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公爵と王女  作者: くま
10/12

救い

流血など残酷な描写があります。

 あれからどれぐらい時間がたっただろうか。

 窓のない部屋では時間の経過が分からない。

 それに薬がまだ体内に残っていたのか、気が付くと膝を抱えたままうとうとしていたようだ。

 軽く頭を振って、眠りから現へと体を引き戻す。

 最初にこの部屋で目覚めたときよりは、かなり気分がよかった。

 ちらりと窺った、自分とは反対側にいる王女も眠っているようだ。

 壁に背を預け、目を閉じている姿に思わず小さくため息をついたときだった。

 なにか、がしゃり、というような物が壊れるような音と、外がざわめいている気配を感じた。

 微かに聞こえる、人の声。

 何か起こったのか、様子を窺おうと立ち上がり、唯一外界へと繋がる扉に近づくと、それは突如として開いた。

「……っ」

 ばん、という勢いに思わず驚く。

 開けられた扉の前には、背が高い、中年といっても差支えのない顔つきの男がいた。

 さらにその後ろには目の前の男よりも小柄な、こちらも同じ年頃の男がいる。

 突然扉を開けた背の高い男は、自分の顔を見るや、

「来い!」

 ぐいっと腕を掴んできた。

 思わず見上げたその顔は怒りと焦り、そして恐怖に歪んでいた。

 余裕のない様子でぐいぐいと腕を引っ張られ、無意識にその腕を外そうと右手をかけようとしたが、すぐに男の右手に握られた剣に気づいた。

 少しでも抵抗すれば、躊躇うことなく向けられるであろう刃に身が竦む。

 これは自分たちを救いに来た者などではない。

 身なりや立ち振る舞いからして、まず間違いなく自分たちを攫った者たちだ。

 背の高い男は、自分を部屋の外へと連れ出すともう一人の男に指示を出していた。

「お前はそっちを連れて来いっ、早くしろ!」

 そっち、とは何が起きているのか分からないという風に、茫然と床に座り込んでいる王女だ。

 小柄な男が王女を床から腕を掴んで引き立てると、痛い、と王女が声を上げる。

 しかしそれすらも煩わしそうに黙れと怒鳴ると、男たちは自分たちを部屋から連れ出して行く。

 尋常ではない男たちの様子に、彼らにとって不測の事態が起こったであろうことはすぐに理解できた。

 彼らにとって相当不都合な事態――――それは、もしかしたら自分たちにとっては好都合な事態かもしれない。

 微かに聞こえた騒ぎの音は、自分たちを救いに来た者たちによるものだったのかもしれない。

 助かるかもしれない、けれどすんなりとは助からないだろう状況に、鼓動が速まる。

 男たちに引っ張られながら、向かう先は上へと続く階段だった。

 足をもたつかせながら階段を上がっていると、焦れたように背の高い男の左腕で体を抱え上げられた。

「くそっ、どうなってるんだ! こんなにも早くばれるなんてっ」

「なあどうする、どうするんだ! 俺たちどうなる?!」

「五月蠅ぇ! 知るか! どうにかするしかねえだろ!」

「どうにかって、どうすりゃどうにかできるんだよ! あいつらのあの数見ただろう! あれはどう見てもただの騎士じゃない! たぶん近衛だ!」

 焦りの色しかない男たちの会話を聞きながら、やはりと思う。

 王家の助け、それも近衛騎士が王女を救いに来たのだ。

 それも男たちの予想を遥かに超える速さと人数で。

 恐らくは王女の騎士だけではなく、王や王妃の騎士も動いているのではないだろうか。

 王の近衛――――夫も来ているかもしれない。

 そう思うと、自分の身がどうなるか分からない不安が少しだけ和らぐ気がした。

「このまま逃げないか?! 人質さえ居れば後でどうとでもなる!」

「仲間を置いて逃げるのか! それに逃げようにも……っ」

 無理だ、と男が吐き捨てた言葉をすぐに理解することになる。

 自分たちが閉じ込められていたのは、やはり地下の一室だったようだ。

 階段を上がりきると、そこは地下室と同じように薄暗い一室だった。

 しかしここにあった窓から外の様子を窺うことができた。

 外は、ほんのりと薄暗い。

 恐らく時間帯は、明け方だ。

 人の緊張が最も緩む時間を狙ったのだろう。

「とにかく女を絶対に離すな!」

 先頭を切る男が叫びながら、一室に備え付けられた扉を開けた。

 その先は、薄暗い一室とは比べものにならない、開かれた大きな部屋だった。

 いや、すぐに部屋ではなく玄関だと気づく。

 内装や造りからして古い貴族の邸宅で間違いないだろう。

 すでに貴族の手から離れ、使われていなかった邸宅を男たちが勝手に使用していたのだろう。

 広い玄関は古いとはいえ、品のある壁紙や彫刻で彩られていたが、激しく破壊され、汚されていた。

 屋根にもいくつか穴が空いている様子から、もしかしたらあそこから何人か奇襲をかけたのかもしれない。

 間違いなく戦いが行われたであろう玄関は、捕縛された男たちと多数の騎士で埋め尽くされていた。

 

「動くな!」

 

 自分たち以外の仲間が捕縛されている姿に男たちは衝撃を受けたようだったが、すぐに声を張り上げて威嚇した。

 その声に、玄関全体に緊張が走った。

 すべての視線の先には、男に抱きかかえられ、首元に刃を突きつけられた二人の人質の姿がある。

「女を殺されたくなかったら動くな!」

 唾を飛ばして叫ぶ男には冷静さの欠片もない。

 それは僅かに震える剣先からも見て取れる。

 それだけに何を仕出かすか分からない怖さがあった。

 しかしそれに怯むような騎士たちではない。

 顔を強張らせ剣を構える数多の騎士の中から、恐らくはこの場を取り仕切る近衛騎士が前に進み出た。

 その顔には男と違い、何の感情も窺えない。

「今すぐにレイナ姫とエリーザ姫を解放しろ。お前たちの仲間はすべて捕えた。残るはお前たちだけだ。お前たち二人で何ができる?」

「黙れ!」

「もう一度言おう、姫を解放しろ」

 怒鳴るわけではない、淡々と紡がれた言葉には、逆に人を畏怖させる力があった。

 この状況で冷静さを保っていられる姿には、余裕と貫禄が窺える。

 恐らく彼は王か王妃の近衛隊長、もしくはそれに近い位置にある者だろう。

 初老、に近い年でありながら衰えを全く感じさせない肉体と右手に握られた剣に恐怖を感じない者がいるだろうか。

 ましてや周囲に多数いる近衛騎士はじりじりと間合いを詰めてくる。

 それでも自分たちの手にある人質の価値を信じて、男は叫ぶ。

「お前ら分かってんのか! こっちには人質が居るんだぞっ、どうなってもいいのか?! そこを退け! 道を開けろ!」

 殊更に手に持っている刃を誇示すると、背の高い男は前に進み始める。

 冷静さを欠いた行動だと、左腕に抱きかかえられながら思う。

 後ろには地下にしか通じていない一室があったのだから、それを背中から離すのは得策ではない。

 これでは背中から襲ってくれと言わんばかりだ。

 当然のように男が前に進むのと同じくして、騎士らがじりじりと四方を囲み始める。

 退け、と先頭を歩く男は気づく余裕すらないが、後ろの男は違う。

 僅かにだけ首を動かし後ろへと視線をやると、すぐに背中へと回った近衛に気づいて、恐怖に顔を歪めた小柄な男の姿があった。

 彼は慌ただしく仲間である男と騎士らを何度も何度も見比べ―――――落ちた。


「も、もう無理だ、敵うわけがない! 俺は投降する!」

「な……っ」

「人質は返すから命だけは堪えてくれ!」


 先頭の男が振り返るよりも早く剣と王女を投げ出し、両手を上げる。

 すぐに騎士が男を捕縛し、投げ出された王女を救出する。

 鮮やかな手際に思わず感心するほどだ。

 床に投げ出された王女は、震えながらも助けに来た騎士らに「遅いわよ!」と悪態をついていたようだ。

 しかしすぐに外へと連れ出されたのか、彼女の声が遠くなる。

 残るは一人。

「―――――あとはお前一人だぞ」

 己に集中する視線と剣に男は顔を青ざめさせた。

 唯一残っていた仲間の裏切りに言葉にならないようだ。

 こうなればもう時間の問題だ。

 忙しなく周囲を見回す姿に誰もがもうすぐあきらめると思っただろう。

「くそ……」

 なかなか剣を手放す気のない男を囲む近衛の輪が小さくなっていく。

 だが男は往生際が悪かった。

 包囲網に焦り、剣を掴む腕に力が籠ったのか、突きつけられている首筋が僅かに切れたようだ。

 ちりちりと首元が痛む。

 これでは、いつ男の手に力が籠り、落とされてもおかしくはない。

 近衛らもそれがわかっているのだろう。

 ある一定の距離で止まり、男を窺う。

 少しでも男が気を緩めば、すぐにでも騎士らは飛びかかってくるだろう。 

 男にもそれは十分すぎるほどに分かっている。

 瞬きすることなく、血走らせていた目を歪め――――とうとう男が大きく息を吐いた。

 先ほどまでぎりぎりと音がしそうなほど噛み締められていた男の唇から洩れたのは、


「……分かった、俺も投降する」


 降参の言葉だった。

 誰からともなく、張り詰められていた息が漏れる。

 同時に男の左腕から力が抜け、抱きかかえられていた体が先ほどの王女と同じように床に投げ出される。

 床に投げ出され、僅かに体を打ったが悲鳴を上げるほどではない。

 だがすぐには立ち上がることができず、床に蹲ったままほっと詰めていた息を吐き出す。

「人質もちゃんと返す。だから、命だけは奪わないでくれないか」

「………」

「約束してくれれば、すぐにでも剣も捨てる」

 男の身勝手な願いにその場にいた誰もが眉をひそめたが、未だ右手には剣が握られた状態である。

 この状態で退けることは、得策ではない。

 分かった、とこの場を取り仕切る騎士が頷いた。

「本当だな?」

「ああ、約束しよう。だからすぐに剣を捨ててこちらに来い」

 男は疑わしそうに騎士を見つめたが、真っ直ぐに見返す瞳に諦めたのか。

「……分かった」

 渋々と頷き、剣を持つ手を体の横へと下した。

 そのまま剣を床へと落とす、そう誰もが思った。

 だが一瞬ちらり、と床に投げ出された自分を見た目。

 見上げた自分と合わされた目に、知らず知らずのうちに大きく目を見開いた。

 ―――――諦め? 本当に?

 声を上げる暇などなかった。


「―――――なんて言うわけないだろうが! 信じられるか!」


 顔つきを豹変させた男は、下していた剣を再び掲げた。

 道連れだ、という言葉を床に座り込んだままどこか遠くで聞いた。

 己へと振りかざされた刃には朝陽が当たったのか、光となってそれが輝く。

 光には、誰もが間に合わない。

 

「―――――」

 

 見上げることしかできなかった。

 振りかざされた刃を、光を一瞬遮った陰を。

 自分は、すべてを見ていた。

 瞬きすらすることなく。

 降り注ぐ光の中、それよりも鋭く走ったその煌めきを。

 

 声もなく―――――見ていた。


 見惚れてすらいたのかもしれない。

 だからこそ劈くような悲鳴に気づくまで数秒の時間があった。

 あぁぁぁ―――――と上げられた言葉にならない悲鳴は、まさに自分の命を脅かそうとしていた男のものだった。

 ぽたぽたと降り注いだ滴は、赤い。真っ赤、だった。

 見れば、背の高い男は床にうつ伏せに倒れ、捥がれた右腕を抱えていた。

 後から後から溢れる真っ赤な血があっという間に床へ広がっていく。

 視界の端で、男の落とされた右腕がすぐ傍で剣を持ったまま転がっているのが見えた。

 残虐な光景に心が凍りつくよりも、ただただ見上げるしかできなかった。

「………」 

 右手に血に塗れた剣を持ち、己の目の前に立つ―――――夫を。

 見つめる夫の美しい顔には、疲労の色が濃い。

 いつもきっちりと纏められた髪も乱れ、近衛の制服も黒く汚れていた。

 先に他の騎士が開けたであろう屋根の穴から降りてきたのだから、当然かもしれない。

 それも本当に奇跡としか言いようのない、瞬間に。 

 夫が腕を切り捨てた男を捕縛する騎士らの慌ただしい声が響く中。


「エリーザ」


 掠れた、小さな声。

 けれどそれははっきりと、耳に届いた。

 その声に、固まっていた喉がひくりと音を立てた。

 瞬きを忘れていた瞳が、夫を見つめる眼差しが徐々に歪む。

 唇は震えて、音にならなかった。

 だから―――――両腕を伸ばした。

 真っ直ぐに、ただ一人に向けて。


「……っ」

 

 その腕はすぐに囚われ、体は強い腕で囲われた。

 背中に回された腕はいつもとは比べものにならないほど、力強い。

 その腕の中は、今何よりも安心して、嬉しいはずなのに。

 どうしてか体の震えが止まらなくなった。

 顔を胸に埋め、震える手で夫の背を掴む。

 考えないようにしていた恐怖に一気に襲われたようだった。

 その震えが当然伝わったのだろう。

 申し訳ありませんでした、と謝る小さな声が耳朶を震わせた。

 守ると言っておきながら、守れなかった――――と呟く夫の声は罪悪感と己を責める声に満ちていた。

 その声にぎゅっと胸が締め付けられる。

 声が喉に詰まって、すぐには出ない。

 それでもどうにか小さく首を振った。

 ようやく絞り出せた声は、ひどく小さく、やっと相手の耳に届くものだったかもしれない。

 それでも伝えたかった。

「……ずっと、私を守ってくださいました。今も、そして、離れている間も」

 あの言葉があったからこそ、諦めなかった。

 諦めることができなかった。

 死を、選べなかった。

 それはすべて、目の前の人が居たからこそ。


「あなたが、守ってくれました」


 心からの言葉を呟いた。

 自分を囲う腕の持ち主にその言葉は、どうにか届いたのか。

 背中に回された腕が、また少し強くなったようだった。

 だから自分も初めて、躊躇うことなく目の前の人の背中に両腕を回して縋った。


「無事でよかった………エリーザ」


 よかった、ともう一度呟かれた声にもう我慢はできなかった。

 泣いてばかりだと、また言われるかもしれない。

 呆れられるかもしれない。

 それでもぽたぽたと零れる涙は、止まらなかった。



    

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