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公爵と王女  作者: くま
5/12

祈り

 ―――祈りはいつだって届かない。

 あの薄暗い部屋で何度も救いを求めて祈ったところで、何も変わらなかった。

 だから私はもう祈らない。

 神を信じきれず、祈ることをやめた自分は、もう御前に立つ資格なんてない。

 


 季節が冬へと変わったころから体調を崩していた母が亡くなったのは、11歳を迎えたばかりのことだった。

 そのときの父の嘆きは、見ていて哀れに思うほどだった。

 ―――お父様は、弱い人だから。

 ふと何かの折りに困ったように母が呟いた言葉を思い出した。

 母の死を受け入れることができないで、父は眠れない日が続いているようだった。

 そうしていつしか辛い母の死から逃げるようにお酒に手を出して、お酒が入れば一時でも忘れることができるからとお酒に溺れるようになった。

 それと同じころだっただろうか。

 父は私を傍から離さなくなった。

 何をするにも私を傍に置き、少し離れただけで落ち着きなく探し始めるという。

 母が亡くなって寂しいのだろう。

 私自身も母を亡くして寂しく思っていたし、私が傍にいることで父の寂しさが紛れるのならとできるだけ寄り添った。

 けれどいつからだろうか。

 父の私を見る目が変わっていることに気づく。

 父は私を通して―――母を見ていた。

 母が亡くなってから1年、12になった私は、日に日に母に似てきていた。

 波打つ金の髪も緑の瞳も全て母から受け継いだ私を見て父が時折何とも言えない表情をしていたのをしばらくは気づかないふりをしていた。

 父は再婚を、と望む声を全て退け、相変わらず私を傍に置いた。

 共にいる時間が少しずつ延び、離れている時間が短いほどだった。

 気がついたときは父と同じ部屋で寝起きすることが当たり前になっていて。

 周囲が慌て二人を引き離そうと躍起になればなるほど父は頑なになった。

 いつ頃からか兄は、そんな父を、私を蔑んだ目で見ていた。



『ローザ、ローザ』


 それは突然始まった。

 大粒の涙を流しながら裸の私の身体に触れるのは―――誰。

 あらゆる場所に触れ、肌の至るところに唇が這う。

 父の姿をしたこの男は誰なの――。


 

 父はとうとう周囲の言葉を全て無視して、私を己の私室のさらに奥へと隠した。

 足には鎖を嵌めて。

 日もほとんど差さないその部屋で私は3年の歳月を過ごすことになる。

 唯一私の世話をするのは初老の女だった。

 彼女は私を哀れみ、時折外の話をしてくれた。

 話を聞いて、周囲が既に父を見放していることを知る。

『ローザ、ローザ』

 そして相変わらず父は私を母の名で呼ぶ。

 もうどれくらい前から父に私の名前を呼ばれていないだろうか。

 唯一部屋にある寝台に仰向けになったままぼんやりと考える。

 嵐のような時間をいつも思考を飛ばして過ごす。

 己が満足すると、父の姿をした男は胸に顔を埋めて寝息を立て始める。

 最初は哀れに思ったこの人を憎んでいるか、それとも哀れんでいるか。

 今となってはもうどうでもよかった。

 寝台に寝転んだまま、部屋に一つだけある窓を見上げる。

 あの窓からは太陽の光しか差さない。


『月が見たい』


 長い間見ていないそれを渇望した。

 

 

 ある日、世話をする老女が血相を変えてやってきた。

 戦が始まったと。

 相手は長く同盟を組んでいた隣国でこちらから仕掛けたと。

 幼いころ母に連れられて訪ねたこともあるあの豊かな国に。

 外を知らない私でもなぜそんな無謀なことをと思った。

 予想通り日に日に戦況は悪くなっているようだった。

 老女が部屋に来る回数が減り、同時に父と過ごす時間が短くなったころ。

 ある日、本当に久しぶりに1日を一人で過ごした。

 次に扉を開けたのは、父でも老女でもなかった。

 そこに立っていたのは、異国の王だった。

 それだけで悟る。

 ―――負けたのだと。


「ああ、間違いない……エリーザ姫だ」


 幼いころ母に連れられ会ったこの王を王の名に相応しい人だと思い、憧れた。

 この王の前で最後を迎えることができるのはある種幸せなことなのかもしれない。

 ならば誇り高くあろう、最後の―――王女として。

 首を差し出す覚悟は疾うにできていた。

 けれど結果は王の情けで生き残ることになった。

 代わりに、


『褒美をとらせる』


 命じられたのは降嫁だった。

 相手は、年若い騎士。

 静かに佇んでいた人は、癖のない長い銀髪と紫色の瞳が美しい、王の忠実な騎士だった。

 王命に従い、何の役にも立たない滅んだ国の王女を迎えてくれた。

 飾りの妻となるだろうという予想を裏切り、公爵は私をきちんと妻にしてくれた。

 こんな身体など見たくも触れたくもないはず。

 けれど触れられた手は、終始丁寧で穏やかなものだった。

 淡々とした表情の公爵が内心はどう思っているかはわからないけれど、きっと良い感情など抱いていないはず。

 それでもその不平不満を私にぶつけることなく、いつも気遣ってくれた。

 だが公爵は、私が公爵を憎んでいると思っている。

 国の者を、兄を手にかけた自分を恨んでいると。

 確かに国の者を失ったのは悲しく苦しい。

 命を落とした兄を哀れに思う。

 だが、戦を仕掛けたのはこちらからである。

 兄のことは自業自得といえる。

 公爵は公爵の大事なものを守るために戦っただけ。

 何もしなかった私にどうして公爵を憎む資格があるだろうか。

 のうのうと生き残ってしまった私に責める権利なんてない。

 公爵こそ私の存在など気にかける必要などないのに。

 なのに。

 

 ―――王女としてではなく、私の妻として生きてください。


 残酷で優しい言葉をくれた。

 あとからあとから涙が、こぼれた。

 公爵に降嫁して王女の身分は失った。

 今まで培った王女としての誇りも何もかも。

 けれど公爵の妻として、『生きること』を許された。

 自分すら認めることができなかった生を認めてくれた。

 それだけでもういいと思えた。

 この先、私が公爵の妻として共に居られる時間は短いかもしれない。

 いつか生き残ったことを断罪される日がくるかもしれない。

 それでもこの瞬間、公爵の妻となれたことを嬉しく、そして―――誇りに思う。



『フレイヴィアスさま』



 あなたが私を妻にしてくれた。

 あなただけが私に救いを与えてくれた。

 私を映すその紫の瞳が、心が私を見ていなくても。

 ―――変わらずあの人を想っているのだとしても。

 私は、今この瞬間幸せです。

 


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