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公爵と王女  作者: くま
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邂逅

 ―――美しきエルバータ、白亜の城。

 かつて歴史と繁栄の証、イーデン国の誇りと謳われたエルバータ城は今や廃墟と化した。

 城内には活気にあふれた人の声どころか、嘆きの声すら聞こえない。

 あるのはカツカツと床を叩く軍靴の音と、別の国の言葉。

「陛下、この先でございます」

 此度の戦では先陣を切り、エルバータ城に入城した将軍が恭しく先導する相手は、ただ一人の主たるフェイアン国国王だ。

 齢四十を超えた王の足取りに乱れはなく、つい先ほどは見事な剣技を披露してみせた。

 ためらうことなくイーデン王を下した姿に誰もが忠義心を深めた。

 そのうちの一人である、フレイヴィアスは重い気を引きずりながら、先を行く主、同じく近衛騎士を拝命している同僚の背中を最後尾から眺めた。

「この扉の先です」

 彼らの王、将軍、王の護衛たる近衛が向かう先は、ただ一つ。

 落城したエルバータ城の中で唯一、落とされなかった場所。

 死を目前にしたイーデン王の口から語られたその場所は、道を知る者にしかたどりつけない場所であり、イーデン王が何よりも隠したかったものが収められた場所だ。

 将軍が扉を開ける際に王は、下がり、代わりに未だ手柄を立てていない近衛が野心を持って前へと進み出る。

 すでにイーデン国の王太子の首を跳ねたことにより誰よりも手柄を立てたフレイヴィアスは、相変わらず最後尾にいた。

 ギイ、と黒色の重厚な木扉がゆっくりと音を立てて開き、室内の様子が露になる。 

「……っ」

 そば近く、誰かが息を呑んだ音を聞きながら、フレイヴィアスじっと室内の一点を見つめた。

 室内は、少し薄暗かった。

 凡そ貴人の部屋とは思えぬほど室内は狭く、中に置いてある物は中央に寝台が一つきりしかなかった。

 後宮に住まう身分低い妾ですらもっとまともな部屋を持っているだろう。

 それほどこの部屋異様だった。

 そして何よりも部屋の中央にある寝台の淵には腰掛ける一人の女の姿があった。

 女を警戒する以前に誰もが彼女に見惚れた。

 薄暗い中はっきりと浮かび上がる波打つ黄金の髪、大きな緑色の瞳、白いドレスから僅かに覗く肌は白く透き通るようだ。

 未だ少女といってもいい年でありながら傾国と謳われてもおかしくない美しさだった。

 一同が立ちすくむ中、進み出たのは下がっていたフェイアン王だった。


「ああ、間違いない……エリーザ姫だ」

 

 フェイアン王の言葉にその場にいた者ははっと我に返った。

 そして慌てて王の後に続いて室内へと足を踏み入れる。

 エリーザと呼ばれた王女は微かに目を伏せ、頷いた。

「……お久しぶりでございます、陛下」

 王女の美しい容貌に似合いの軽やかな声音。

 しかし、寝台に腰掛けたまま口を開いた姿にフェイアンの者たちは眉をひそめた。

 ―――痴れ者が、己の立場も分からぬとは。

 誰かがぼそりと呟いたが、それを咎める者はいなかった。

 平素であれば一国の王女にこんな口を聞けばただでは済まないが、既に王女の国は彼らの国に滅ぼされたも同然。

 王女という身分など、ないに等しかった。

「―――エリーザ、私がここに居る理由がわかるかな」 

 フェイアン王自身は、王女の態度を気にする風もなく、静かに問いかけた。

 王女はその問いにやはり目を伏せたまま、頷いた。

「我が国が、貴国に負けたのでしょう」

「そうだ。イーデンの領土はすでに我がフェイアンの手に落ち、最後の砦であったこのエルバータ城もつい先ほど落ちた。王太子であったそなたの兄をはじめ、従兄弟らも皆処刑したばかりだ―――もちろん王であったそなたの父も」

 王の言葉に王女の肩が微かに震えた。

 たがそれだけだった。

 王女はこの部屋に入ったときから、ほとんど身動きしない。

 不自然なほどに。

 それに気付いた者がこの場に何人いるか、フレイヴィアスは黙したまま哀れな敗国の王女を見つめた。

「エリーザ。死に目にあえなかった哀れなそなたにイーデン最後の王の言葉を伝えよう」

 フェイアン王は、目を伏せたまま上げようとしない王女に笑みを向けた。

 柔らかでありながら、残酷さを秘めた笑みを。


「―――どうか王女の命だけは奪わないで欲しい」


 一国の王が、己の国を滅ぼす王に泣いて縋ってまで願ったこと。

 それ以外は望まない、と息子である王太子の遺体など目に入っていない様子で娘の助命を請う姿は異様ですらあった。

 己で王太子を手にかけておきながらフレイヴィアスは彼を哀れに思ったほどだ。

 王女は、王の言葉に伏せていた目をぎゅっと閉じ、両の手のひらを握り合わせた。

 命を落とした父王の冥福を祈るためなのか、それともこれからの己の処遇を憂いているだけなのか。

 その姿は弱弱しく、儚げだった。

 手柄のために王女の首を奪う気でいた者ですらためらいを覚える。

 だが王はその姿に惑うことはなく、嗤うのみ。

「イーデン王はよほどそなたを愛していたと見える。息子などよりも娘であるそなたを―――――いや、娘ではなく女としてか」

 暗に親子の関係を揶揄する王の言葉に王女は相変わらず動かない。

 両の手のひらを握ったまま目を閉じるだけ。

「否定もせぬとは………何ともつまらないことだ」

 王は呆れたように呟いた後、おもむろに足を踏み出した。

 突然の行動に誰もが対応に遅れた。

 王は一人悠然と寝台に腰かける王女へと歩み寄ると、その左腕を掴み上げた。

「陛下?!」

 将軍らが声を上げる中、抵抗する間もなく王女の体は寝台から浮き、直近の床へと叩きつけられた。

 肉が床とぶつかる音がして華奢な体が倒れ、ふわりと白いドレスが広がる。

 しどけなく乱れたドレスの裾からは真っ白な脚が現れた。

 誰もが息をのんで肌の美しさに見入り、しかし次いでほっそりとした足首に巻かれた銀の鎖に目を剥いた。

 やはりな――と呟き王は顔を歪めた。

「愛など度が過ぎると醜悪でしかないものだな」

 誰が想像できるだろうか、一国の王女が囚人のように鎖に繋がれているなど。

 そして王女を繋ぐことができる人物は、ただ一人――――彼女の父王しかいない。

 同時に聡い者は気付くのだ。

 彼女が寝台から身動きしなかった理由が、これの存在のためであると。

 王に不敬を働いてまで隠したかったもの。

 もしかしたら王女は、最初の王に対する態度を不敬として処刑されることすら望んでいたのかもしれない。

 なぜそうまでして隠したかったのか。

 フレイヴィアスは一人考えを巡らせた。

 見つめる王女は屈辱のためか、羞恥のためか唇を噛みながらものろのろと体を起こした。

 か弱い姿にも揺らがず王は王女を見下ろした。

「エリーザよ、なぜこの鎖を隠した」

「………くだらない理由です。陛下にお聞かせする価値もありません」

「構わぬ、言え」

 首を振るも追及の手を緩めない王に王女は諦めたように微かに首を振った後、床に座り込んだまま顔を上げた。  

 白い面には何の感情も見えなかったが、ただ伏せられたままだった緑の瞳だけが強い光を宿していた。

 しっかりと王を見据えながら、


「己の王女としての誇りのためです」


 揺るぎない口調で言い切った。

 鎖に繋がれた醜悪な姿、それを晒すぐらいならば不敬として敵国の手にかかるほうがよいと。

 自害を禁忌とするイーデン国最後の王女は、言い切ったのだ。

 フェイアンの者たちはこれほど美しい者を他に見たことがなかった。

 そして同時に惜しいと思った。

 滅んだ国の王女ではなくなぜ自国に生まれなかったのかと。

 誇り高い姿に初めて王は心からの笑みを浮かべて頷いた。

「見事だ、それでこそイーデン最後の王女」

 満足げに呟いた後、王は一度目を閉じた。

 そして一転次に目を開けて告げた言葉は、


「――――それでは、そろそろそなたの処分を言い渡そうか」

 

 ひやりとしたものを纏っていた。

 王の言葉にフレイヴィアス以外の者は息を呑んだ。

 処分、それによっては己の立てる手柄が増える。

 皆が固唾をのんで見守る中、王は淡々と言葉を続けた。

「イーデン王は、そなたの助命を請うたが、滅ぶ国の王の言葉を聞き入れる義務などない。私は、民を虐げる王族、貴族に生きる価値などないと思っている」

「………」

「それゆえ、王を諌めることすらしなかった王女など救う気などなかったが――――己の処遇を理由に命乞いをしなかったそなたを見て気が変わった」

 王は微笑した。


「処刑は行わぬ」 


 誇り高い王女の姿が王の心を動かしたのだ。

 王の宣言をフェイアンの者たちは残念に思った。

 これで手柄を立てる機会を失った。

 だが王の次の言葉に色めき立つ。


「だが、処刑の代わりに降嫁させることにする」


 既に滅んだ国の王女の身分など何の価値もない。

 しかし後々の火種にならないよう降嫁させて王女の身分を奪うのだ。

 美貌の王女を妻とすることができるかもしれない――そのことを期待してフレイヴィアス以外の者は唾を飲み込んだ。

「異論は許さぬぞ」

 敗戦国の王女に反論など端から許されない。

 王女は顔をうつむかせ、頷いた。

 フェイアンの者もまた王に恭順の意を表した。

 王は腕を組み、王女に問う。

「降嫁先だが、望む相手はあるか」

 王女はうつむいたまま首を振った。

「ございません……」

 そう言ったあと、ですが、と口の中で呟いた。

「申せ」 

「では……許されるならば、未だ奥を持たぬ方を望みます」

 未婚者を望む王女の言葉は思いも寄らなかったらしく王は瞬いた。

「それはなぜだ」

「………私の存在は、迎えるてくださる相手の方に多大なご迷惑をおかけするでしょう。未婚の方のほうが既婚の方よりもそれが少しでも少ないのではと。浅知恵ではございますが」

 確かに既婚者よりは未婚の者のほうが何かと都合がよいだろう。

 イーデンもフェイアンも妻を多数持つことは認められているが、正妻と妾とでは立場にかなり差がある。

 王女を迎えれば必然的に王女が先に迎えた妻を押し退けて正妻の座に座ることになる。

 夫は美貌の王女を喜んで迎えるかもしれないが、妻は陰で泣くことになるだろう。

 なるほど、と王は頷き思案した。

 今のところ王女の望みを退ける理由はない。

「分かった。では未婚の者を選ぶとしよう」

 王の言葉に既婚者であるフェイアンの者はあからさまに失望したようだった。

 反対に未婚者は期待の眼差しを王へと注ぐ。

 未婚者の一人であるフレイヴィアスは嫌な予感がしていた。

 フレイヴィアスには他の者のように王女を望む気はさらさらない。

 最後尾、王の視界に入るような位置ではないが。

 だが、嫌な予感とはなかなか外れないもので、


「フレイヴィアス」


 王は微笑を浮かべて振り返った。

 同時にフェイアンの者が動いて王とフレイヴィアスを遮る者がなくなる。

「……はい」

 心臓は嫌な音を立てていたが、声に変わりはなかった。

「未だ独り身であったな」

「……はい」

「そして此度の戦では民に紛れた王太子を見つけ出して処刑した功労者でもある」

 続く言葉は阿呆でも予想がつく。

 背中を汗が伝う。


「褒美を取らせる―――王女を妻に迎えよ」


 その言葉をどこか遠いところで聞いた。

 だが長年の習慣で自然と身体が動き、膝をついて頭を垂れていた。


「有り難き幸せ」


 意思とは関係なく動いた唇に王は満足げに頷いた。

 垂れた頭に向けられるのは周囲からの多大な嫉妬だった。

 代われるならばフレイヴィアスとて代わりたい。

 だがそんなことが許されるはずがない。

 恐る恐る顔を上げたフレイヴィアスの目に飛び込んできたのは床に座り込んだままの王女。


「エリーザ、これがお前の夫となる男だ」


 王の言葉に王女の緑の瞳がフレイヴィアスへと向けられる。

 まっすぐで居心地が悪くなるほど汚れないその瞳と初めて目が合う。



 ―――これがフレイヴィアス21歳、エリーザ16歳の出会いだった。


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