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ゾンビ百人一首  作者: 青蓮
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小倉山峰のもみぢ葉心あらば 今ひとたびのみゆき待たなむ

 秋が深まってきましたので、紅葉の歌の季節です。

 これからしばらく、紅葉キャンペーンで紅葉の歌を投下していこうと思います。

「ほら、もう紅葉がこんなに赤く」

 一人が、彩豊かな枝を指差して言う。

 すると、もう一人が切なげなため息とともにこぼした。

「じゃあ、もうすぐあの人に会えるんだね……」

 枝の紅葉とは逆に、どことなく平坦で、疲れたようなセピア色の声。

 それを聞くと、紅葉に目を輝かせていた他の人たちの顔も少し色を落とす。

 それでも、ため息を漏らすその女を責めることはできなかった。だって彼女の気持ちは、痛いほど分かる。

 想い人を待つ女の気持ちは、いつだって切ない。


 遠距離恋愛とは、どのくらいの距離を言うのだろうか。

 かつてそれは、新幹線や飛行機で会いに行くくらいのとてつもない距離を言っていたらしい。

 それでも一日足らずで会いに行けるのだから、今からしたらそんなのは遠距離でも何でもない。

 結局のところ、恋愛としての距離は会いやすさなのだから。


 塞ぎこむ気持ちを少しでも晴らすように、女は紅葉の向こうの景色を見渡す。

 赤や黄色にまだ鮮やかな緑の混じる艶やかな山々に囲まれて、いくつかの盆地がここから見渡せる。

 その遠くに見える盆地の一つに、彼のいる集落はある。

 この山から道一本でつながった、手を伸ばせば届きそうなところに。


 ふわりと、目の前で紅葉の葉が舞う。

 せっかくだから捕まえてよく眺めようと思ったのに、その葉はひらりと指の間をすり抜けて谷へと落ちていく。

 届きそうなのに、届かない……その葉はまた女を憂鬱にさせた。


 こんなに近くに見えているのに……あとほんの少しで、届きそうなのに。


 届かないのは、二人の間に深く恐ろしい谷があるから。

 目に見えない、どこまでも深い死の谷……それが口を開けてから、目に見えるほどの距離は遠距離と言えるようになった。

 見えても、もう容易に近づけない。

 一歩踏み外せば、命がなくなってしまう。

 お互いが会って幸せになるためには、お互いの命があることが必須条件で……それを守るために、二人の距離は果てしなく遠くなった。


 またため息をついて、視線が下に落ちる。

 彼の集落よりこちらに近い街に、ふと目が落ちる。

 次の瞬間、全身の毛が逆立った。

 黒い箱のように見える建物の間を、ふらふらと歩く人影。

 アレは人間なのか、それとも……女は震えながらも目を凝らす。その人影は前かがみで、足を引きずるようにあてもなく歩を進め……。

(……いる!)

 鮮やかな希望が、また遠のいた。


 手の届きそうな距離を、暗く危険な旅路に変えてしまったもの……それがあの、人間によく似た鬼みたいな奴らだ。

 人間に噛みついて肉を食う、噛まれた人間もそのうち鬼になって他の人を襲う。生前の、人であった頃の面影を残したまま。

 そんな奴らが、今はほとんどの街で闊歩している。いや、街も野も山も……今やあの鬼どもの住処は地上のほとんどだ。

 目に見えない深い谷とは、このこと。

 この二度と這い上がれぬ谷を越えねばならぬとあっては、どんな短い距離でも難路となる。

 道のあちこちが捨てられた車で塞がっているうえに、電車も飛行機ももう動いていない。

 こうして、二人の恋愛は遠距離になった。


「……雪の降る頃には、会いに来れるんだって」

 さんさんと晴れた空を見上げ、女はつぶやく。

 ぽかぽかと降り注ぐ小春日和の日差しが、今は無性に憎らしい。

 早くこの太陽が厚い雪雲に隠れて、ぐっと寒さが押し寄せて白い雪が舞い始めれば、あの人がここに来られるようになる。


 女は、この集落の大切な身。

 男は、あちらの集落の大切な働き手であり守り手。

 二人とも死なれては困るから、今は安全な集落から出られない。

 だが、雪が降るくらい寒くなって、あの体温を失った鬼どもが凍り付く季節になれば、彼は安全にここに来られるようになる。


「それまで、待っててくれないかなあ……」

 足元に落ちた紅葉をひとひら拾い上げ、くるくると回す。

 この葉は、今日女が見るのも待てずに落ちてしまった不精者だ。

 都会や有名な観光スポットがほとんど全滅してしまった今でも、こうして自然のデートスポットはまだ残っているのに。

 男が来る前に散ってしまったら、意味がない。


 きっと女は、それから毎日男が来るのを指折り数えて待つのだろう。

 日々色が深くなり、散っていく紅葉を見上げながら、それこそ散る寸前の紅葉のように真っ赤に焼け焦がれた心を抱いて。

 だが、火はいつか灰になる。たまには燃料を足さなければ、燃え尽きて冷めてしまう。


 ……もし、この紅葉が散り果てるまでに彼が来なかったら……。


 待ち続け、焦がれ続けるのは力が要ることだ。

 会えぬ辛さに耐え、だんだんとその苦しみそのものが嫌になっていく。

 雪が降るまでとは言ったが、いつ雪が降るかなんて分からないし、そもそもずっと音信不通の彼が生きているかも分からないのに。

 疲れて、燃料も少なくなって、だんだんとこの火を消したくなってくる。


 冷えそうになった心を再び奮い立たせるように、女はまた紅葉を見上げる。

 これがある限り、今は希望を持っていられる。

 だからどうかその日が来るまで散らないでいてと、心からの願いをかける。紅葉の上に雪が降ることだって、絶対にないとは言い切れない。

 もしこの下を二人で歩けたら、私たちはずっと幸せになれるから、と。


 そんな女の頭を軽く撫でるように、一陣の風が吹き抜ける。

 温かい風と日差しに誘われるように、真っ赤に染まった葉は一枚、また一枚と舞い落ちていった。

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