山川に風のかけたるしがらみは 流れもあへぬ紅葉なりけり
紅葉キャンペーン第6弾、ようやく紅葉は最後です。
しかし、紅葉が散る前にもう雪が降り始めてしまいましたよ。
今年のような気候なら、きっと紅葉第1弾「小倉山~」のヒロインも恋の炎が燃え尽きる前に想い人に会えたことでしょう。
逃げようとしても、目的をもって向かおうとしても、ソレは足を鈍らせる。
べたべたとまとわりついてがんじがらめに縛り付けて、逃れようとする者を引き止めて放さない。
全くもって厄介なものだ、しがらみという奴は。
厚く積もった紅葉を踏み分けて、僕は歩いていた。
もう木に残った葉は少なく、上を見上げるとむき出しの枝の間に空が見える。しかし下を見れば、そこには一面の紅葉のじゅうたんが広がっている。
木としての紅葉を楽しむには少々遅いが、地面を覆う極色彩を楽しむにはいい季節だ。
いつもなら、この辺りでもそれなりに紅葉狩りの客とすれ違う頃だろう。
しかし、今僕の周りに、人影はない。
もう紅葉を見に来るような人間が、ほとんど残っていないから。
僕も正直、紅葉を楽しむためにここに来た訳じゃない。
僕が今こうして歩いているのは、決して物見遊山ではない。僕にはきちんと、目指すべき場所がある。
僕はこれから、田舎の親に会いに行く。
街に出てから一度も帰っていなかった故郷、懐かしい大切な人たちが待つ土地に。
田舎のしがらみが嫌で、街に出てきた。
いつも誰かとつながっていて、自由気ままに生きられない田舎が嫌だった。あのどこにいてもまとわりつくような人の縁の濃さが、うっとうしかった。
何をするにも周りを気遣い、他人の都合で振り回されるのが何より煩わしかった。
それから逃げたくて、しがらみを払いたくて、家で同然に田舎を飛び出した。
でも、結局それで自由に生きられた訳じゃない。都会にだって、誰かと関わればどうしてもその縁がしがらみになる。
精神的なしがらみから逃れる事はできないのかと、毎日うつうつ悩んでいた。
しかし、僕は都会でできた心のしがらみを払って、また歩き出すことができた。
理由は簡単、心のしがらみでつながる相手が、いなくなったからだ。
心のしがらみは、つながりたい心から生まれる。人はみな群れて安心したがるから、そこにしがらみが生まれる。
だから人がつながりたいと思わなければ、そこにしがらみは生まれない。
都会で群れていた人々が寂しいという心を失い、誰かに側にいてほしいと思わなくなり、他者のことなどまるで気にかけない人でなしに成り下がったから……都会にはもう、僕を縛る心のしがらみはなくなった。
僕は一人で、軽い足を進める。
柔らかく色鮮やかな紅葉を思うままに踏みしめ、川に沿って歩く。
故郷に帰るには、どこかでこの川を渡らなくてはならない。こんな山の中に橋など滅多にないから、歩いて渡れる浅瀬を探さねばならない。
幸い、それは意外に簡単に見つかった。
清く透明な流れをせき止めて、赤や黄色の塊が川の流れを遮っていた。
太くゆったりとした川の流れが、ここだけ通りづらそうに細い流れに分かれている。
水の自由な流れを遮るのは、黒い岩や枝をつないでいる燃えるような茜色の堰。奔放な水すらもせき止めて留めておこうとする、天然のしがらみだ。
それを形作るのは、一つ一つではとても水を止めることなどできないはずの、紅葉の葉。
川に落ちて流れてきた紅葉が、流れの緩い浅瀬で枝や岩に引っかかって動けなくなる。そしてそこに、また次の紅葉が流れてきて引っかかる。
それを繰り返すうちに、紅葉の集合体はどんどん大きく長く強固になっていく。風の力も手伝っておびただしい数の紅葉が連なり、水の流れる道をますます狭めていく。そして自由な流れに身を任せていた紅葉をも巻き込み、ついには水の流れさえ止めてしまう。
流れてくる紅葉は、ことごとくまとわりつかれて逃れられず、自らもしがらみの一部となって流れを遮る側に回ってしまう。
初めは逃げたい側のはずだったのに、実に滑稽な光景だ。
みっしりと連なる紅葉の堰を見て、僕は苦笑した。
この手の物理的なしがらみは、都会で嫌と言うほど見てきた。
人の心を失った者たちが、どうやって他の人間たちを仲間に引き込んでいったのか……やはり天然のしがらみができるやり方は、どこも同じだ。
思えば、都会には浅瀬のような流れが滞りやすいところが多かった。
ビルの間の狭い路地、建物の入口、駅の改札口や階段……例えば通勤ラッシュの時間帯に一人が改札で詰まったら、あっという間に人が固まってしがらみになる。
だが、だいたいそれはすぐに解消する。
人は皆どこか別の目的地に向かっているのだから、一か所詰まってもいずれ別の出口から去っていく。
だが、人の心を失ったモノたちはそうはいかなかった。
感情も理性も思考も失ったヤツらに、別の目的地などない。
あの人でなし共の目的はただ一つ、生きた人間を食うことだけだ。餌が近くにいれば追いかけるが、特に刺激がなければたいてい元いた場所にとどまっている。
引っかかって流れていかない、紅葉のように。
そのうえヤツらは、生きた人間に噛みつくと相手を仲間に引き込んでしまう。食い殺された人間が、また新たな人でなしになって立ち上がる。この感染性は厄介だ。
都会であの狂気の病が広がった時、街の至る所に物理的なしがらみができた。
例えば、人がたくさん集まった場所で誰かが発症し、人でなしになる。そうすると他の人間は一斉に逃げようとして狭い出口に殺到し、押し合い圧し合いで動けなくなる。
人でなしは動けない人間たちに噛みつき、あっという間に感染を広げる。そしてそこに引っかかっていた人間の群れは、見る間に人でなしの群れに変わる。
狭い路地で、ビルの出入口で、地下街の階段で、それは起こった。
道路だって例外じゃない。人が一斉に車で逃げ出そうとして渋滞したところに人でなしが事故を起こして、逃げ出すのに使われるはずだった車は全て動けなくなり、やって来る車を決して通さない死のバリケードになった。
都会は今や、そんな死のしがらみばかりだ。
心のしがらみがなくなった代わりに、人でなしの群れがあちこちで獲物を待っている。
もしそこを訪れる者がいれば、人でなし共は一気に襲い掛かり、哀れな犠牲者を自分たちの仲間にしてしまう。
そうして、そこの群れはまた数を増やして強固になる。
次々と流れてくる葉をくっつけて大きくなる、紅葉のしがらみと同じだ。
僕は、もうそんな都会で生きようと思わなかった。
あんな恐ろしいしがらみの一部になるくらいなら、田舎で心のしがらみに付き合う方がましだ。
それに、長大なしがらみを川にかけるには大量の紅葉が要るように、元になる人間の数が少なければあんな大きな群れはできない。
田舎は少なくとも、人が少ない分都会よりは安全なはずだ。
生きられる地に辿り着くために、僕は浅瀬に足を踏み出す。
棚田のようになった紅葉のしがらみを踏み壊しながら、歩を進める。
しかし、その間に頭を出していた黒い岩に乗ったとたん、足元がずるりと滑った。
「うおぉっと!!?」
思わず川の中に手をついて、僕は驚愕した。
足をかけた岩は黒くぐちゃぐちゃしたものがはがれ、白いドームのようなものがのぞいている。それがゆっくりと動き、水中に隠れていた顔がせり上がってきた。
これは、岩じゃない。
水中に倒れ伏したまま動かなくなっていた、人でなしだ。
僕はすぐさま逃げようとしたが、手も足ももう動かなかった。
美しい紅葉をまとった枝が、手足にからみついている。いや、これは枝じゃなくて、腐敗して黒くなった人でなしの手だ。
はっと周りを見れば、岩や枝だと思っていたものが次々と動き出して擬態を解いていく。
何てことだ、これはただの紅葉のしがらみじゃなかった。
紅葉をまとって見えなくなった、死のしがらみだったんだ。
誰かがこの浅瀬で人でなしに襲われ、もしくは病が進んで倒れ伏したまま人でなしになる。
そいつは流れてくる紅葉に張り付かれて目も耳も塞がれ、餌がやって来ても触れるまで感知できないから動かない。
しかし訪れる者もまた、紅葉に埋まって動かない人でなしを感知できない。踏みつけてそれが何か分かった時には、もう汚れた歯の射程内だ。
そうして、渡ろうとした者はそこで倒れて、また人でなしが増える。
この川は浅瀬がそう多くないから、ここを渡って逃げようとする者は多いはずだ。それが次々と同じやり方で捕まり、死のしがらみはどんどん大きくなって……。
ああ、父さん、母さん……僕はもう再びあなたに会えそうにありません。
きっとここで水に伏したまま、艶やかな紅葉を身にまとってしがらみの一部になるのでしょう。
願わくば父さんと母さんが僕を探して、この浅瀬を渡りませんように。いや、もう誰もここに来ませんように。
ここは逃れられぬ死のしがらみ、捕まれば命の流れをせき止められてしまうから。
水を赤く染めて動かなくなったその男に、風に吹かれた紅葉が一枚、また一枚とはなむけのように張り付いていった。




