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ゾンビ百人一首  作者: 青蓮
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難波津に咲くやこの花冬籠り 今を春べと咲くやこの花

 リクエストのあった、序歌です。


 ちょうど季節的にそんな時期だったので、割とすぐできました。

 冬が終わって春が来て、冬籠りという名の籠城が限界に来ても、すぐ食べ物が手に入りやすい季節とは限らないのです。

 移り行く季節と、営みの止まった街の対比も合わせて。

 さらさらと、ゆるやかに水が流れる。

 温かく緩んだ水の傍らで、鮮烈な黄色の花が咲き誇る。

 都会の川の泥臭さにも負けじと放つ、わずかに刺激を帯びた甘い香り。目と鼻から訴えかけて、他の皆も目覚めよと叫んでいる。

 長い冬を耐え、春を喜んで咲く歓喜の花。

 誰も世話をしてくれなくてもたくましく生き抜き、咲き誇る菜の花。


 その若い茎を、誰かが手折った。

 厳しい冬を乗り越えてようやく咲いた花に、誰がこんな無粋なことをするのか。

 答えは、人間に他ならない。

「あーあ、咲いちまってるヤツは食えねえな。

 ま、他の株よりは残ってるか」

 人間はそう言って菜の花の根元に手を突っ込み、まだ咲いていない蕾のついた茎を無遠慮に手折っていく。これから美しく咲いたであろう、喜びを秘めた蕾を。


 見れば、周りの菜の花はみな同じような有様になっている。

 人間が持つ袋の中には、摘み取られた菜の花の蕾がたくさん詰まっている。

 それだけではない。柔らかそうな木の芽やつくしなど、春を心待ちにしていた植物たちが手あたり次第摘まれている。

 彼らも辛い冬を耐え続けて、ようやく体を伸ばし始めたというのに、どうしてそれを貪りつくすような真似をするのか。


 人間には、そのような思いやりを持つ余裕などどこにもなかった。

 人間は、痩せこけて憔悴していた。

 ぼうぼうに伸びて傷んだ髪と肉の削げた頬、飛び出しそうにギラギラと見開いた目。細い手足を重そうに動かしながら、ぶつぶつと呟く。

「食えるもの……とにかく、何か食い物を……。

 こんなぽっちじゃ足りねえ……食わねえと、死んじまう……!」


 人間は、飢えていた。

 まるで、冬眠から起きたばかりの獣のように。

 いや、実際にこの人間は冬の間中引きこもっていたのだ。寒風が吹き荒れる間、じっと屋内で縮こまり、蓄えた食糧を少しずつ食べて過ごしていた。

 そしてとうとうそれが尽きたため、食糧を求めて出てきたのだ。


 こんな河原に食糧を求めるとは、この人間は余程の貧乏であろうか。

 だが、たとえ貧乏でなかったとしても、今はこうするしかなかったであろう。

 人間は、未練がましく市街地の方を振り返った。


 市街地は、閑散としていた。

 毎年この時期には卒業だの入学だの入社だのと祝い事が多くてにぎやかなのに、今は祝いの声も飾りもどこにもない。

 人々に春の訪れを告げる香り高くほろ苦い春野菜は、どこの店先を探しても無い。そもそも、どこの店にもまともな品物がない。

 街は永遠の冬に閉ざされてしまったかのように、荒涼としている。

 河原に春は来ているのに、街の春はどこに行ってしまったのだろうか。


 木々は芽吹き始めている。桜の蕾も、ふくらみ始めている。

 だが、人々が春の門出を祝って毎年きれいに咲かせている花壇には、全く花がない。

 むき出しの地面の上には、長く手入れがされていないのか雑草ばかりが茂っている。

 そればかりか、白昼堂々と花壇に踏み入って、ささやかな雑草の花すら踏みにじっている者がいるではないか。

 一体どこの悪童がそんな酷い事をするのか。


 花壇を踏み荒らす者は、冬物のぶ厚いコートを着ていた。さんさんと降り注ぐ陽光の下では暑いくらいの格好で、汗もかかずに佇んでいる。

 街をうろつく人影は、だいたい冬物をまとっている。

 ふんわりとした長いマフラー、風よけのしっかりしたジャケット……明らかに汚れて臭いまで漂っているのに、彼らが着替える様子はない。

 時が止まってしまったように、冬物を着たきりすずめでうろついている。

 風も光も温かくなったのに、なぜそんな事を続けているのか。


 だが、おそらく尋ねても答えは返ってこないだろう。

 彼らの思考は止まっている。本当に時が止まってしまったように瞬きもせず呼吸もせず、心臓すらも止まったままだ。

 服の中や露出している部分は少しずつ腐り落ちていくが、冬の装いではあまり目立たない。

 彼らの人としての時は、既に止まっているのだ。


 彼らは、既に死んでいる。

 死んでいるのに歩き回り、人間の肉を餌として求める……ゾンビだ。


 冬のある日、街にゾンビが現れた。

 人口密度の高い都市で感染はあっという間に広がり、そこに住んでいたほとんどの人間はゾンビになった。

 人としての時が止まった彼らは、人としての営みを止めた。

 誰も食糧を作らない、運ばない、売らない。人の食べ物をもはや彼らは受け付けないから。花壇に花を植えることもない。彼らには祝う事など何もないし、花を見て美しいと感じる心がないから。

 こうして、街は不毛の冬に閉ざされた。


 わずかに生き残った人間たちは、頑丈な建物に籠ってその冬を耐えた。

 外を練り歩くゾンビと吹き荒れる寒風から身を隠しながら、まだ食べられる状態で残っていた食糧をかき集めて、できるだけ細く長く食いつないだ。

 たとえあまり食糧がなくても、外に出るのはあまりに危険だった。冬の風は体温を奪い、動きを鈍らせる。凍えて手足がかじかんだ人間は、ゾンビにとって食べごろの据え膳だ。

 身を守るには、暖かくなるまで屋内にいるのが最善だった。


 そんな人間たちも、春になってようやく外に出るようになった。

 いや、出なければならない限界が来たと言うべきか。

 冬をしのぐための食糧は、冬の終わりと共に底をついた。これ以上外に出なければ、飢えによる死を待つばかりだ。

 それに、暖かくなった今ならば、外に出ても凍えることはない。

 生き残った人間たちは、食糧を求めて建物から這い出してきた。


 だが、春になったとはいえ、街に食糧はほぼない。

 食べ物を作り、運び、売る人がいなくなったのだから。当然だ。

 保存食はまだ探せばあるのかもしれないが、ゾンビの多い市街地を弱った体で探し回るのは危険すぎる。

 ならば、どこに行って何を手に入れればいいか……その答えが、この河原だ。


 河原には、都会とはいえまだわずかに自然が残されている。

 菜の花やつくし、よもぎの芽など食べられる野草がそこかしこに芽吹いている。花を咲かせている雑草は、だいたいが食べようと思えば食べられる物だ。

 ぜいたくは言えない、今は実ではなく花の季節なのだ。果実のように美味しくなくてもあまり栄養がなくても、口に入れてしのがねばならない。

 冬が終わっても、すぐ食糧が手に入りやすい実りの季節にはならないのだ。

 花や芽の季節は、花でも芽でも食べて生きねばならない。


 人間は、コンクリートと川の間にある蘆原を、目を皿のようにして歩き回る。

「ちくしょう、ここもダメか……ほとんど残ってねえ!」

 無残に蕾を折りつくされた菜の花を前に、人間は舌打ちする。

 おそらく先に同じことを考える者が来て、根こそぎ取っていったのだ。おかげでこの辺りには、もう食べられそうなものがあまり残っていない。

 だが考えてみれば、この大都会で生き残ったそれなりの数の人間がこの狭い河原に食糧を求めてくるのだ。こうなるのは、必然だ。


 しかし少し茂みに分け入ると、人間はあるものを見つけて目を輝かせた。

 ビニール袋に入った、菜の花の蕾がたっぷり……既に咲いてしまっているものもあるが、十分食べられるものだ。

 人間は目の色を変えて、その袋に駆け寄った。

 先客が、不注意にも落としていったのだろうか。

 嬉々として袋を手に取ろうとしたその瞬間……茂みから突き出た手が、人間を掴んだ。


 はっと相手の方を見て、人間は青くなった。

 相手はもう、生きた人間ではない……ゾンビだ。


 人間が河原に食糧を求めて集まるのは、ゾンビが市街地に比べて少ないせいもある。

 だが、全くいないとは限らない。それにゾンビも生きた人間を求めて移動するから、人がいればそこに寄ってくるのだ。さらに、そこでゾンビに襲われて死んだ者もゾンビとなって待っている。

 先に人が来ている時点で、そこはもう安全ではないのだ。

 動けない人間を冬の装いの人影が取り囲み、やがて真っ赤な血の花が咲いた。


 赤、白、黄色と鮮やかに、春には様々な花が咲き誇る。

 赤い血をかぶって化粧をした白や黄色の素朴な花が、暖かい風に揺れている。

 蕾をむしりに来る人間は、もういない。やがて土に染み込んだ血を養分として、植物は再び茎をのばして華やかに咲き誇るだろう。

 食べる人間のいない、春が来る。

 安心してたくさんたくさん蕾をつけて、満開の春は近い。

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