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公爵と王女  作者: くま
3/12

登城

 震えている―――夜半、目を覚ますと同時に少し離れたところにある身体を見て思い出す。

 最初に床を共にしたときもそうだったと。

 迷った末に少し離れたところで猫のように小さく丸まっている身体に手を伸ばし、抱き寄せる。

 起きるかと思ったが、ぎゅっと閉ざされた瞼が開くことはなかった。

 抱き寄せた身体の震えが止まるまであたためるかのように撫でて続けたのだった。





 ―――早朝、フレイヴィアスはグランティール家を出て、王城へと向かった。

 イーデンから王都へと帰還してから未だ2日しかたっていない。

 戦場からの帰還と婚姻を考慮されて10日ほど休みをもらっているのだが、どうしても登城しなければならない理由があったのだ。

 街は未だ凱旋の喜びが抜けず、賑やかなものだが、早朝であればそれもない。

 共の従者を一人だけ連れ、徒歩で王城へと向かう途中、ほとんど誰ともすれ違うことはなかった。

 許可証代わりになる近衛の剣を門番に示すと、中央宮へと足を進めた。

 普段ならばまっすぐ近衛の舎がある左宮へ向かうが、今日は中央宮に行かなければならない。

 中央宮では貴族に関する様々な手続きを行うことができる。

 フレイヴィアスがそこへと向かう理由はただ一つ、王女との婚姻成立を届け出るためである。

 これが妾を迎えるだけであれば面倒な手続きは必要ないが、正式な妻を迎えるときは手続きをしておかなければ後々の相続の際に権利を主張できないし、夫婦の間に生まれた子が後継になることもできない。

 特にフレイヴィアスの場合は手続きをする必要があった。

 今回の婚姻は王直々の命によるものであり、王女の身分を奪うために行われた降嫁である。

 フレイヴィアスがまず国に届け出ると、次に国を通じて神殿に届けられる。

 そうなれば婚姻は神に認められたものとなり、フェイアン国内だけでなく他国でもフレイヴィアスと王女が夫婦であることが認められ、王女は王女の身分を失う。

 仮にイーデンの残党が残っていたとしても王女を蜂起の旗印に使うことはできなくなるのである。

 手続きは本来であれば従者などに任せればいいが、相手が相手だけに手違いがあってはいけない。

 フレイヴィアス自ら必要な書類を提出すると、従者に手続きが終わるまで待機するよう命じ、一人その場所を離れた。

 手続きには時間がかかるだろうし、何より登城した際は王の執務室に顔を出すよう事前に通達があった。

 中央宮の奥に所在する王の執務室へと歩いていると、前から見慣れた近衛の制服を纏う人影が見えた。

 相手もフレイヴィアスに気付いたのだろう、一瞬足を止めた後、一路フレイヴィアスへと向かってくる。

 そしてフレイヴィアスの近くまで来ると口を開いた。

「来ていたのか、フレイ。今は休暇中だろう?」

「―――ああ、手続きをしに」

 短く答えると、フレイヴィアスは足を止めることなく進み続ける。

 素っ気ない態度に彼は相変わらずだと苦笑しながら、方向を変えてフレイヴィアスの隣に並んだ。

 その行動に面倒な人間に捕まった、と内心舌打ちする。

 彼は自分よりも年上だが、同時期に近衛を拝命した者である。

 人懐っこくお喋りで何かとフレイヴィアスに構ってくるが、時折、わざとかそうでないかはわからないが無神経な言葉を発してフレイヴィアスを苛立たせることがあるため、極力関わりたくはない。

 今もその気のないフレイヴィアスのことなどお構い無しに話し始めた。

「……そういえば、今回の戦ではお手柄だったんだろう? 民に紛れていた王太子に誰一人気付かなかったのに、フレイだけが見つけ出したそうじゃないか。さすが陛下の近衛は違うよな」

 何がさすがなのかは分からないが、どこか皮肉のように聞こえてフレイヴィアスは内心眉をひそめながら、偶然だ、と短く返した。

 彼から離れるため少し足を速めてみるが、彼も同じように足を速めてついてくる。

「けど偶然でもなんでも王太子を見つけたのを認められて、陛下から直々に褒美を賜ったらしいじゃないか」

 ――――もう伝わっているのか。

 王の一人娘である王女付きの彼は今回の戦に赴いていない。

 その彼がフレイヴィアスと王女の婚姻を知っていることに少し驚いた。

 噂好きの人間の間では、やはりこういったことが広まるのは早いのか。

 黙っているフレイヴィアスを気にする風もなく彼は好き放題言った。

「さっき言ってた手続きっていうのも、イーデンの王女との婚姻の関係だろ? いいよなー、王女は物凄い美人らしいじゃないか」

 確かに世間一般でいえば傾国の美女だろうが、整いすぎて精気のない人形のようだとフレイヴィアスは何度か思った。

「しかも16歳だろ? だったらまだまだ自分好みに育てれるし……」

 言いかけたが彼はすぐに自分の言葉を否定した。

 いや、もう無理か、と。

 最後の言葉にフレイヴィアスはぴくりと眉を動かし、彼へと視線をやった。

 視線をやった彼は、どこかにやにやとした下卑た笑いを浮かべていた。

 ――――自分と王女の婚姻の経緯が伝わっているのならば、彼が王女の境遇を既に知っていてもおかしくはない。

 彼も当然知っているのだろう。

 だからこその言葉と意味ありげな笑み。

 フレイヴィアスは何か我慢できない感情が沸き起こってくるのを感じた。

 それでもフレイヴィアスは同僚であることや場所を考えて何も言わなかった。

 さすがにそこまで無神経ではないだろうと。

 しかしフレイヴィアスの考えもむなしく、次の言葉で不快は決定的になる。


「――残念だったよな、せっかく迎えた妻が、父親と犯ってたお古の王女で」


 その瞬間の感情をフレイヴィアスは何と言い表していいのか分からない。

 彼にしてみれば他人事。

 フレイヴィアスが何も言わないからこそ図に乗ったのかもしれない。

 いや彼からすればいつもの何気ない会話であって、他意はないのかもれない。

 だからといって、


「―――――口を慎め、ユリウス・リーメイ」 


 見過ごせるものでも許せる発言でもない。

 突然の鋭い口調と眼差しに、彼はびっくりしたように目を見開いた。

「フレイ?」

 鋭くなったフレイヴィアスの眼差しの意味が分からないと不思議そうだ。

 そう、彼は本当に自分の発言の軽重を分かっていないのだ。

 それが分かっていてもフレイヴィアスは眼差しを和らげることはなかった。

 この男は己の発言に責任を覚えることを知らなければならない。

「貴様に我が妻を語る権利など存在しなければ許しを与えた覚えもない。我が妻を侮辱するということは、グランティール家を侮辱するのと同じこと」

「いや、フレイ………その」

 言い訳をしようと口ごもる彼に耳を貸してやる気はない。

「―――――グランティールを敵に回したくなければ、二度とそのような口をきかないことだ」

 さすがにこの言葉の意味が分からないわけはないだろう。

 彼は伯爵家の二男だが、グランティールに比べれば格下も格下、相手にもならない。

 グランティールの力を持ってすれば、潰すことは容易い。

 これはフレイヴィアスだけの見解ではなく誰もが認めることだ。

 それが分かっている彼も、一気に顔色をなくして引きつらせた。

「な、何怒ってるんだよ。本当のことを言っただけだろ、なのに……」

 懲りずに繰り返そうとする彼に最早呆れる。

 話して聞かせる価値もない。

 失望を隠さない眼差しで一瞥したあと、

「忠告はした」

 フレイヴィアスはその場に彼を残して立ち去る。

 彼はさすがに今度はついてくることはなかったが、フレイヴィアスの背中に

「フレイだってイーデンの王女なんかもらって迷惑してるんだろ? なのになんで…」

 呟いていたのが聞こえたが答える気はなかった。

 ――――迷惑してるんだろ?

 確かにあの王女のことを持て余してはいる。

 王の命によって娶らなければならなくなった彼女を疎むほどではないが、どう扱っていいか困惑もしている。

 今もグランティールに居るだろう王女のことを思うと、憂鬱にもなる。

 だがそれでも、何も知らない男が己の妻となった彼女のことを悪しざまに言のを見過ごすことは、できなかった。

 ―――グランティール家とフレイヴィアス自身の誇りにかけて。

 だがそこまで考えて、フレイヴィアスは思うのだ。

 何も知らないのは、フレイヴィアスも同じだ。

 あの不快な気持ちも、さっきの言葉も結局は王女のことを思ってではなく、己のために発したものだ。

 グランティールと己の誇りを守るために。

 そのことに罪悪感とも自己嫌悪ともつかない感情を抱いたが、振り払うかのように先へと進んだ。



 王の執務室を訪ねたフレイヴィアスは、少し外で待たされたが、すぐに中へと通された。

 この時間帯を鑑みればかなり早いほうだと思いながら足を進める。

 広い室内には、大きな木製の机に腰掛ける王とその背後に立つ宰相、同僚の近衛の姿があった。

 定められた挨拶を行うため片膝をつこうとしたが、王が必要ないと退けたためそのまま歩みを進めて王の前で直立する。

 王はフレイヴィアスにからかうように笑った。

「新婚生活はどうだ、フレイヴィアス? リリーアが亡くなってからようやく迎えた夫人にグランティール家の者も喜んだんじゃないか?」

 王の言葉にフレイヴィアスはどう答えてよいものか、一瞬戸惑った。

 いえ、とも、はい、ともつかない言葉で曖昧に頷く。

 だが王は端からフレイヴィアスの答えなど求めていなかったらしい。

 重厚な机の上に広げられていた一枚の紙を拾い上げると、ひらひらと翳した。

 薄ら透けて見えるその紙は、見覚えのあるものだった。

 つい先ほどフレイヴィアスが提出した書類だ。

 もう届けられていたのかと仕事の早さに舌を巻く。

「――――エリーザとの婚姻の手続きで、フィリーを提出したらしいな」

「はい」

 そして聞かれるだろうと思っていたことを、やはり聞かれた。

 フィリーとは、本来ならば女神の名を示すもので、この女神は女性、特に未婚の女性を守護する。

 しかし婚姻に関するとき、フィリーは初夜の後の敷布を意味することとなる。

 女性の破瓜の証、それが残る敷布をフィリーと呼ぶのである。

 もちろん再婚や何か事情があるときは提出されることはないが、基本的には貴族同士の婚姻の際には提出されるべきものである。

 フレイヴィアスもその部分だけ切り取らせたそれを手続きの書類とともに提出していた。

 王は翳していた書類を再び机の上へと戻すと、フレイヴィアスを見据えた。

「まあ、お前のことだ―――――偽りはないな?」

 偽り、それが指す意味。

 要するに証もないのに破瓜ではない血で染めた敷布を提出したのではないかということ。

 フレイヴィアスは小さく息をついた後、王をまっすぐ見つめた。

「ありません。提出したフィリーは、真実エリーザ姫のものです」

 きっぱりと言い切ったフレイヴィアスをしばし王は見つめていたが、ふと息をついた。

 どこか瞳を陰らせ、小さく呟く。

「………最後の良心か、それとも自身が使い物にならなかったか」

 どちらでもよいが、と最後は吐き捨てるように言った。

 誰に向けてのものか、考えるまでもない。

 同じ王としてか、それとも娘を持つ親としての嫌悪か。

 どちらにしても王はイーデンの王に対して並々ならぬ思いがあるようだった。

 王はため息を一つついたあと、切り替えるかのように顔を上げてフレイヴィアスを見た。

「それより、エリーザの様子はどうだ? まあイーデンは特に戒律を守る風潮があるからな、命を絶とうとすることはまずないだろうが目を離さぬほうが良い。よく見てやれ」

「はい。エリーザ姫から目を離さぬよう侍女には重々言い含めております」

 フレイヴィアスの手本通りの応えに王は僅かに苦笑した。

 その苦笑の意味がフレイヴィアスには分からなかったが、王の背後に立つ宰相も同僚もどこか微妙な顔つきをしていた。

「まあ、フレイヴィアスだからな……」

 よく意味の分からないことを呟き、王は一人納得したような顔をする。

 ますます訳が分からないフレイヴィアスだったが、王はそれ以上は何も言わなかった。

 その後いくつか話しをしたが、多忙な王の時間を拘束することは許されない。

 すぐに王への退出の挨拶を済ませ、扉へと向かった。

 その背を見ていた王がふと声をかけた。


「――――なあ、フレイヴィアス」


 足を止め、振り返る。

 王は机に両肘をつき、どこか遠くを見るような目でフレイヴィアスを見ていた。

「もうすぐ5年がたつな………時がたつのは本当に早いものだな」

 独り言のようなそれを呟く王は、遠い過去を思い出しているのだろうか。

 フレイヴィアスは沈黙したまま王の言葉に耳を傾けた。

「時の流れを早く感じるようになったのは年を取った証拠か……だが年を取ったからこそ見える物もある」

「………陛下」

「年よりの戯言だとでも思え、フレイヴィアス」

 まだ50にも届かないというのに王は自分のことを卑下したあと、フレイヴィアスを見つめた。


「―――人はそう簡単には変わらない。だが時だけは人を変える力を持っている」


 それを忘れるな、と王は小さく呟くように告げた後、手を振った。

 抽象的な言葉にフレイヴィアスは戸惑いを隠せなかったが、退出を促された以上残ることはできない。

 仕方なく一礼して今度こそ執務室を後にしたのだった。



 帰りに婚姻の手続きが完了したことを確認した後、フレイヴィアスは真っ直ぐグランティールへと帰宅した。

 出迎えた執事に上着を渡し、私室で一息ついた後、ふと尋ねた。

「エリーザ姫は……いや、エリーザは私室か?」

 正式に妻となった王女の所在を尋ねると、執事は中庭だと答えた。

「中庭?」

「はい。もう1時間ほどたつかと思います」

 一体何をしているのか、フレイヴィアスは不思議に思いながら私室の窓から花々が咲き誇る中庭へと視線を落とした。

 すぐに探し人の姿は見つかったが、一体何をしているのか身動き一つせず立ち尽くしたままだ。

 日が落ち始め、気温が下がる前に中へ入れたほうがいいだろう。

 自身も中庭へと降りると、真っ直ぐに王女のもとへと向かった。

 王女は特に満開に咲き誇る花の前でじっと立ち尽くしているが、後ろから見てもその花を愛でているような素振りはなかった。

 離れた場所に侍女が控えているのを確認しながら、フレイヴィアスは王女の背後で立ち止まった。

 土を踏む音で気付いたのだろう、王女が振り返る。

 ふわり、と長い金糸と白いドレスの裾がやわらかく風に揺れた。

 フレイヴィアスの姿を認めてわずかに緑の瞳を見開いたあと、

「お帰りなさいませ」

小さく呟いた。

 それに頷きを返すと、フレイヴィアスはじっと見上げる緑の瞳を見返しながら、ゆっくりと口を開いた。

「今日、手続きを終えました」

「………手続き、ですか」

 ぱちぱちと瞬きながら、僅かに首が傾げる。

 フレイヴィアスは、殊更ゆっくりと告げた。

「ええ。これであなたは私の妻と認められ、イーデン王女の身分を失いました」

「………」

 フレイヴィアスの言葉に緑の瞳が大きく見開かれ、次いで戸惑うように揺れる。

 視界の端で手が震えているのが見えた。

 そんな王女に追い打ちをかけるようにフレイヴィアスは、淡々と告げる。


「もう、あなたにはここ以外に戻る場所はない。二度とイーデンの土地を踏むことはないでしょう」


 フレイヴィアスの残酷な言葉に唇を震わせたあと、とうとう緑の瞳をぎゅっとつむり、王女は震える両のてのひらを合わせた。

 風が吹けば倒れてしまいそうな華奢な身体を、哀れだと思う。

 だが同時に仕方のないことだとも思う。

 青ざめ、震える身体に近づと、フレイヴィアスは持ってきていた王女の上着を肩からかけてやりながら小さく呟いた。

 ――――どうぞ恨んでください。

 身分を、故郷を、何もかもを奪った男を恨めばいい、憎めばいい。

 それでこの小さな体の調和が保てるならばそれでいい。

 フレイヴィアスは、そう思った。

 けれど祈りを捧げるかのように手を握り合わせていた王女は、小さく首を振る。

 その拍子にぽたり、と白い頬を伝う透明なしずくが落ちた。

 ぱたぱたと地面に落ちるそれをしばらく無言で眺めていたが。

「………」

 そっと哀れな肩を冷たい風から守るように抱き寄せた。

 王女は、逆らうことなく、何も言わずにフレイヴィアスの腕の中に留まったのだった。




 今日この日――――王女は名実ともにフレイヴィアスの妻となった。






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