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公爵と王女  作者: くま
9/12

囚われ

 どこかへ向かって、縋るように伸ばした。

 けれどその先は不思議とその手すら見えない、深い闇だった。

 掴むものない闇の中。

 思い浮かんだのはただ一人だった―――――。


 

 それは、気持ちのいい目覚めとはほど遠い、重苦しい目覚めだった。

 意識が覚醒するのと同時に感じたのは、頭痛。

 思わず頭に手をやりながらどうにか瞼を開けて身体を起こす。

 意識を保つのがやっと、というところだった。

 閉じがちな瞼を何度か開け、どうにか目を開けていられるようになるのと同時に高い女性の声が耳に入ってきた。

 床に手を付き、ゆっくりと顔を上げると、白いドレスの裾と燃えるような赤い髪が目に入った。


「どういうつもり、私までここに閉じ込めるなんて!」


 こんなことをしてただで済むと思っているの、と女性は怒りのためか、かなり興奮した様子で声を張り上げている。

 相手は扉の向こうに居るのか、女性が立っている目の前には暗い灰色の扉があった。

 そういえばここはどこなのか、とようやく周囲を見回す。

 目に入ったのは窓が一枚もない、小さな薄暗い部屋だった。

 天井も少し低いようだ。

 どうやら外とつながっているのは、女性の目の前にある扉しかないようだ。

 まるで地下室、のようだった。

 こんな部屋は見たこともなく、夫の屋敷にもなかったはずだ。

 なぜこんなところに居るのか、すぐには分からなかった。

「今すぐあなたたちの主人を呼びなさい! 彼は私まで攫うよう言わなかったはずよ!」

 叫ぶ女性もその相手も自分が目を覚ましたことには、まだ気づいていないようだった。

 女性の言葉を扉の向こうに居る人物は、どうやら鼻で嗤ったらしい。

 低い声が僅かにだが、聞こえてくる。

「勘違いするな、俺たちは雇われているわけではない。これはすべて俺たちの意思で行っている」

「嘘よ! アリオンがあなたたちに頼んだはずよ!」

「アリオン? ああ、あの貴族の坊ちゃんか。確かにそいつから女を攫うよう持ちかけられたが、俺たちはそれに乗ってやる振りをしただけだ。本来の目的は別にある」

 興奮する女性を嗤う男の声には、優越感と愉悦が入り混じったような声だった。

 まるで貴族を利用してやった己に酔っているかのような声音だった。

「本来の目的?」

「そうだ。俺たちにはお前らと違って崇高な目的があるのさ。その目的を遂行することは、すべてのフェイアン人のためになる。そしてすべてのフェイアン人が俺たちに感謝するだろう」

「フェイアン人のためですって?」

 何を馬鹿な、と今度は女性が男の言葉を嘲笑う。

「私に危害を加えてまで成し遂げられたことに感謝するフェイアン人などいるはずがないわ!」

 断言された言葉は、どこか貴族階級に居る者が持つ特有の傲慢さが含まれていた。

 男は最早相手をする気はないのか、低く嗤っただけだった。

「まあいい。もとより理解など求めていない。説明したところで理解できないだろう。フェイアン以外の血が混じった――――レイナ王女には」

「……っ」

 レイナ――――耳に入った名にやはり、と思う。

 背中に流れる赤い髪は王家の特徴だ。

 声に詰まった様子からも間違いなく、彼女は王女だろう。

 では、なぜ彼女と自分がここに一緒に閉じ込められているのか。

 王女と、相対している者との会話と自分の記憶をたどりながら組み立てていく。

 最後に記憶があるのは、夫の叔父に当たる侯爵家を出て馬車に乗り込んだところだ。

 そういえば、馬車に乗り込む前、侯爵夫妻に挨拶をするときにひどい眠気に襲われたのを思い出す。 

 あのときは緊張が切れかかったためだろうと己を不甲斐なく思いながら、どうにか挨拶を済ませて馬車に乗った。

 そして馬車に乗ったところで寝入ったのだろう。

 気を失うように眠るなど、普段では決して考えられない眠り方だ。

 人為的に眠らされたと考えて間違いない。

 恐らくは、侯爵家で口にした何かに、薬を混ぜられていた可能性が高い。

 そしてそれを指示したのは侯爵家の誰かであり―――――これには王女が深く関わっている。

 先ほどの会話からもそれは間違いないだろう。

 王女が自分を攫う目的、それには少し心当たりがあった。

 そして王女が自分を攫うために侯爵夫妻と、第三者に指示をして、彼らが実行した。

 その第三者は先ほど名前が出た「アリオン」という者と、扉の向こうに居る人物だろうが、扉の向こうの人物は「アリオン」と王女を裏切って王女をも攫った。

 何のためか。

 男の口にしていた「フェイアン人のため」という言葉と王女を「フェイアン以外の血が混じった」と言った言葉が気にかかる。

 断定するには材料が少なすぎるが、恐らく彼らは「レイビア・フェイアン」ではないだろうか。

 「レイビア・フェイアン」の「レイビア」はフェイアンを建国した最初の王の名である。

 「レイビア」はすべてのフェイアン人の祖とされている。

 そしてその「レイビア」を至上の存在として崇め、また「フェイアン人」が他国の人間よりも勝っていると公言し、その血を守ることに固執する者たちを総称して「レイビア・フェイアン」と呼ぶ。

 「レイビア・フェイアン」の中にはそれをただの思想として持っている者も多いが、中には純血主義に固執するあまり過激な行動に走る者もいると聞く。

 フェイアン人以外の者、混血児の排除――――。

 彼らの目的は常にそれであるが、王家がこれを受け入れたことは一度たりともない。

 特に現王の母である王太后は他国から嫁いできたのだから、王家が受け入れることは考えられない。

 先ほど王女を「フェイアン以外の血が混じった」と称したのは王太后のことがあるからである。


「王家が俺たちの要求を受け入れればすぐにでも解放してやろう。だが、受け入れられなかったときはそれなりのことはさせてもらおう」


 それは間違いなく、脅しだった。

 男はその言葉を最後に扉から離れたようだ。

 ちょっと、と王女が声を上げるが無視して足音は遠ざかった。

「待ちなさいよ!」

 王女の声を聴きながら、覚悟を決めなければならないだろうと思う。

 王家は決して彼らの要求など受け入れない。

 ならば、受け入れられなかった彼らの怒りの矛先は間違いなく自分たちに向けられるだろう。

 特にフェイアン人ではなく、フェイアン王家の者ではない自分の存在など塵にも等しい。

 末路は、死しかない。

 だがそれすら簡単に与えられるかも分からない。

 凌辱、拷問という言葉が一瞬で浮かぶ。

 頭と心が一気に冷える。

 心臓は嫌な大きな音を立てたが、一度大きく息を吐き出すことでどうにか自分を落ち着かせる。

 大丈夫だ―――――もともとは生きながらえるはずのない、この身だ。

 今更怖がる必要がどこにある、と己を宥める。

 こんなことで恐怖を感じるなど、己の誇りが許さない。

 頭と心をすぐに切りかえると、ゆっくりと立ち上がり、扉の前に立っている背中に声をかけた。


「レイナ王女殿下」


 その声は、静かに室内に響いた。

 こう呼びかけたのは、二度目だった。

 一度目はもう遠い昔、まだ二人が幼いころ。

 母に連れられてフェイアンに訪れた、あのとき以来だった。


「エリーザ王女……」


 振り返り、思わずという風に呟いた王女の顔は、幼いころの面影が強く残っていた。

 王家の特徴である、大きな赤い瞳には、昔と違わず強い意思がある。

 一瞬、彼女が自分よりも年上の少年を疑うことなく満面の笑みを浮かべて見上げていたのを思い出す。

 ぼんやりとそんなことを思っている間に、王女が口を開いた。

 放たれた言葉はやはり、きついものだった。

「あなたの所為よ……あなたさえいなければよかったのに、あなたがあのとき死んでさえいればこんなことにはならなかったのに!」

「………」

「どうしてあなたなのっ、どうしてあなたがそこにいるの! フレイヴィアスの隣に!」

 一度口に出せば言葉が止まらないのか、次々と責める言葉が降りかかってきた。

 つかつかと扉の前から自分の目の前へと足を進め、今にも掴み掛らんばかりだった。

 必然的に自分よりも背の高い王女を見上げる。

 見上げた王女の瞳には、強い怒りの色があった。

「私がそこにいるはずだった、私がフレイヴィアスの妻になるはずだった! 私は誰よりもフレイヴィアスを愛しているのに、なぜ認められないの! なぜ、なぜ……っ」

 叫びながら感情が昂ぶってきたのか、大きな瞳には、薄らと涙が滲んでいた。

 ―――――本当に夫を愛しているのだ。

 強く、強く。

 形振り構わず叫ぶ彼女は、強い女性であると思うのに、どこか哀れで美しかった。

 だからこそ夫も彼女を愛したのだろう。

 誰よりも。

「私はフレイヴィアスしかいらない、フレイヴィアスだって私しかいらないはずなのよ………あなたのことなんて何とも思っていないんだから」 

 分かっていることではある。

 それでも放たれた言葉にちくりと、胸が痛む。

 だがそれを表情に出すのは、自分の意地と誇りが許さなかった。

 真っ直ぐに見つめ返すことだけが、自分にできる抵抗だった。


「フレイヴィアスはあなたなど愛さない。彼が愛しているのは私よ」


 それが当然のことだと。

 挑むような瞳は、自信に満ち溢れていた。

 その自信に、目を逸らしてしまいたくなる。

 だが、決して目をそらすことなく、頷いて見せた。

「知っています」

 もうずいぶん前から。

 あの、初めて会ったころから、知っている。

 夫はこの王女を愛し、王女を見ていた。

 いつだって王女の傍にあり、見ていたのは彼女だけ。

 あのころその瞳が自分に向けられたのは―――――一度きりだ。

 自分が王女の言葉にあっさりと頷いたことに王女は一瞬呆気にとられたようだったが、すぐに先ほどの調子を取り戻し、

「ならフレイヴィアスを私に返してよ。今すぐにいなくなって」

 言い放った。

 その言葉に口を閉ざす。

 自分がいなくなれば、どうなるだろうか。

 確かに自分という「妻」がいなくなれば、王女は夫と婚姻を交わすことができるかもしれない。

 愛する者同士が結ばれる――――。

 それは誰もが祝福し、喜びに満ち溢れたものだろう。

 祝宴すら開かれなかった自分たちとは、違う幸せな光景。

 一瞬、脳裏に微笑み合う夫と王女の姿が浮かんだ。

 自分の想像にぎゅっと胸が締め付けられる。


「あなたがいなくなりさえすれば、私はフレイヴィアスの妻になれる。そうすれば、フレイヴィアスは幸せになれるのよ」


 あなただってフレイヴィアスの幸せを望むでしょう、と。

 言われた言葉に返す言葉がすぐには見つからなかった。

 幸せ、望み――――。

 もちろん夫が幸せになることは、自分だって望んでいる。

 優しく、生真面目なあの人が幸せになれるなら。

 この王女と結ばれることが、夫の幸せであり、望みであるなら。

 自分は身を引いた方が、いいのだろう。

 自分さえ居なくなれば。

 けれど――――。


『もしも今、あなたの命が誰かに奪われようとするならば私はあなたを守り、あなたが自ら命を絶たんとすれば、必ず阻止するでしょう』


 自分は、夫から多くのものをもらった。

 言葉を、生きる意味をもらった。

 苦しくて、苦しくてすべてを放棄してしまいたいのに、できない自分にまた苦しんでいるときに。

 優しく、残酷な想いをくれた。

 美しい顔を苦しげに歪めながらも紡がれた言葉に、救われ――――縋った。


『王女としてではなく、私の妻として生きてください』


 今、自分が生きる理由はこれだけだ。

 この言葉があったからこそ、今生きている。

 生きることを、許された。

 他でもない、夫に。


「ちょっと、私の話を聞いてるの?」


 苛立たしげに自分を見つめる王女をじっと見返す。

 心は、決まった。

 見下ろす王女に向かってゆっくりと首を振り、唇を開いた。

「できません。私は、フレイヴィアスさまのお傍を離れることはできません」

「な……っ」

「王命とはいえ、フレイヴィアスさまは私のような者を妻にしてくださいました。捨て置けばいい、何の役にも立たない私をきちんと妻として扱ってくれました。それなのに私が自ら命を絶てば、それはフレイヴィアスさまに対する裏切りとなるでしょう」

 どう取り繕うと、妻が自死、もしくは出奔したとなれば世間は黙ってはいない。

 名門である公爵家にも傷がつくこととなる。

 恩を仇で返すようなものだ。

 そんなことは絶対にできない。


「私は、フレイヴィアスさまを裏切ることなどできません。だから私はあの方のお傍を離れない」


 言葉に出せば、それは強い意思となる。

 それ以外、もう考えらえない。

 想いを違えることができない。

 きっぱりと言い切った言葉に、王女が目を吊り上げた。

「なんて、なんて傲慢な人なの! フレイヴィアスのためと言いながら、結局は自分に都合のいいことを並べ立てただけじゃない! 本当のことを言いなさいよ! ただあなたがフレイヴィアスを好きで傍を離れたくないだけでしょう?!」

 厚かましい、という王女にもう怯むことはない。 

 確かに王女の言うとおり、自分に都合のいいことを言っているだけかもしれない。

 それでもこれが嘘偽りない自分の本心であり、また王女の言うとおり、


「ええ、その通りです。私は、フレイヴィアスさまのことが好きです。愛しています」


 これも本心だ。

 本来であれば自国の民を、兄を手に掛けた人を愛するなど、決して許されないことだろう。

 人道に背くことかもしれない。

 それでも心は自由にはならなかった。

 恨めばいい、と言い切るあの人を愛することを止められなかった。

 たとえ自分以外の人を愛しているのでも、構わない。

 自分を見てくれなくてもいい。

 傍に居られるだけで、幸せなのだ。

「よくもぬけぬけと!」

 怒りに顔を真っ赤にした王女の手が閃く。

 振り下ろされる右の掌は、あえてよけなかった。

 ぱん、と乾いた音がすると、すぐにびりびりと頬が痛んだ。

 それでも目をそらさずに王女を見上げる。

「この……っ」

 王女はそれを忌々しそうに見て、再び手を振り上げようとしたが、がん、と扉を殴るような音が遮った。


「なにをやってる、勝手なことをするな!」


 聞こえたのは先ほど王女と話をしていた男の声だった。

 手を振り上げていた王女がびくりと肩を震わせ、振り返った。

 がん、ともう一度脅すように扉が殴られる。

「やかましいから離れて座っていろ」

 偉そうに指示を飛ばす男に王女が反論しようとしたが、三度扉を叩かれ、口を閉ざした。

 壁を指さし、それぞれ座るよう指示が飛ぶ。

 王女は不満そうではあったが、暴力の気配に渋々と従い、壁に背を預けて床に腰を下ろした。

 それとは反対側の壁に自分も背を預けると、座る。

「大人しくしていろ」

 それを見届けた男が最後に吐き捨てると、再び立ち去ったようだ。

 王女は男が立ち去った後、最早話す気もないのか、顔を背けている。

 王女に気づかれないように息を吐き出すと、膝を抱えてそこに顔を埋めた。

 しん、と静かな部屋にはお互いの息遣いすら聞こえない。

 そうなると、一気に昂ぶっていた気持ちが落ち着いてくる。

 冷静になればなるほど、先ほど考えたことが蘇る。

 ―――――死との隣り合わせ。

 夫の傍を離れるつもりはない、と言い放ったが、本当は。

 今自分の身は、一寸先も見えない闇の中だ。

 これからどうなるか、自分にも、王女にも分からない――――。



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