夜もすがら物思ふころは明けやらで 閨のひまさへつれなかりけり
ついに最終話、明けない夜に怯えて光を求めるお話しです。
映画等でスピード感を出すためによくある、異様に発症が速いタイプにしてみました。このタイプや走るタイプだと、世界はあっという間に崩壊して対応が追い付かなくなってしまいます。
救援が見込めない中、生き残って夜を耐える女性はせめて物理的な光を求めますが……その結末に、救いはあるのでしょうか。
暗闇に、息遣いだけが響く。
ただ空気を吸って吐くだけ、生きた人間なら当然の営み。
だけどその音すら、真っ暗闇の中だと恐ろしい。
何か私を狙っている恐ろしいものがすぐ近くにいるのではないか、隣にいるのは本当は化け物なのではないか。そんな妄想さえ浮かんでくる。
打ち消して眠ろうと努めても、息遣いが耳について眠れない。
どうしてだろう、この部屋にいるのは気心知れた仲間だけのはずなのに。
まあ確かに、こうやって同じ部屋で眠るのは初めてかもしれない。いつも仲良くつるんではいるけど、家族ほど親しい訳ではないし。
それに、慣れない場所のせいもあるかもしれない。ここは今まで来たこともない友人の家で、私がいつも眠る場所ではないから。
寝具が足りなくてソファーで横になっているせいもあるかもしれない。
でも、そんな事は些細なことだ。
本当の原因は、別にある。
あえて考えないようにしているだけ。だって、考えたらますます怖くなって眠れなくなるから。
でもいくら考えまいとしても、考えてしまう。頭の中にこびりついた嫌な考えが離れなくて、他の事を考えようとしてもそっちを打ち消してしまう。
そもそも、それが全ての原因だから。
どうしてそんなに親しくない遊び仲間の家に泊まっているのか。
どうしてこんな慣れない場所で、しかも真っ暗闇で寝るはめになったのか。
その全ての原因が、私から安らかな眠りを奪った。
不意に、どこかでゴトリと何かが動く音がした。
私はびくりと身を固くして、毛布をかぶって縮こまる。
多分、外からだ。今すぐに私の身に危険が及ぶ訳ではないと分かっている。こうやって静かにしていればきっと気づかれない。
分かっていても、私の心臓はバクバクと跳ね、押さえた口から声が出そうになる。
だって、今の物音はきっと……すぐ近くに、アイツらがいるんだ。
つい今朝まで、そんなものは架空の存在だと思っていたのに。
出たと言われても一笑に付すような、有り得ないものだったのに。
今やそいつらは地上の大部分を占拠し、この家の周りをうろつき回っている。
ゾンビという存在を、信じられるだろうか。
死んでいるのに動く死体、そのうえ人間の肉を食らう危険な怪物。おまけにそれはおそらく病気の一種で、感染性まで有している。
そんな最悪なもの、想像するだけで同じところにいたくないのに。
今日、それは突如として私たちの暮らす世界に現れた。
近くで喧嘩のようなことが起こったと思ったら、それがあっという間に周りの人を巻き込んで大混乱になった。
よく見れば、人が人に噛みついているではないか。しかも噛みつかれた人間は少し経つと座り込んだり倒れたりして、起き上るや否や同じように人に噛みつく。
びっくりするぐらい、感染から発症までが早かった。
数分前まで普通だった人が、ふと見ると白目をむいて人に噛みついている。
そりゃこれだけ進行が早ければ、だいたいの人は何が起こっているか考える間もなく終わってしまうだろう。対応はもちろん、報道すら追いついていないんだから。
私たちは無我夢中で逃げて、この友人の家まで来られた。
人家がまばらなこの場所までゾンビが到達するまでには少し時間があったから、私たちは家の雨戸を閉めて戸締りをすることができた。
家具を動かして戸が外から開かないようにしたから、これでだいぶ安全なはずだ。
おかげで私たちは、こうして身を横たえて休むことが出来る。
でも、やる事がなくて、余裕があるからこそ考えてしまう。
これから私たち、どうなるの?
今の安全が確保できた、それはいい。
だけど一週間後、一ヶ月後を考えると、全く展望が持てない事に気づく。
私たちはごく普通の一軒家に五人も押し込まれてしまった。特に蓄えてある水や食糧がある訳でもないし、今あるものはすぐ底をつくだろう。
そうなったら外に取りに行かなければならないけど、私たちの中に戦った経験がある人なんていない。きっと外に出た途端、囲まれて食われて終わると思う。
それでも、救援が来てくれるという希望はあるかもしれない。
こんな事態を目の当たりにして、警察や自衛隊が何もしない訳がない。彼らは国民を守るためにお給料をもらっているんだから。
……というのは一般論だけど、これは警察や自衛隊がまだあればの話。
事件が発生してから、110番通報はすぐさま混み合って通じなくなった。警察は訳も分からないまま現場に呼び出されて、ゾンビと対峙し……。
今生きている警察官が、果たしてどれだけいるのやら。
自衛隊は少しはマシかもしれないけど、日本の自衛隊は基本的に銃を撃たないから、結局同じことになってるんじゃないかと。
だって、状況は急激に悪化する一方だった。
今家が真っ暗なのは、ゾンビに見つからないように明かりをつけていないせいだ。
でもつけようと思っても、電気はとっくにつかなくなっている。
どこかで事故でも起こって、電線が切れたんだろうか。これじゃ料理も洗濯も調べものも、家電を使う作業は何一つできやしない。
ラジオを聞いていないのだって、ゾンビに聞きつけられたくないだけじゃない。
日が落ちる前はみんなでラジオにかじりついていたけど、もうみんな聞くのが嫌になった。
だって、希望のあるニュースが何一つ流れてこない。
多くの局は何か混乱が起こっているという段階で放送が途切れ、ちょっと時間が経つと沈黙するか永遠のCMになってしまった。
初撃をしのいだか避けた貴重な局が流す情報も、気が重くなるものばかりだ。国会に暴徒が乱入してどれだけ大臣が死んだとか、自衛隊もどことどこの基地はもう連絡が取れないとか、とにかく国が壊滅していく様が分かっただけ。
つまり、救援はほぼ見込めないということ。
ここでこうして生きている私たちに手を差し伸べてくれる人は、ほぼ残っていない。
事件が起こってまだ一日も経っていないのに、私たち生きた人間は一気に圧倒的少数派になってしまった。
今やこの世を支配しているのは、人間ではなくゾンビなのだ。
以上の現実を見つめたうえで、私はさっきからずっと考えている。
この恐ろしい事件は、いつ終わりを迎えるのだろう。
物事には始まりと終わりがあり、だからきっとこれにも終わりがあると信じたい。できれば始まりが急だったように、あっけなく終わってほしい。
でも、既に死んでいるのに動いているゾンビが、そう簡単に停止するだろうか。
終わりは終わりでも日常が戻ってくるんじゃなくて、人類そのものが終わるんじゃないだろうか。
考えれば考えるほど、嫌になってくる。
この真っ暗な地獄のような日々は、いつまで続くのだろう。
希望の光が差す日は、いつか来るのだろうか。
明けない夜はないと言うけれど、その夜明けはどんな夜明けになるというのか。
真っ暗で何も見えず、仲間の息遣いばかりが耳につく中、思考は遮られることなく深みにはまっていく。
食糧や水がなくなったら、どうしよう。取りに行く途中で、仲間がゾンビに変身していたら。もし私一人が生き残ってしまったら、どうすればいいのか……。
いや、残ってしまったらじゃなくて、私たちはもう残ってしまっているんだ。
他の人が死に絶えて助けのこない世界に、取り残されてしまった。
今こうして生き残っている私たちは、幸運なのか不運なのか。
明けない夜の世界で生き残ったことが、果たして幸運と呼べるのか。
果てなく沈んでいく思考に嫌気が差して、私は体を起こした。
この刺激のない状況はダメだ、目が冴えるほど悪い事を考えてしまう。
何か気を紛らわすものは見えないかと窓の方に目をやっても、立ち込めているのは闇ばかり。まだ夜明けは遠いのか、一筋の光も見えない。
私を救ってくれるものは、何もない。
もしここで一筋でも光が差し込んで来たら、私はきっと少し明るい気分になれるのに。
私は知っている。この家の雨戸は古くて立て付けが悪かったから、ちょうどこの部屋の窓のところに少しだけ隙間ができているのを。
守りがおぼつかないうえに光の一つもくれないなんて、なんてひどい話だろう。
雨戸に罪はないけれど、つい恨み節の一つも言いたくなってしまう。
でも私はぐっとこらえて、再び毛布をかぶった。
今どんなに恨んでも、光が差し込んでくるのは時間の問題なのだ。ただ、待てばいい。この世界がどうなろうと、必ず夜は明けるのだから。
私は少しでも早く日が昇るように祈りながら、暗くて見えない雨戸の隙間をじっと見つめていた。
……数時間後、彼女は光を望んだことを後悔することになる。
光の中で雨戸の隙間をのぞいた彼女は、ゾンビとしっかり目が合ってしまった。そして一時間後には、雨戸を破られた静かな家がそこにあった。
光が人を救うとは限らない、しかし早々に死ねたことは彼女にとってある種幸運であった。
これで百人一首は終了です。
長い事お付き合いありがとうございました。
これからもホラー、特にゾンビものを書いていく気でおりますので、次回作もぜひお付き合いください。




