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ゾンビ百人一首  作者: 青蓮
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今来むと言いしばかりに長月の 有明の月を待ち出でつるかな

 いよいよ明日が発売日、わくわくしてきた。

 本日は、悲しくも心温まるお話を。

「今、行くから待ってろよ!

 他の奴が来ても、絶対にドアを開けるんじゃないぞ!」

 これが、一番最近聞いたあなたの声だ。


 専業主婦というのは、ともすれば引きこもりになりがちな職業だと思う。

 その日も私は、朝から一日中家にいて、家事をしたりテレビを見たりして過ごしていた。

 そのうち、お気に入りの番組が臨時ニュースで中断されて、ニュースに興味の無い私はDVDを見ることにして……気がついたら、世界は見知らぬものに変貌していた。


 気がついたのは夕方ごろ、大切な夫からの着信だった。

 電話で直接夫と話して、ようやく私は異変を知った。

 夫に言われるまま2階の窓から見ると、すでに家の周りには血だらけで目つきのおかしい人がたくさんうろついていた。

 家の門にほど近い場所で、おかしい人たちがたくさん集まって何かを食べていた。

 押し合いへし合いの間からちらりと見えるのは、人の手、足、そして腹から引きずり出された何か……おぞましくてそれ以上は見ていられなかった。

 でも、これだけははっきり分かった。

 あのおかしい人たちは、人を食べているんだ。


 私がそれを理解すると、夫は私に絶対に家から出ないように言った。

 今からそちらに助けに行く、だからそれまで生き延びろと。

 だから私は家中の戸締りをしっかりして、カーテンも全部閉めて、息を殺して待つことにした。

 夫はとても誠実な人……今まで、来ると言って来なかったことはないんだから。


 日が沈み、夜がくる。

 地上がこんなになっていても、空にはきれいな月が昇る。

 街の明かりが少ないせいで、星がいつもよりずっと多く見える。

 おかげでその夜は、夫が戻ってこなくても少しだけ心が満たされた。


 夜が明けて、朝がくる。

 お腹が空いていることに気付いて、慌てて炊飯器のスイッチを入れる。

 良かった、まだ電気は通っているみたいだ。

 思えば、どうして昨日のうちに食べ物のことを考えておかなかったのだろう。

 電気が止まってしまったら、もうご飯を炊くこともできなくなるのに。

 そうしたら、夫が帰って来たときに、お腹を空かせた夫に何も食べさせてあげられないかもしれない。

 私は保存食の本や切抜きのレシピを探して、日持ちのする料理を作っておいた。


 一しきり家事が済むと、またひまになって何となくテレビをつけてみる。

 もう半分以上のチャンネルが砂嵐になっている。

 お気に入りのドラマは、もちろんやっていない。

 わずかにやっているのは、ニュースと国会中継くらいのもの。

 ニュースは見たくない、グロテスクなものしか映してくれないから。

 国会中継も見たくない、日本中がこんなになっているのに、議員の人たちはお互いの揚げ足取りしかしないから。


 ただ、わずかに希望があるとすれば、どこかで自衛隊が動き出したということ。

 もしかしたら、助けが来るかもしれない。

 でも、その時、私はどうすればいいんだろう?


 夫はきっと、この家に迎えに来ると思う。

 甘い考えだけど、それを捨ててしまったら生きる希望がだいぶ減ってしまうから。

 夫にはあれから、電話もメールも通じない。

 ただ、それはおかしい人たちに見つからないように電源を切っているんだといえば、説明はつくと思う。

 そうして夫が必死でここに帰って来たとき、私が家にいなかったらどう思うだろうか。

 置き書きという手もあるけど、それは私が生きている証拠にはならない。

 やっぱり夫が帰って来たとき、私がここに生きている姿を見せてあげたいと思う。

 だったらいっそ、助けなんて来なければいいのかもしれない。


 その時は、唐突にやって来た。

 朝、私はけたたましい銃声にたたき起こされた。

 びっくりしてカーテンを開けると、自衛隊の重車両が家のすぐ近くに止まっていた。

 銃を持った隊員が、腐っても動いている人たちを次々と撃ち殺している。

 そのうち、隊員の一人が私に気づいた。

「生存者を発見しました、救助に向かいます!」


 程なくして、私は玄関で隊員と向き合っていた。

 隊員は私を保護して、車で別の場所へ向かうという。

 でも、私にはそれはできない。

 行く行かないの押し問答……その最中、はたと目に留まったものがあった。

 玄関のすぐ側に倒れている、顔が腐り落ちて崩れてしまった死体……その髪型と服装に、私は見覚えがあった。


「あなた、なの……?」


 私は、思わず隊員を押しのけて、その死体に駆け寄った。

 触れようとする私の手をつかんで止め、代わりに隊員が死体の服を探り始める。

 ポケットから取り出されたそれは、間違いなく私が夫に贈ったハンカチだった。

 夫は、もう帰って来ていたんだ。


 抑えきれない嗚咽とともに、私のほおを涙が伝う。

 夫は最期まで、誠実だった。

 死んでもこの家に帰って来て、私の元気な姿を身にきてくれたんだ。

 私がこれから心置きなく、この家を離れて安全な場所に向かえるように、未来に向かって足を踏み出せるように。


 朝焼けに染まる空には、別れを惜しむかのように白くかすんだ有明の月が浮かんでいた。

 そう言えば、最後に夫の声を聞いたあの夜は満月だったっけ。

 我ながら、長いこと信じて待っていたと思う。

 でもこの時間は、決して無駄ではなかった。

 私は夫の死体に手を合わせ、隊員に手を引かれて我が家を後にした。


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