋に放置プレイってのはどういう事だ。
どう考えても、あんなに世の中を楽しませた人間に対する扱いじゃないだろう。
全く、世の中はおかしくなりすぎている。
世の中がおかしくなった原因は、間違いなくあの奇病のせいだろう。
かかると頭も体もおかしくなって、体は死んでいるのに動き出して人を食べようとする……病名は長すぎてもう忘れてしまった。
役人どもがつける名前は分かりづらいうえに無駄に長すぎる。アレの命名も俺に任せてくれたら、もっと分かりやすくてパッとする名前を考えてやったものを。
俺があの病気に興味を持てなかったのは、役人どものせいだぞ。伝え方が下手だと人の興味は引けない、対策が遅れたのはそのせいだ。
あの奇病と生ける屍は人の理解をはるかに超える速さで世の中にはびこり、世の中の正しいあり方をひっくり返してしまった。
世の中がひっくり返る前、俺の周りにはいつも人があふれていた。
俺の生み出すものの利益に群がる人間、業界で口を聞いてもらいたい人間、そして俺に愛されたい女たち……。
欲しい物を言えば、すぐに誰かが持ってきた。部屋が暑いとか寒いとか言えば、他の全ての人間を無視して俺に合わせてくれた。
常に温かく快適で、持て余す暇などあるはずもない光と音と声に満ちあふれた世界。
それが俺の功績に対して与えられた、正当な扱いだった。
それがこんな風に何もかも無くなってしまう日が来るなど、誰が想像しただろう。
今の俺には、何もない。
車もなければ豪華な住処もなし、あれほど払っても払っても湧いてきた取り巻きすら一人もいない。金は数字上そんなに減っていないはずだが、それ自体がいくらあっても意味のない紙クズになってしまった。
人として最低限の暖を取る道具もないし、それと引き換えるための仕事すら……ない。
生ける屍から逃れるのに一生懸命で、人はメディアの娯楽を必要としなくなった。
俺の元からあった仕事は全て潰れ、もう俺が利益を生めないとみるや人々は去って行った。
俺は何も悪い事をしていないのに、功績が消えた訳じゃないのに……だぞ!?
苛立ちをぶつけて殴った床は、相応の痛みをこの手に返してくる。
この固い床は、俺に全く優しくしてくれない。板を打ち付けただけの床からは尻に冷気がしみ込み、ささくれ立った棘が怖くて寝ることもできない。
おまけに、この殺風景で何もない部屋にはくるまるものすらない。
こんな小屋で、一体どうやって眠ればいいんだ。
突然、何者かが小屋の戸を叩いた。
弾かれたように戸を開けると、そこに立っていたのは一人の老人だった。
老人は俺に長く丸めた何かを差し出し、心配そうにこう言った。
「あんたがどれだけ偉い人かは知らんが、意地を張るのも大概にしときや。働かざる者食うべからず、昔っからこれは変わらんで。
皆と一緒に温かいところで寝たいなら、ちっとは自分のできる仕事を考えてみな。
これからもっと寒くなる……今日はきっと、霜が降りるじゃろう」
老人がくれたのは、粗末なわらのむしろ……受け取ると、バラバラと砂が落ちた。
老人がいなくなると、俺はむしろの上で横になった。
温かくも何ともない、ただ棘が刺さらないだけだ。霜が降るような寒い日にこんなむしろ一枚で寝ろなんて、この村の奴らの心は霜よりも冷たい。
敷くものはあっても、かけるものは俺がずっと着たままの服しかないじゃないか。
こんな状態で、冬が越せると思うのか。
眠ろうとすると、静けさがシーンと耳につく。
いつもお気に入りのBGMで耳を満たしていた俺には、耐えがたい静寂だ。
しかし、それをかすかにどけて、低くゆっくりとしたBGMがどこからか流れてきた。
ギー……ギー……ギーチョン……ギー……チョン……
こいつは、虫の声だ。小屋の近くで、キリギリスが鳴いている。
一瞬だけ、癒された。しかしキリギリスという虫の名に気づいたとたん、俺は奈落の底に落とされたような恐怖を味わった。
アリとキリギリス、誰でも知っている童話だ。夏の間遊んでばかりいたキリギリスは冬に住処も食べ物もなく、働き者のアリに助けを求めても追い出されて……。
何だか、誰かに似てないか?
なあ待てよ、俺は世界が変わる前はちゃんと働いてたんだぞ?遊んでた訳じゃない!
そんな同情のような鳴き声はやめろ、俺はおまえとは違うんだよ!
聞こえてくるBGMは弱弱しく、今にも消えてしまいそうだ。もしかしたら明日の朝には、真っ白な霜に包まれて命を終えているのかもしれない。
どこまでも冷たい世界で、己の怠惰を呪いながら……。
冗談じゃない、俺はそんなになってたまるか!
ああ、でも……寒風にさらされ、霜をしのぐ場所を探して、それでも奏でる事しかできないキリギリス。
ようやくたどり着いた生存者の集落で疎まれ、暖炉も毛布もない小屋で一人震えて夜を過ごす俺。
このままじゃ、俺は本当にキリギリスと同じように……。
だがな、俺はおまえとは違うんだ!
キリギリスは奏でることしかできないが、俺にはきちんと働ける手足があるじゃないか。パソコンがなくたってメディアの仕事がなくたって、俺にはまだやれる仕事があるじゃないか。
俺の得意分野とは程遠い、それでも他の奴らと一緒に温まって食っていけるなら……!
俺は、おまえのようにはならない!
心の芯が熱くなると、体も少しだけ温まった気がした。
今日はこのまま眠るしかないが、明日になったら他の奴らが集まっている公民館に行ってみよう。
そして、俺にできる仕事がないか声をかけてみよう。メディアの仕事はなくても、生きるためにやる事はいくらでもあるはずだ。
肩書に縛られてキリギリスのように死ぬよりは、俺はアリになっても生き延びる。
おまえが命の終わりに与えてくれたこの音楽、俺はきっと一生忘れないよ。
夜が更けて、冷たい霜が小屋も周りも白く染めていく。
翌朝俺が意を決して小屋から踏み出した時、真っ白な霜に覆われた虫の亡骸が一つ、戸口に転がっていた。




