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公爵と王女  作者: くま
8/12

決意

 その報せを聞いたとき、胸中に湧いたのは紛れもない―――――決意だった。

 覚悟していただけに最早、落胆も動揺も湧き起らない。

 ただ一言呟く。

 ―――――愚かな娘、と。



 侍女が来訪者の存在を告げにやってきたのは、普段であれば私室で夕餉を済ませている時刻だった。

 侍女にすぐに通すよう頷き、反対に報告をさせていた臣下を下がらせる。

 入れ替わるように入ってきたのは、一人の青年だった。

 身に着けている上衣には公爵位を示す階級章が縫い付けられている。

 型どおりに膝を付こうとするのを手で制し、室内中央に置かれた椅子を示した。

「口上は必要ありません。そこに座りなさい、フレイヴィアス」

「……失礼いたします、王妃陛下」

 銀糸が美しい彼は、迷うように紫色の瞳を一瞬伏せてから従った。

 勧めた椅子に座したことを横目で見ながら、自身は立ったまま先ほど受け取った封書を開く。

 取り出した紙面は、嘆願書だった。

 宛先は王家、差出人は目の前に座る公爵だった。

 嘆願書に素早く目を走らせながら短時間でよく書き上げたものだと密かに感嘆した。

 ちらりと見やったフレイヴィアスは、無表情に黙したまま腰掛けているが、その白皙の表にはどこか焦りの色が見えた。

 いつもの誰よりも己に厳格に、冷静に務めを果たす彼らしくなかった。

 それほどの焦燥を抱いているということか。

 穏やかといえば聞こえがいいが、実際は淡々と生気なく日々を過ごしていた姿からは想像もできない。

 これは、良い変化と言えるだろう。

 あながち王の思いつきも間違いではなかったのだろう、と認めながら口を開いた。


「――――エリーザ殿が攫われたようですね」


 嘆願書は、グランティール公爵から攫われた妻を探し出し、救って欲しいというものだった。

 フェイアンでは貴族が金銭などを目的として誘拐されるようなことがあれば、すぐさま当主から王家へと報告すること、嘆願書を出すことが義務付けている。

 そして王家は貴族から嘆願を受ければ兵を動かしてでても攫われた者を救い出すことを約束している。

 他の階級に比べて手厚く保護されている貴族ゆえの特権だった。

 しかし最近では王家の権力が落ち着いていることもあり、貴族に手を出すような者はいなかった。 

 それゆえこの制度は形骸化していた。

 だが実際にグランティール公爵夫人は攫われ、公爵は制度に従い嘆願書を提出した。

 王家が動かない理由はなかった。

「……クイール侯爵家を訪ねた帰りに馬車が襲われたようです」

 夕暮れ、という一番不穏な者が動きやすい時間帯に。

 恐らくは公爵も十分な警備を付けていたのだろうが、それでも夫人は攫われた。

 馬車が襲われた、ということは従者なども無事では済まなかっただろう。

 淡々と説明しながらも公爵の顔つきは険しい。

「クイール侯爵家といえば、先のグランティール公爵の妹君が嫁いだ家でしたね」

「……はい。両親を亡くした後、夫人である叔母だけでなく侯爵自身も何かと私を気にかけてくれてくれています」

 彼が両親を亡くした後、距離を置かずに世話を焼いてくれた侯爵夫妻を彼は信頼している。

 それはある程度彼と親しい人間の間では、周知の事実だった。

 当然、王をはじめとする王家の者も知っていた。

「そう。侯爵家へはエリーザ殿一人で?」

「いえ、本来であれば私も共に伺う予定でした」

 ですが、と続けたフレイヴィアスは口にしていいかどうか迷っているようだった。

 王妃はゆっくりと手に持っていた封書を畳んで目の前の卓上に置いた。

 そうして言いよどむ彼に微かに口元に笑みを浮かべた後、代わりに口を開いた。

「――――けれど上司から急な呼び出しがあった。それも特に大した用事でもないのに」

「………」

「おかしいとは思いませんでしたか? 以前から申請して取得した休日であるのに、呼び出しがあるなど。それも自分が行かなくてはならないほど重大な何かがあるわけでもないのに」

 なのになぜ呼び出されたのか。

 少なくとも、妻が攫われてから一度は考えただろう。

 自分に急な呼び出しがなければ、妻は一人で侯爵家へ赴くことはなく、攫われることはなかっただろうと。 

 目の前の公爵は、食い入るように王妃を見つめ返してきた。

 その紫色の瞳には、確信めいた色があった。

 ただ口にしないだけ。

 だから代わりに王妃が唇を開いた。

「フレイヴィアス。あなたが考えている通りです」

「王妃陛下」

「エリーザ殿を攫わせたのは―――――レイナ」

 はっきりと明言された名に、公爵の紫色の瞳が僅かに見開かれた。

 彼自身、高い可能性としてそれを考えていたのだろう。

 けれど確証がないのにそれを口にするわけにはいかない。

 しかしそれをはっきりと王妃自身が認めた。

 王家が自ら罪を認めたようなものだ。

 驚きに言葉を失った青年を見ながら、王妃は笑みを消して何の感情も込めずに淡々と続けた。

「いつころだったでしょうか。レイナがフェイアンに帰って来た途端に陛下に詰め寄りました。『なぜフレイヴィアスを結婚させたの』と」

 父であるとはいえ、一国の王に対して激しく礼を欠いた行動だった。

 それだけ必死だったのだろう。

「そして次にこう言いました。『今すぐフレイヴィアスを離婚させて欲しい』と、『いや、離婚ではなくフレイヴィアスとエリーザ殿との結婚をなかったことにして欲しい』と。エリーザ殿はもともとはイーデン王や王太子と共に葬られる存在だったからどうとでもできるだろう、と他人の処刑を命じたこともなければ、自ら手にかけたこともない娘が傲慢にも言い放ちました」

 王妃は知らず知らずのうちに右手を強く握りしめていた。

 思い出すだけでも腹立たしく、情けない。

 あれが一国の王女が口にする言葉かと。

 なぜ慈悲の心を持って、他人の命を気にかけることができないのか。

 確かに以前は敵国の王女であり、討つべき存在とはいえ王直々の命により今は公爵家に降嫁した身だ。

 婚姻は成され、王女の身分を失う代わりにフェイアン人としての籍を得ている。

 王家からしてみれば庇護すべき民には違いない。

 恋は人を盲目にするとは言うが、それでも常軌を逸している。

 育て方を間違えたのだとこのとき王女に甘い王も認めざるを得なかった。

 再三王を咎めた王妃はそれ見たことか、と思ったが自身も諌め切れなかったことを悔いた。

 同時に王女の再教育、もしくは王女を――――手放すことを考えなければならないと決意した。

「……陛下は当然レイナの望みを退けました。ですがそれで退くような娘ではありません。今度はフレイヴィアスの愛妾になると言い出しました」

 まさか自身の知らぬところでこんな話があったのだとは思わなかったのだろう。

 目の前の青年は、先ほどから言葉を失ったままだ。

「当然、王女が貴族の妾になるなど許されるはずがありません。ましてやあの娘が妾などに納まるわけがない」

 妾になった途端、正妻を蹴落とすのが目に見えている。

 それでも王女は本気だった。

 どれだけ王、王妃に叱責されても一言も『フレイヴィアスを諦める』とは言わなかった。

 最早意地を超え、執着ともいうべき有様だった。

 それゆえ王妃は王女の行動を見晴らせ、逐一報告させた。

 遅かれ早かれ、王女が愚かなことを仕出かすのは目に見えていた。

「妾になることも退けられたレイナが次にどうするか。当然エリーザ殿の存在を邪魔に思って危害を加えるでしょう。しかしエリーザ殿に危害を加えようにも公爵家の警備は厳重です。ならば狙うのは外出時が最適でしょうが、エリーザ殿は全くと言っていいほど外出をしない。となると、外出の理由を作らなければならない」

「まさか……」

「そう、侯爵家の訪問はレイナが仕組んだことです」

 本当にあの娘は読み通りの行動をしてくれる。

 彼が信頼している侯爵の招待であれば、断ることはまずない。

 予想通り、彼は侯爵家を訪ねるために休暇を申請した。

 そこで何か理由を付けて当日に彼だけ王宮に呼び出す。

 彼は一旦は訪問自体をなくそうとするだろうが、侯爵が夫人だけでもと望めば断れない。

 事実、彼はそうした。

 そうして夫人が乗る馬車を侯爵家からの帰りに襲わせた。

 王妃が懸念した通りの行動だった。

 思い留まってくれるのでは、という淡い期待は無残にも打ち砕かれた。

「しかし、それではクイール侯爵が今回のことに協力したと……」

 公爵もまた信じられないと首を緩く振った。

 当然の反応だろう。

 信頼していた叔父が自分の妻を攫う協力をしていたなど考えたくもないに違いない。

 衝撃は大きいだろうが、王妃は残念そうに首を振った。

「侯爵はフレイヴィアスとレイナとの結婚を望んでいたようですからね。レイナも侯爵なら協力してくれると思ったのでしょう。そして、侯爵は協力した」

「………」

 大きな衝撃を受けた彼は、何かを言いかけたが、言葉にならず口を閉ざした。

 それから思案するように紫色の瞳を伏せた。

 王妃はそんな彼を哀れむように黙って見つめた。

 しかし、しばしの沈黙の後、彼は再び目を開けたときには軽く首を振った。

 紫の瞳には強い光が戻っていた。

「――――いいえ、有り得ません」

「フレイヴィアス?」

「クイール侯爵は高潔な人です。そのような企みに協力するはずがありません」

 首を傾げる王妃に、彼はきっぱりと言い切った。

 先ほどまでの動揺は既になく、清々しいまでにその顔には侯爵に対する信頼があった。

 信じることは素晴らしいが、その確信は先ほどの王妃の言葉を否定することとなる。

 王妃は一瞬呆気に取られたが、その顔にすぐに微笑を浮かべた。


「君は、僕の言葉を疑うのかい?」 


 がらりと変わったその言葉の強さと微笑は、王妃としての凄みが多分に発揮されたものだった。

 物静かで丁寧、女性の手本のような人だと臣下や民から絶大な支持を得る王妃の姿からは程遠い。

 しかしその凛とした姿は、誰をも従わせる魅力と力があった。

 親しい者や家族ならば知っている王妃の本性が出たことに、若い公爵は一瞬たじろいだが、それでも自身の言葉を撤回しなかった。

 ひしひしと圧力を感じながらも、王妃に怯むことなく静かに口を開いた。

「――――いいえ、王妃陛下の言葉を疑うわけではありません。しかし私は侯爵が悪事に加担するような人物だとは思えないのです。これは私の願望ではありません」

 王妃は見定めるように公爵を見つめた。

「ですがもし……」

 そこで彼はためらうように言葉を切った。

 確信がないのか、それとも誰かに憚っているためか。

 王妃は続けるよう促した。

「何を口にしようとこの場では咎めないから、言ってごらん」

 許しを得て、彼は小さく頷いた。

「……もしも、王女殿下以外の第三者から『王女殿下に協力するよう』頼まれたのだとしたらと思うのです」

 その言葉に王妃は僅かに目を見開いた。

 けれどそれを悟られないようすぐに平静を取り繕う。

 公爵は王妃の僅かな驚きに気付いているのか、いないのか。

 それを指摘することなく、ただ真っ直ぐに王妃を見つめてきた。

「王妃陛下は、今回のことを予想しておられたのではありませんか。王女殿下が侯爵に協力を頼むことを。だからこそ先回りをして、侯爵に『王女殿下の望みを聞き入れる振りをするよう』命じていたのではないですか。そして侯爵も王妃陛下の命に従い、殿下に従う振りをした」

「……へえ」

「そうでなければ、早すぎるとも思うのです」

「早すぎる?」

「はい。私が、妻が攫われたと王家に報告してから嘆願書を提出するまで時間があったとはいえ、今回のことが王女殿下の企みであり、侯爵家が絡んでいると調べ上げるほどの時間はありませんでした。ですが、王妃陛下ははっきりと明言された」

「………」

「ですから、私は思うのです。今回のことは、王妃陛下こそが仕組んだことではないのかと」

 真っ直ぐに己を見抜く紫の瞳に王妃は沈黙した。

 剣を振るうだけの騎士だとは思ってはいなかったが、それでも少し侮っていた。

 王妃が与えた手がかりをきちんと拾い、結論を出した。

 己の子供と同様に幼いころから見守った彼の成長を喜ばしく思うのと同時に、惜しいとも思う。

 王女の性格がああでなければ、娶せてやったのにと。

 王妃は早いうちから、この公爵にのみ執着する王女を危惧していた。

 はじめは、子供が美しいものを愛でるようなものだと思っていた。

 この公爵は幼いころから群を抜いて美しい子供だった。

 穏やかな性格をしていたこともあり、子供が集まれば取り合いになるほどだった。

 王女も人形のように美しい彼を気に入り、次第に他の者には目もくれず、彼しか目に入らない様子を見せ始めた。

 公爵もまたあれだけ慕われれば当然のように王女を愛したようだが、それにしても二人の間には温度差がありすぎた。

 王女の愛がすべてを奪い、独占するものであるのに対して、公爵のそれは淡い恋心であり、少年期に誰もが抱く衝動のようなものだった。

 例え公爵に王女を降嫁させたところでよくない結末を迎えることは目に見えていた。

 今回、それを王女は証明してみせたようなものだ。

 王妃は知らず知らずのうちに詰めていた息を吐き出すと、口元に笑みを浮かべた。

「――――その通りだよ、フレイヴィアス」

 王妃は軽く頷き、認めた。

 公爵はやはり、という顔をしたが沈黙を保った。

「あの子の考えることなどすべてお見通しだ。侯爵が自分とフレイヴィアスの結婚に好意的だから、そのために自分の考えに協力してくれると信じて疑わないのだから、本当に我が娘ながら愚か過ぎて哀れになるほどだ」

 己の娘を酷評し、王妃はまた一つため息をついた。

「まあそんな娘を好きになる人間はいくらかいるようだけどね」

 ちくりと公爵を見やると、彼は反論なく黙り込んだ。

 王妃の嫌味に少し居心地が悪いようだった。

 彼の場合は幼いころからの刷り込みが強く、王女から一心に慕われていたというのもあるのだろうが。

「実はレイナに手を貸したのはもう一人いてね。知っているだろう、リード伯爵の二男」

「アリオン・リードですか」

「そう、レイナの取り巻きの一人で一番扱いやすい男だ。レイナが彼に協力を頼み、彼がエリーザを攫うよう『ある連中』を焚き付けた。この国に革命のようなものを起こそうと考えている、くだらない破落戸どもに」

「革命、ですか」

「自分たちの思想を実現することが全てのフェイアン人のためであり、フェイアン人もその実現を望んでいると疑わない、連中だよ」

「では、アリオンに焚き付けられて妻を攫ったのは、その革命とやらに関係しているのでしょうか。それともグランティールに身代金を要求して革命の資金にするためでしょうか」

「まあどちらも可能性としてはあるだろうね。グランティール公爵家は王家と強い繋がりがあるし、夫人を盾にすれば要求が通りやすいとでも考えるだろう。それにそういう輩は常に資金には困っているものだ」

 一度、王家は彼らの要求を熟考するまでもなく退けている。

 そうなると今度は実力行使に出るしかない。

 そんなときにこの誘拐話を持ち掛けられ、飛びついたのだろう。

 とりあえず、今のところは王家にも公爵家にも彼らからの要求はないが、近いうちに接触を図ってくることだろう。

 そのとき彼らを捕縛してもいいが、それでは少し時間がかかる。

 それよりも先に彼らを叩くことになるだろうと考えを巡らせながら、目の前の青年に向かって目を細めた。

「――――ねえフレイヴィアス。怒ってもいいんだよ」

 相変わらず、白い面にはほとんど感情は表れない。

 だが内心どう思っているかどうかは分からない。

 他の貴族であれば、激怒してもおかしくはない。

「エリーザを利用したことについて」

 己の妻を敢えて危険に晒されたと誰もが思うだろう。

 なぜ王女が動くことを、王女に頼まれた伯爵家の二男が破落戸を焚き付けることを分かっていながら事前に止めなかったのかと。

 手を出す前に止めることはできたが、王妃は実際そうはしなかった。

 王家には王家の理由があるが、そんなことは公爵家には関係ない。

 激怒してもおかしくない境遇でありながら、青年は静かなままだった。

 それどころか、憂うように目を伏せて首を振った。

「いいえ……確かに妻が攫われたことは許しがたいことです。ですが王女殿下が今回のような行動に走った原因は、間違いなく私にあります。私には王家を非難する資格がありません」

 そう言葉を紡いだ彼の声には苦悩が滲み出ていた。

 間違いなく己を責めているのだろう。

 しかし、王妃はこの青年に非があるとは思えない。

 王女が起こした今回の騒動は、王女にこそ責任がある。

 しかし彼は心底悔いているようだった。

 幼いころから変わらない、真っ直ぐな気性が王妃は好ましいと思う。

「……いいや、やっぱり君には王家を責める資格があるよ。今回の非は当然レイナにあるし、レイナを諌めきれなかった僕らにこそ咎がある」

 あれほど機会に恵まれながら、王女を改めさせることができなかった。

 もっと強く出ていれば、罪を犯すことはなかっただろう。

 子供の起こしたことは、多くは親の責任となる。

 王妃は、意を決すると椅子に腰掛ける公爵へと向き直る。

 背筋をぴんと伸ばしてから、深々と頭を垂れた。

「王妃陛下……!」

「母親として謝罪を申し上げる――――本当に、申し訳ありませんでした」

 おやめください、と公爵がたりと音を立てて立ち上がった。

 しばらく頭を下げ続け、ゆっくりと下げていた頭を上げると、目の前には少し青ざめた公爵の顔があった。

 王妃は真剣な面持ちで彼を見上げ、唇を開いた。

「――――今回のことを引き起こした第一王女レイナの処分は、謹慎の後、ウェイオス伯爵家に降嫁させることが決まりました」

 見上げた青年がはっと息をのんだ。

 言葉の意味を正確に理解したのだろう。

 降嫁、つまりは彼の妻と同じで王女という身分を奪うもの。

 しかもウェイオス伯爵といえば、西の国境近くを治めている一族である。

 王女が降嫁する相手としては、かなり劣る相手であるが、その一族の重要性は誰もが認識している。

 しかしあの娘にとっては屈辱以外の何物でもないだろう。

 王女の身分を奪う降嫁、さらにはその降嫁もある意味では辺境の地への追放である。

 王女として生まれ、他国の王妃にもなれる可能性をつぶしたのは他ならない彼女自身だ。

 しかしこの処分も、まだまだ甘いほうだろう。

「最後に――――エリーザ殿の救出には、王家が全力を挙げて行うことを約束します。既にエリーザ殿の居場所は突き止めていますし、護衛となる者を傍に潜ませています。明日の明け方には救出できるでしょう」

 王を中心として救出の計画は立てられている。

「王妃陛下……私がその場に立ち会うことは可能でしょうか?」

 王妃は、予想していた言葉に軽く頷いた。

 何もせず、一人待つことは辛いだろう。

「構いませんが、計画の実行者に含めることはできないでしょう。被害者の家族であれば冷静な判断が難しいと誰もが考えるでしょうから」

 計画が少しでも狂えば、手遅れになる可能性もある。

 しかし公爵は食い下がる。

「それでも構いません。計画の邪魔になるようなことはしません。ただ一刻も早く妻の無事を確かめたいのです」

 真剣な顔にやはり王の判断は間違っていなかったと王妃は納得した。

 彼が今までこれほどまでに真剣に誰かのことを気に掛けることはなかった。

 本当に良い変化だった。

「……いいでしょう。計画では王、王妃、王女の近衛を動かす予定ですから、王の近衛であるあなたがいても問題はない」

 王妃は権限をもって許可を出した。

 許可に公爵は安堵したようだったが、ふと眉をひそめた。

「……王女殿下の近衛も動かされるのですか?」

 戸惑うような声は当然だろう。

 違和感を覚えたに違いない。

 妻を攫った本人の近衛を動かすなど、と。

 正直な感情にに王妃は笑った。

 それは平気で人を騙すことができる者の笑みだった。

「動かさざるを得ないでしょう――――王女が攫われたとあっては」

「は」

「フレイヴィアス、人質が一人だと僕は一言でも言ったかな?」

「まさか……」

「――――連中に者たちに攫われた人質は二人。一人は身代金を要求、もう一人は王家に対する要求をするつもりだろう」

「……っ」

「レイナの近衛はいきり立ってるよ。まさかレイナ自身がその連中と組んでたなんて思いもしないで」

 上に立つ者があれでは、付いてくる者もその程度である。

 嗤う王妃に公爵は困惑が隠せないようだった。

「王女殿下はなぜ攫われたのですか。彼らと協力していたのでは」

「実にくだらない理由だよ。たとえ一時でも愛しいフレイヴィアスの妻になった女が許せない、破落戸どもに八つ裂きにされる姿を見たいと。まさか自分も人質になる可能性なんて少しも考えもしないでのこのこと王宮から出て行って今はエリーザと共に一室に閉じ込められている」

 本当にどこまでも愚かで王家の恥にしかならない娘だった。

 さすがに王も呆れて言葉にならないようだった。

 王妃はため息をついただけだった。

「王妃陛下……それもすべて」

 王妃陛下の手のうちですか、と公爵は言いかけたようだが飲み込んだ。

 のこのこと出かけた王女を『レイナ王女だ』と彼らに情報を流し、王家に要求をのませるため攫うよう唆したのだろうと公爵は気付いただろうが、さすがに言葉にできないようだった。

 聡明な公爵に王妃は何も言わなかった。

 今ころ王女はなぜ自分が攫われたのか混乱しているか、憤慨しているかだろう。

 まさか母親の手引きとも、母親からの仕置きだとも。

 愚かなあの娘は考えもしないで。


「本当にねえ……我が娘ながら、君はあんな娘のどこがよかったの?」


 王妃の嫌味に言葉に詰まる青年を見ながら思う。

 ――――彼は、最後にはどちらを選ぶだろう、かと。

 『エリーザ』か『レイナ』か。

 答えは王妃にも分からない。

 けれどそのときは、確実にやってくる。

 まず間違いなく。

 けれど彼がどちらを選ぼうとも王妃の決意は揺るがない。

『王女を手放す』

 例え唯一、王妃に命令を下すことができる王が命じようとも、逆らう覚悟はあった。

 一度だけ王妃は瞳を閉じる。

 そうして再び目を開けたときには、笑って公爵を見上げた。



「さあ、作戦開始まであと数刻。それまでゆっくりお茶でもしようかフレイヴィアス」


 

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