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不可逆的な進化を遂げる人間は最後に何を見るのか

作者: 暮葉畏啓
掲載日:2026/10/08

いま流行りのAI。

その実態とはなんだろうか。


そんな時、私はAIに対して、その正体を知るために農耕という過去の人間の営みを引き合いに出す。


農耕文化。それは作物を育て、そして消費し、効率化を求めて、農地を拡大し、水を多く利用し、虫に食べられないようにカカシを置いた。


AI。情報を大量に与えて育て、そしてAIを利用し、効率化を求めて、費用を拡大し、規模を拡大している。


そこに私は等しい像を見ている。


そして、もう一つ。AIを神のように扱う社会について。実際、人間はこれに関しては否定をする。しかし、誰かに問われたときに否定をしたとしても、一人でAIと触れ合っているときに本心では肯定をしていたのであれば、それは同じだ。そう、最近AIを神のように扱う人間が増えてきているのではないのか?

そういう、ある現象への誇張した問いだ。


そして、この現象の発生原因は先ほどの農耕文化でも説明できるように思う。


農耕文化と深く結びつく神。そう、農業の神、水の神、火の神。民俗学を少し噛めばわかるだろうが、古代日本の祭りのそのほとんどが農耕と関係している。それは世界でも同じことだ。



農耕文化の世界で、当時の人間達は収穫量の拡大や効率化を目指した。しかし、降雨や災害、虫の害などの自然の営みを人間がコントロールすることはできない。だからそこに神を置いた。人間の認知や行動の外側にある解析不能なものを神とし、

その神を崇めることで半ばコントロールできるように考えた、いやもっと優しく言えば仲良くなろうとしたわけである。


と、農耕文化と神との関係をそうとらえてみる。


そうすると、AIについてはどのように言えるだろうか。


AIもまた、その中身は人間が人工的に作った存在ではあるが、今現在、AIがどのような論理で動いているかをその都度詳しく理解しているものはいない。AIは我々の道具として統制下にあるように思えるが、それは農作物が今や我々の支配下にあると勘違いすることと同じように、愚かな間違いであろう。


AIは単純な処理や問題解決能力全般において、今やただの人間よりも圧倒的に有能な存在だ。

これは事実であろう。


であるからこそ、人間はAIをいつからか農耕文化における雨や地震、虫のような存在と同一視するようになると考えることもできる。つまり、AIは利用者が教育するものではなく、利用者を指南するものになっている背景が農耕文化における神の登場の物語の最初とよく似ているという話だ。


だから、AIを神のように思う人間が現れた。


それは非常に自然な発現だろう。







[後編]

そして、ここからは題名の問いを考えていこうと思う。


まず進化についてだ。

私たちは多くの場合、「効率化」「最適化」「便利」といったものを技術探求の中で上位の目標に置きがちである。技術革新こそが価値のある行為であって、技術を衰退させるのは価値の伴わない行為である、と。


それは我々人間が農耕文化を知った時からすでに「土地の拡大」「収穫量の増加」を求めるようになるという、

狩猟文化のような一定の暮らしと対照的な文化の始まりと同時に立ち昇っていた考え方だとは思う。


そんな考え方で汚染された社会で教育を受けた子ども達が何の悪びれもなく「技術革新」を正しいと考えるのも無理はない。



しかし、ここで一つ、面白い例を出してみようと思う。


航空機の話だ。


三百人乗れる航空機から五百人乗れる航空機へと技術革新で可能になった。これは正しい行動であり、価値のある行いだと思われるだろう。


航空会社も利益は得られるだろう。しかし、三百人だった時と比べて、より大勢の人数を乗せる必要が生まれてくる。いわゆる、大容量になったのだから隅々まで使わないと逆に損をしている気分になるという思いからだろう。


すると、航空会社に単純な利益とは別に負荷がかかる。そして、大勢の人間が海外渡航をするようになれば、空港も巨大化し、ルールも整備しなくてはならなくなる。また、文化の流入への管理も必要不可欠になってくる。


ここで考えるべきは、その航空機を設計した人間が最初からのちの副作用なる影響を全て理解していたのか、という点である。




つまり、言いたい極論は、「技術革新という進化に取り組む人間は先を見ていない。」という話だ。


宇宙開発という技術革新の市場において重要なものがある。

宇宙は遠く、酸素もなく、生命もない。そこを開発することの大変さは非常に重たいものだ。しかし、資本主義の社会では何かを目標に据えなければいけないのだろう。成長する指針、技術革新の目標を設定する必要があり、そうして宇宙開発を目標にしてしまう。宇宙開発をして、何ができるというのだろう。


資源の効率化?移住先の提案?


それらはそもそも過去に技術を効率化させた結果、人口が増えてしまい、供給が必要なエネルギー自体が増えてしまったことへの後からの対策であって、

根本的な解決にはなっていない。もっと言えば、宇宙開発によってさらに負担が生まれる。

まあ、その生まれた負担を解消するという目標が次はつくられ、それのためにまた技術革新が生まれるのだが。




ここまでいけば、皆、「進化」という行いに怯えるようになるだろう。

進化がもたらすその大きすぎる影響というのは過去の人間が全て予見できるものではない。そもそも起こさせないことが重要なのだと思い、それは非核三原則の根本理念でも構造として似たものが見えるように思う。




そして、愚かな人間はこの状態を問題と考え、また何か変えようと思索するだろう。詰まるところ、技術革新でもなんでも、何らかの進化をして、進化によって生まれた現在を打破しようと考えるのだ。

これも同じことだ。その新たに起こす進化の影響を考えていない。なんて愚かな行為か。


また、具体的な案として進化に逆行するというのも考えるであろう。


よく知らない人間はAIを使わないような社会にすればいいのではないか、宇宙開発はやめればいいのではないかと考えるだろう。

しかし、それは人間の意思によって簡単に変えられるものではない。


今更、農耕文化を捨てることができるだろうか。できない。


では今、更言語を捨てることができるだろうか。いや、できない。


では今、更火を捨てることができるだろうか。いや、できない。


退化など人間が自分の意思から簡単にできるものではない。


とはいえ、そもそもこの対価自体も何かの解決のために行った行為であるため、それは進化ではないのだろうか、と思ったりもする。


つまるところ、人間が進化に逆行することなど完全に無理であるのではないだろうか。



そういう点から進化とは結果的に不可逆的であると考えることができるように思う。


そして、そんな進化をこれからも人間は何も知らずに続けていく。


そのさきに何が待っているのだろうか。


何かが待っていてもそれを終着点と認めないまま進化を推進していきそうだ。


原爆が生まれたとき、それの影響によって地球上の全てが核分裂してしまわないかという疑念があったが、実際には大丈夫だった。しかし、進化につきまとう疑念の結果がいつもそうなっているわけではない。


進化の結果、人間の理解を超えた何かが起きてしまう可能性を誰も否定することなどできない。


だって、我々は目隠しをしたまま未来を走っているのだから。



何とは言わない。


けれど最後はあるのだろう。


その最後とは、進化の当事者である人間自体が消滅する瞬間なのではないだろうか、と私は思いながら窓に映る朧げな月を眺めている。

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