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ゾンビ百人一首  作者: 青蓮
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大江山いく野の道の遠ければ まだふみも見ず天の橋立

 リクエストがあったので、今度はこの歌になりました。


 近くの知人がいなくなってしまったら、昔親しかった人に会いたくなる……ゾンビものではよくある話です。

 それがどんなフラグになるかは別として。

 会えると、信じています。


 砂が海を埋めて橋を架けるように、離れ離れになってもいつかきっと会えると。

 深く果てしないように見える海でも、少しずつ砂がたまっていけば、いつしか陸地となって緑が生い茂るように。

 だから今は別れても、心の中の架け橋をずっと忘れないでいて。

 そしていつか、逆境の海に橋を架けて帰ってきなさい。


 それが、別れ際に聞いた母の言葉でした。


 人のいない山道を、私は一人歩き続ける。

 寂しいとは思わない、私はこれから大切な母さんに会いに行くのだから。

 正直いって、こんなに早く会いに行けるとは思わなかった。少なくとも高校か大学に行って家を出るまでは……あの父親の目や、それに味方する社会の目を逃れてからでないと無理だと思っていた。

 子供は、思った以上に束縛が多い。家出をすれば警察に保護されてしまうし、周りの人間は私を父の家に戻そうとする。

 それが、社会の秩序だから。

 だからその秩序が壊れた時、私は嬉しかった。


 これで、母さんに会いに行ける。


 父と過ごした大阪を抜け、私は北へ向かう。

 もう私を止めようとする人間はいない。

 学校はなくなったから出席しなくていいし、捕まえに来る警察も今はもうまともに機能していない。

 私は、自由だ。

 その代わり、友達も先生もいなくなってしまったけど。

 でも、母さんに会いに行けるのだから、今はそれだけを思って歩き続けている。


 いつかきっと会いに行くと、固く誓った母さん。

 この山の先に母さんがいて、あの偉大な架け橋があるのなら。


 もう京都に入ってだいぶ長いこと歩いた。

 それでも目の前に広がるのは、一般的な京都のイメージとは程遠い山と田んぼばかりの風景。街はあっても小さくて、観光地の京都しか知らない人はげんなりするかもしれない。

 でも私は知っている、あの華やかな都は京都の一部でしかない。

 そうじゃない京都で生まれ育った母さんが、そして今もきっとそこにいる母さんがそれを教えてくれたから。


 華やかな都会じゃなくても、いい所はたくさんあるのよ。

 私の故郷にある天橋立なんか、人の力を加えなくてもあんなにきれいなんだから。

 いつかあなたと一緒に、天橋立を渡りましょう。


 昔よく聞かされた、母さんの故郷の話。

 一見すぐ波に削られてしまいそうな砂州が長く伸びて、一つの湾を海から切り離してしまったというふしぎな場所。

 幼心にとても興味を惹かれて、ぜひ一度行ってみたいと思っていた。

 母さんと引き離されてからは、それは母さんそのものに重なった。

 私を海のように取り囲む社会がどんなに深く果てしなくても、必ず天橋立のように海を貫いて母とつながってみせるんだと。

 あれからずっと音信不通だけど、私は信じ続けている。


 まだ見たことも歩いたこともない天橋立に、未だ会えない母を思って。


 慣れない長旅に疲れた足を時々休めながら、私は山道を進む。

 人の少ない場所なら、見つかって邪魔されることはほとんどない。かつて人だったモノに邪魔されることも、ほとんどない。

 かつて人があんなにあふれていた大阪や京都の都市部には、もう人はほとんど残っていない。

 今そこを支配しているのは、かつて人だったバケモノだ。

 バケモノは人に噛みつき、噛まれた人もバケモノに変わる。しかもあのバケモノどもは、人を殺す程度の攻撃じゃ倒れてくれない。

 そのおぞましいバケモノたちが、私を囲む社会の海に風穴を開けた。


 私は一人でいても、もう家に連れ戻されたりしない。周りの大人も警察も、みんなバケモノになったから。

 大阪を離れる理由もできた。あんなバケモノだらけの所にはいられない、だから田舎に逃げるのだと。

 私を放さなかった父さんも、もういない。人がたくさんいる方が安心できると人の多いところに助けを求めて、バケモノに変わった群れにのまれてしまったから。

 人の多いところでしか生きられなかった、最後まで人の群れから離れられなかった哀れな父さん……でも、私はそうじゃない。


 昔の人と同じように、私は自分の足で天橋立を目指す。

 大江山を越え、幾日も山野に伏して、私は北に向かう。

 この先に、天橋立がある。そして千年変わらぬ天橋立と同じように、母さんもきっと変わらずそこにいる。

 あの丘を越えれば、天橋立が見えるはずだ。

 そしてそのたもとに、母さんがいるはず。


 私は丘を駆け上がり、目の前に開けた海岸線に目を凝らして……

「あれ?」


 思わず目をしばたいて、首をかしげた。

 目の前にあるのは海とつながった湾と、湾の中央付近に浮かぶ砂の小島。

 陸と陸をつなぐ橋はなく、その上に茂っていたはずの松林は影も形もない。ただ青い海に、ぽつんと小さな島だけが浮いている。


「……道、間違えたかな?」

 だって、千年変わらないふしぎな橋が、なくなる訳がない。

 私はどこで道を間違えたのか思い返すべく、とぼとぼと丘を後にした。



 ……実際のところ、そこには確かに天橋立があったのだ。

 なくなったのは、人の力に他ならない。

 バケモノに追われた住民たちが、近くになかった安全な離島を作ろうとしたのだ。天橋立には真水の湧く井戸がある。そこを陸地から切り離してしまえば、バケモノが容易に近づけない避難所になるはずだと。

 そうして彼女が足を踏み入れる前に、天橋立は消滅した。


 何万年も続く人の営みが途絶えようとしているのに、その人々の側にあった地形がそのまま残るなどと誰が保証できるだろうか。

 しかし、未だ幼く頑なな彼女にはそれが理解できなかった。

 必ずどこかにあるはずだと失われた橋を追い求め続け……そして彼女が残骸の島に足を踏み入れる日は、ついに来ることがなかった。

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