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公爵と王女  作者: くま
4/12

神殿

 ―――記憶の中にある母は、好奇心旺盛で何事にも積極的に動く人だった。

 一つのところに留まらず、部屋で縫物をしていたかと思えば庭に下りて花を摘んだり、茶会を開いたりと。

 いつも朗らかで笑顔を絶やさない人だった。




 あと1時間ほどで日付が変わろうという時間に王城から帰宅したフレイヴィアスは、湯を使って体の汚れを落とすと、妻の私室を訪ねた。

 イーデンとの戦が終結し、妻がフレイヴィアスのもとに降嫁してから半月あまりがたつ。

 未だ妻をどう扱ってよいかは分からないが、外聞や妻の立場を考えるとあまり放っておくわけにはいかない。

 近衛の仕事を終え、グランティール家に帰宅する時間は不規則で、深夜近くになることが多い。

 妻には遅くなるため自分を待たず先に寝室で休むよう伝えていたが、この半月の間それは一度も守られたことはなかった。

 彼女の中ではフレイヴィアスは仕えるべき相手として定められているらしく、その主人よりも先に休むという考えはないようだった。 

 フレイヴィアスとしては先に休んでくれていたほうが何かと楽なのだが、強く言うことはできない。

 必然的に就寝前に妻の私室を訪ねてから寝室に行くことが日課となっていた。

 今日も妻の私室に向かうと、フレイヴィアスは軽くドアをノックし、しばし応え待ったが、返事がない。

 これもいつものことである。

 妻はどうやら何か一つのことに集中し始めると他のことが疎かになる癖があるようだった。

 最初はフレイヴィアスの顔を見たくないため無視しているのかとも考えたが、妻につけた侍女から聞いてこの癖に気付いた。

 無作法なことではあるが、妻からの応えがなくともフレイヴィアスは勝手に私室に入ることに決めた。

 この日も応えがないままドアを開けると、室内へと足を踏み入れた。

「エリーザ」

 未だ呼び捨てすることには慣れないがこれも妻が譲らない。

 呼び掛けた妻は室内の長椅子に腰をかけて本を読んでいた。

 手元にある本はもともとこの部屋でフレイヴィアスの母が所有していた本だ。

 ――――何をすればいいのでしょうか。

 この屋敷にきた初日にそう呟いた妻は、この半月ほどは一日の大半を私室で本を読んだり縫い物をして過ごしているようだった。

「お帰りに気づきかず、申し訳ございません」

 すぐに膝の上の本を置いて立ち上がり、頭を下げた。

 フレイヴィアスは、構いません、と言いながら妻のそば近くまで歩む。

 顔を上げた妻の顔色が朝と変わりないことを確認すると、

「何か不自由はありませんか」

いつもと同じ言葉をかけた。

 それに対する答えはこれもいつも同じで、

「ございません」

というものだった。

 いつもなら頷き、すぐに寝室へと誘うが今日は違った。

「―――明日は一日休暇をいただきました」

 もともとは3日後の予定だったが、同僚の都合で明日へと変わった。

「そこで明日は午後から神殿に行こうと思います」

「神殿に……?」

「ええ。婚姻が神殿でも認められましたので、一度は訪ねて祝福を受けていたほうがいいでしょう」

 古い習わしだが、国を通じて神殿に婚姻が届けられてから1週間から1か月の間に夫婦で祝福を受ければ末永く夫婦生活が続くと言われている。

 妻は、フレイヴィアスの言葉に軽く目を瞬かせたあと、突然の言葉を疑わずこくりと頷いた。

「分かりました」

 それでもどうして急に、とは思っているだろう。

 フレイヴィアス自身、唐突に休暇が明日へ変わったとき、何をしようかと戸惑った。

 自宅でゆっくりするのもいいだろうが、それにしても妻の存在を無視することはできない。

 ならばいっそのこと外に連れ出したほうがいいのでは、と考えたときに思いついたのは神殿だった。

「明日はそのつもりでいてください」

「……はい」

 妻が了承したのを確認すると、フレイヴィアスは今度こそ妻の手を引いて寝室へと誘ったのだった。



 翌日、早めに昼食を取ったあと、馬車で王都の南にある神殿へと向かった。

 神殿の門扉近くに馬車を付けさせると、妻を伴い内部へと進んだ。

 この日、妻は、淡い金色で刺繍が施されたドレスを身に纏い、頭には揃いのベールを被っていた。

 ベールは、高貴な女性が外出する際に被ることは珍しくもないし、妻の立場を考えると被せていたほうが何かと都合がいい。

 妻自身、ベールを被るよう申し向けると、異論なく頷いた。

 ベールを被った妻を連れて神殿の内部にある祭壇が設けられた祝福の間へと足を進めた。

 事前に申し込みをしていたお陰で、祝福の間の前で待つことなくすぐに室内に通される。

 さすがに儀式の最中にベールを被せておくわけにはいかないため、ここで脱がせて連れてきていた侍女に渡す。

 儀式を司る神官が説明した手順通りに夫婦で花と水を捧げ、祝詞を受けた。

 厳かな雰囲気と軽い緊張もあってあっという間に感じられたが、実際は1時間ぐらいかかっただろうか。

 これで終わります、と告げた神官に感謝の意を述べて、祝福の間をあとにする。

 肩を並べて歩き出した方向は、来たときとは異なるものだった。

 そのことに妻は気付いているのだろうが、迷いなく進むフレイヴィアスに何かこの神殿にまだ別の用があると察したらしい。

 しばらくは黙ってフレイヴィアスについてきていたが、広い神殿を迷いなく進む姿を見て疑問に思ったようだった。

「……フレイヴィアスさまは、よく来られるのですか」

 その問いかけにフレイヴィアス軽く首を振った。

「いいえ、3年前に父を亡くして以来訪れていません。ですが叔父がここで神官を務めていますのでよく知っています」

「……そう、ですか」

 叔父、という言葉に驚いたようだ。

 祖父母と父母が既に亡くなったことは話したが、叔父がいることを口にしたことはなかったので、存在自体知らなかったに違いない。

 叔父は早くから俗世を離れた人だとも説明しながら先へと進む。

 昼下がりの神殿は、朝夕に比べればほとんど人がいない静かなものだ。

 二人分の足音だけが響く中、進むうちに神殿の壁や天井に描かれた絵からふと気付いたのだろう。

 沈黙していた妻が思わずというようにぽつりと呟いた。

「ここは、インセラス神殿なのですね……」

 妻が名を知っていたことに内心驚きながらも、フレイヴィアスはその呟きを肯定した。

 インセラス神殿は、フェイアンにある神殿の中でも特に他国が信仰する様々な神を奉っていることで有名である。

 それゆえ他国から移住してきた者たちなどの多くがこの神殿を訪れた。

 フレイヴィアスは、いくつもの部屋の前を通りすぎたが、足をある部屋の前で止めた。

 妻もそれに倣い足を止め、目の前の部屋の扉に描かれた絵をぼんやりと見上げた。

「ここがイリーラ神を奉った部屋です」 

「………」

 イリーラは、知恵を司る神である。

 そして―――イーデンが主神と定めて信仰していた女神だった。

 フレイヴィアスは黙したまま扉を見つめる妻を見下ろした。

 ――――妻は、一日の大半を私室で過ごしていると報告を受けていた。

 だが一日のうち必ず一度は中庭へと降りるとも報告を受けていた。

 その時間帯はいつも決まっているわけではない。

 だが、一度中庭に降りると長くて2時間近くも同じ場所に立ち続けているという。

 必ず同じ方向を向いて。

 侍女たちは何も思わなかったようだが、フレイヴィアスは妻が向くという方向を聞いてすぐに分かった。

 妻が見つめる先にあるのは――――イーデンだ。

 いや、かつてのイーデンがあった場所。

 彼女が二度と踏めない故郷。

 憂いているのか、恋しがっているのか、それとも命を奪われた父や兄、国の者の冥福を祈っているのか。

 フレイヴィアスには分からない。

 それでも妻がいつも同じ方向を見ていると聞いたとき、この神殿に連れてきることを思いついた。

 妻が望んだわけではない。

 要はフレイヴィアスの自己満足だ。

「私はこのあと叔父と会う約束をしています」

「……フレイヴィアスさま、」

「ここで過ごしても構いませんし、一緒に来てくださっても構いません。あなたが決めてください――――庭に先に行っています」

 そう言うと、困惑する妻を残してフレイヴィアスは部屋の前から離れた。

 言ったとおり選ぶのは、妻だ。

 どちらを選んでもフレイヴィアスは咎めるつもりは更々ない。

 廊下を抜けると、神殿の奥庭に出た。

 奥庭では、神に捧げられる神聖な花が植えられており、花々は今が満開だった。

 叔父との約束までもう少し時間があったが、少しして一人の神官が現れた。

 曰く、「突然儀式を行わなければなくなった」と。

 恐らくは誰かが亡くなったか。

 3年ぶりのことではあったが、仕方がない。

 謝罪する神官に許しを与え、神官が立ち去ったあと庭に設置された長椅子に腰かけた。

 妻が現れる気配はなかった。

 部屋に入ったのかもしれないしもしかしたらまだ悩んでいるのかもしれない。

 あまり信仰に重きを置かないフェイアン人であるフレイヴィアスには、妻の葛藤は理解できない。

 だがその人によって価値は違うのは当然であるし、尊重しなければならないとも考えている。

 だからこそ迷い、考えた末に妻が部屋に入らなくてもそれは彼女の答えだと思うし、それに対してどうこう言うつもりもない。

 フレイヴィアスは、ただこの庭で待つだけだ。

 長椅子に腰を掛けたままゆっくりと息を吐くと、フレイヴィアスは目を閉じた。



 どれぐらい時間がたったか。

 土を踏む小さな音に閉じていた目を開ける。

「………」

 鋭く視線を走らせた先に見つけた姿に、フレイヴィアスは警戒を解いた。

 気怠さを振り払うように軽く頭を振った後、腰掛けていた長椅子から立ち上がり、庭の入口で立ち尽くす妻へと静かに歩み寄った。

 見つめた先、妻はぼんやりと庭の花々を眺めているようだった。

 グランティールの中庭でもいつもああしているのだろうと思いながら、彼女の隣に立つ。

 妻は隣に立つフレイヴィアスに気付いているだろうが、何も言わないし視線も前を向いたままだった。

 しばらく庭に遊びにきた鳥の鳴き声に耳を傾けていたが、突風が一つ吹くとそろそろ妻を連れて帰宅しようかと考えた。

 風に散らされた色とりどりの花が舞い上がる。

 花を見ていたフレイヴィアスは、始め空耳かと思った。

 ――――私は。

 小さな小さな声だった。

 隣に立つ妻へと顔を向けると、白い小さな顔は相変わらず庭へと向けられていたが、その緑の瞳は伏せられていた。


「………入ることが、できませんでした」


 小さな小さな声で呟かれたそれは、苦しみと悲しみに満ちていた。

 ずっと悩み、考え、そしてあの部屋の前で立っていたのか。

 妻はそうして、あの部屋に入ることができなかったらしい。

 なぜ入らなかったのか、視線で問う。

「私にはあの部屋の中に入る……いえ、イリーラさまの前に立つ資格がありません」

「……それは、あなたが王女の身分を失ったからですか」

 フレイヴィアスの静かな問いかけに、妻は頑是なく頭を振った。

「いいえ……イリーラさまから民を守るために王位を授けられた王族の末裔でありながら、王女という身分を与えられながら、誰一人救わなかったからです」

「ですがそれは、」

 妻だけの所為ではない。

 いや、むしろイーデンの王によって監禁されていた彼女には何の罪もないのではないか。

 だが彼女はそうは考えないらしい。

「それなのに……私は生き残ってしまいました。私だけが何の罰も受けずにのうのうと生きています」

 フレイヴィアスの言葉に耳を傾けず、自分を責め続ける。

 その声はか細く、苦しみしかなかった。

「自ら命を絶つこともできない私がどうしてイリーラさまの前に立つことができましょうか」

「エリーザ……」

 フレイヴィアスの呼びかけにも妻は答えない。

 青ざめた顔に己の白い手を当てる。

 その手の間から僅かに覗く唇が、震えていた。

 嘆きは止まらない。


「民ではなく私こそが死ぬべきだったのに……どうして私は生き残ってしまったの」


 ぽつりと誰に言うでもなく。

 子供が途方に暮れたように呟かれたそれは、初めて聞く妻の想いだった。

 フレイヴィアスに降嫁してからの妻は日々を淡々と、まるで人形のように生きていて。

 笑うことも怒ることもしない、ましてや心の中を見せることなどしない人だった。

 政略結婚であり、フレイヴィアスもまた自身のことを妻に語らないのだから、それも当然だと思っていた。

 けれどこれほどの苦しみを抱えているとは、思わなかった。

 己の家族を、国を滅ぼした男を憎悪しているだろうとは思っていた。

 だがそれよりも妻は生き残った自分こそを憎み、苦しんでいたのだ。

 本当にどこまでも誇り高く、王女という身分に相応しい少女だった。

 フレイヴィアスは感嘆するとともに、自分を責める彼女の姿にかつてのことを思い出す。


『ごめんなさい、ごめんなさい私が死ねばよかったのに……っ』


 ―――あの人も自分を責めて泣きじゃくった。

 あのときフレイヴィアスは、どう言葉をかけていいかわからなくて。

 考えた末に、ただ「あなたが悪いわけではありません」としか言えなかった。

 あの言葉など何の救いにもならなかったに違いない。

 あれからもう何年もたつというのに、未だにフレイヴィアスは自分を責める人を前にしてどう言葉をかければいいか分からなかった。

 ――――それでも、自分を責める彼女を放っておくことはできなかった。

 己の顔を覆う妻の手をそっと掴むと、ゆっくりと下に降ろさせる。

 その仕草にようやく妻がのろのろと顔を上げてフレイヴィアスを見る。

 大きな緑の瞳は暗く、苦悩の色が濃い。

 その瞳を見下ろしながら、フレイヴィアスはゆっくりと口を開いて拙いながらも言葉を綴った。

「……私は、今回の戦で多くの人間の命を奪いました。ご存じのとおり、あなたの兄であった王太子の命も」

「………」

「―――もちろん、あなたの命も奪うつもりでいました」

 フレイヴィアスは、王の騎士だ。

 王に従い、王のために生きる者。

 フェイアンに仇をなしたイーデンを放っておくことはできない。

 王族は皆処分するつもりでいた。

「あの日、王の命があれば私はためらうことなくあなたの命を奪っていたでしょう」

 それを当然のこととして考え、実行していただろう。

 だがどういう運命なのか。

「そうはならず、あなたは私に降嫁してくださいました……もしも今、あなたの命が誰かに奪われようとするならば私はあなたを守り、あなたが自ら命を絶たんとすれば、必ず阻止するでしょう」

 握った妻の腕に力を込める。

 細く華奢で、もう少しで折れてしまいそうだ。

 心はどこまでも誇り高くとも、身体はまだ16歳の少女だった。

 既に妻とし、幾度か抱いたこの身体はまだまだ幼い。

 戸惑いに揺れる大きな緑の瞳を強く見つめた。

 それからフレイヴィアスは考え抜いた末にこの言葉を言い放った。


「生きてください」


 短く、端的な言葉。

 だがこの言葉しかないと思った。

 フレイヴィアスの言葉に妻は目を大きく見開いた。

「王女としての生が認められないのならそれでも構わない、あなたはもうイーデンの王女ではないのですから」

「……っ」

「これから生きる理由は、私を憎むためでも恨むためでもなんでもいい」

 妻は信じられないものを見るかのようにフレイヴィアスを見ている。

 フレイヴィアス自身、これが正しいのかは分からないし、自分でもおかしなことを言っている自覚はある。

 それでも構わなかった。

 彼女がそれで自分を責めるのをやめるのなら―――。


「王女としてではなく、私の妻として生きてください」


 はっきりと言い切ったその言葉を妻がどう受け止めたのかは分からない。

 愚かなことをと反発するかもしれない。

 こんな言葉など何の救いにもならないかもしれない。

 けれど妻は長い金の睫毛と唇を震わせたかと思うと、あの婚姻が成立した日と同じようにぎゅっと目を閉じた。

 あの日と同じ、大粒の涙がまた白い頬を伝う。

 ぽたりぽたりと落ちるそれは、清らかで美しい。

 しばし見惚れたあと、思わずフレイヴィアスは呟いた。


「……あなたは、泣いてばかりだ」


 泣かせるフレイヴィアスが悪いのか。

 彼女の涙の意味は、いつも分からない。

 何も語らない。

 だがそれでもいい。

 フレイヴィアスも、何も聞かない。

 ただあの日と同じように腕を伸ばして、華奢な身体を囲う。

 細い体は、やはりフレイヴィアスの腕の中に簡単に収まった。

 けれどあの日と違うのは。

 囲った妻の身体が、フレイヴィアスへと寄り添ったことだ。

 僅かな変化ではあったが、その確かな変化、それをフレイヴィアスは感じた。

 


 妻が変わるのであれば。

 これから、自分も変わっていくのだろうかと思いながら、彼女が落ち着くまで抱き続けた――――。

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