秋の田のかりほの庵の苫をあらみ 我が衣手は露に濡れつつ
百人一首をゾンビにしようなどとバカなことを思いつくのは私だけではないと信じたい。
今回は農村系で、残酷要素は少なめです。
この広い水田が全て自分のものになったら、あなたは嬉しいだろうか?
今や、この黄金色に実った水田は全て俺のものだ。
だから俺は、毎日のように稲を刈ってはもみを外し、わらを干す。
全てが手作業だから、時間の割りに効率は悪いし面倒なことこの上ない。
トラクターを使えって?
バカ言え、今時燃料油ほど貴重なものはないんだよ。
これだけの広さを全部トラクターで刈ろうとしたら、今ある軽油じゃ全然足りない。それに、油は奴らから逃げるにも奴らを倒すにも使えるから、できる限りとっておきたい。
大丈夫だ、トラクターの燃料はなくても、ここなら俺の燃料はたっぷりある。
この広い水田は、元々俺のものじゃなかった。
なぜ俺のものになったかって?
ここ一帯の土地の持ち主が、全員死んだからだ。
死んで、生き返って、米じゃなくて肉ばかり食べるようになった。
だから今は、米に手をつける奴がほとんどいない。
日本中どこに行っても、米を食う人間は肉を食う奴らに食われて仲間になっちまったから、米を買いに来る者はいない。
もったいないもんだよ、稲はこんなに実っているのに。
最後にここに人間が来たのは、いつだっただろう?
確か、あの時はまだ田んぼが青々していたっけ。
その時にはもう、この村にまともな人間は俺しかいなくなっていた。
そいつは一袋の米と引き換えに、奴らに関していろいろな事を教えてくれた。
曰く、奴らは知性をなくしているように見えるが、記憶は少しばかり残っているんだと。そしてその記憶に従って、人の多かった街に集まりやすいのだという。
だから俺は、集落から離れて田んぼの真ん中にわらの家を作った。
実に正解だった。
奴らは人家の周辺をうろつくばかりで、田んぼの外れにあるわらの山には見向きもしなかった。
そのうえ、わらの柔らかい匂いが、俺の臭いを隠してくれる。
雨露は少し入ってくるが、風呂がないならそれでちょうどいい。
住めば都ってやつだ。
昔読んだ童話に、わらの家は壊れやすくて役に立たないとか書いてあったが、それはしょせんおとぎ話だ。
いくらもろくても、狙われなければそんなものは問題にならないんだよ。
ある日、どうしても欲しいものがあって集落に出かけたら、奴らがいなくなっていた。
生きた人間も、一人もいなかった。
合点がいった。
奴らはこの集落に餌がなくなったんで、移動したんだ。
生前の記憶に従って、人が多かった都市に向かって。
だが、俺はまたわらの家に戻った。
集落には、あまり近付きたくなかったから。
それに、何といってもあのわらの家に愛着がわいていた。
今日も明日も、俺は一人で稲を刈る。
この広大な水田は今や、全て俺のものだ。
そう思うと、やってもやっても終わらない農作業が何だかうれしく思えてくる。
それに、もうすぐ秋が終わって冬が来た時のために、わらをたくさん蓄えておかなければ。
もっとも、あまり雪がひどくなったら集落に戻るしかないのかもしれないが……。
怖いんだよ、家は。
今にもどこからか、隠れていた奴らが背後に迫って来そうで。
その点、この田んぼなら、周りに隠れる場所がないから奴らが来ればすぐ分かる。
今の俺にとって、ここほど安心できる場所はないんだ。
腕や足が濡れて冷たい。
最近、袖を濡らす露がだいぶ冷たくなってきたように思う。
でも大丈夫だ、清らかで透明な露は、乾かせばきれいに消えてなくなる。
心配することは何もない。
だが、今日は何だか変な臭いがする。
嫌々ながら目を開けると、袖が汚らしい赤黒に染まっていた。
「何じゃこりゃああー!!!」
その時叫んでしまったのは、うかつとしか言いようがない。
わらの壁の向こうで、幾多の気配がごそりと動いた。
がさがさと、わらを掻き分ける音がする。
俺は慌てて口を押さえたが、もう遅かった。
柔らかいわらの壁を突き破って、何本もの手が俺をつかんだ。
人の手の形はしている。
だが、その皮膚は生者とは思えない色をしていたり、腐り果てて皮膚が溶けてしまったものもある。
ああ、奴らが来たんだ。逃げなければ……どこへ?
奴らの手は、わらの家の全方位から差し込まれているのに?
そうだ……周りが全部田んぼだから、奴らを防ぐものが何もないんだ。
奴らがどうして戻ってきたかって?
きっと、都市に隠れていた人間を食い尽くして、餌を探して戻ってきたんだ。通勤ラッシュがあれば、帰宅ラッシュがあるように。
正解は、奴らがいない間に集落の堅固な施設に住み着いて、守りを固めることだった。
気付くのが、少しばかり遅すぎたな。
こうして、その広大な水田は誰のものでもなくなった。
米を食う人間は、その集落に一人もいなくなった。
ただ、柔らかいわらの山だけが銀色の露をきらめかせ、秋の風に吹かれていた。