第52話:関宿の刺客と、密着!狭すぎる相部屋
本作は、現代の経営理論で歴史を動かすビジネス思考実験フィクションです。
四日市・日永追分を抜け、三重県最後の宿場町――「関宿」へ足を踏み入れた越前屋一行。
関宿は、江戸時代の町家建築が200軒以上も連続して立ち並ぶ、東海道屈指の美しさを誇る宿場町である。
「わあぁ……ッ! 建物が整然と並んでいて、すごく綺麗な街並みですね!」
お春が感嘆の声をあげる。
貞次郎も大福帳を開き、「ふむ……建物の規格(間口や高さ)が綺麗に統一され、街道沿いの視認性と集客動線が完璧に設計されている。
見事な都市空間だな」と深く頷いた。
そこへ、香ばしい匂いとカラフルなお餅を並べた茶屋が目に飛び込んできた。
「若旦那! お休み処の研究です!」
お春が目を輝かせ、関宿名物の和菓子「志ら玉」の店へなだれ込む。
白玉餅の中に上品なあんこが包まれ、表面には赤・黄・緑の鮮やかな彩りが施された逸品である。
「んん〜っ! もっちもちで可愛い〜っ! 若旦那、このカラフルなお餅、うちのお店のお休み処で出したら、江戸の女の子たちが大喜びしますよ!」
貞次郎も志ら玉を一口食し、目を丸くした。
「む……確かに『見た目の鮮やかさ(映え・デザイン性)』と一口サイズの食べやすさは、ついで買いの購買意欲を強く刺激する。実に素晴らしい商品開発の素材だな」
お春の「研究」という名の食欲が、貞次郎の店舗デザイン構想と見事に合致し、一行の雰囲気は最高潮に達していた。
――だが。
夕刻、鈴鹿峠越えに備えて宿を取ろうとした途端、異様な事態が発生した。
「あいよ……? 越前屋……? ああ、生憎だがうちは満室だ。他へ行ってくれ」
「うちも一杯だ! 部屋なんて空いてねえよ!」
一番大きな大旅籠から、小さなハタゴ屋に至るまで、どの宿に行っても冷たく追い返されるのだ。
お春が首をかしげる。
「おかしいですね……。まだ早い時間なのに、どの宿屋さんも『満室』だなんて……」
貞次郎は冷静に街道の様子を観察し、眼鏡の奥の目を光らせた。
「いや、お春。部屋は空いている。……我々が桑名や伊勢で起こしたイノベーションを察知した【京都・大坂の呉服株仲間】が、先回りしてこの関宿に『越前屋を泊めるな』というボイコットの密命(回状)を回したのだな」
「ええっ!? 上方のお店からの嫌がらせですか!?」
「ああ。西国への進出を恐れ、峠の手前で我々の足止めを狙った『参入障壁(兵糧攻め)』だ」
正攻法では、今夜の宿はどこも取れない。
外は急速に日が落ち、鈴鹿峠から吹き下ろす冷たい秋風が肌を刺し始めていた。
その時――お艶がくすりと妖艶に笑った。
「ふふ……まったく、上方の狸どもも野暮なマネをするねぇ。貞さん、ちょっと私に任せてごらん」
お艶は、街道の隅にある中型の旅籠の裏手へと回った。
そこでは、旅籠の下働き(若い男衆)が薪を割り、雑用をこなしていた。
お艶はしなやかな足取りで近づくと、男衆の目の前でふわりと着物の袖を揺らし、甘い香木の香りを漂わせた。
「ねえ……お兄さん。ちょっと困っちゃってねぇ……」
「へ……!? あ、あの……綺麗な姐さん、何か……?」
男衆は一瞬で顔を真っ赤にし、鼻の下を伸ばした。
お艶はお兄さんの手元に、そっと金一両の包みを忍ばせ、耳元で甘い吐息を吹きかけた。
「表の支配人さんには内緒でいいの。物置でも何でもいいから、寒さを凌げる狭い部屋を貸してくれないかしら……? この通り、お願い……」
上目遣いで見つめられ、手のひらに重たい金の感触。
男衆の理性は一瞬で崩壊した。
「が、頑固な親方には絶対に内緒ですよッ! 裏の『女中部屋(兼・物置小屋)』で良ければ、今夜だけこっそり使ってくださいッ!」
お艶の色香と袖の下(現金)の完璧な手腕により、一行は奇跡的に雨風を凌ぐ部屋を確保したのだった!
しかし――通された部屋に入った瞬間、三人は言葉を失った。
「うわぁ……! すっごく狭いです……!」
そこは本来、物置や女中の荷物置き場として使われている小さな小部屋であった。
畳にして、わずか三畳足らず。使い古された薄い布団が、二枚分ギリギリ敷けるかどうかという超・狭小空間である。
「支配人にバレないよう、行灯の火は消しておいてくださいね!」と男衆に言われ、部屋は真っ暗闇に。
冷え込む秋の夜。寒さを凌ぎ、女中の目を避けるためには……三人で一枚半の布団にぎゅうぎゅう詰めで雑魚寝するしかなかった。
「(きゃ〜〜っ……!!)」
お春の顔が、暗闇の中で爆発しそうなほど赤くなった。
右側からは、貞次郎の肩と腕がぴったりと密着しているのだ。
「わ、若旦那……! お、肩が当たってます……ッ! わ、私……緊張して息ができません……ッ!」
お春の心臓がトコトコと早鐘を打つ。
「む、むう……すまんお春。だが、移動すれば壁にぶつかってしまうのだ……」
貞次郎も呼吸を乱し、冷汗を流していた。
そこへ――ッ。
左側から、しなやかで温かい体が、貞次郎の腕にぴったりと抱きついてきた。
「ふふ……寒いねぇ、貞さん。狭い部屋も、案外悪くないじゃないか……」
お艶である。甘い香りと柔らかな体温が、貞次郎の左半身を包み込む。
右にお春のピュアで甘酸っぱい吐息。
左にお艶の大人の色気と妖艶な体温。
「(大パニック)む……! むうううっ……!! 集中しろ三井貞治! 人身密度と体温の上昇率による副交感神経への影響を計算するのだ……! 」
「もう! お艶さんズルいです! 私だって若旦那に……っ!」と、お春まで貞次郎の右腕にしがみついてきた!
上方ギルドの嫌がらせによって追い込まれたはずの女中部屋は、図らずも密着度200%の「極上の修羅場ラブコメ空間」へと変貌していた。
(か、計算が……すべての数理ロジックが弾き出せん……ッ!)
貞次郎が生まれて初めて「計算不能」の絶体絶命に陥り、悶々とした眠れぬ夜を過ごす中、鈴鹿峠の夜は静かに更けていくのだった。
(第53話へ続く)
歴史考証:関宿の町並みと「志ら玉」の史実
作中に登場した歴史的な宿場町と名物について解説します。
往時の姿を現代に残す「関宿」の史実:
三重県亀山市に位置する関宿は、東海道五十三次の47番目の宿場町です。古代の「鈴鹿の関」が置かれた重要拠点で、現在も江戸時代から明治時代にかけて建てられた伝統的な町家が200軒以上も残り、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。参勤交代の大名行列や伊勢参りの参拝客でごった返す、東海道屈指の賑やかな宿場町でした。
関宿名物「志ら玉」の史実:
作中でお春が食べた「志ら玉」は、関宿を代表する銘菓です。上質の米粉で作った白玉餅の中に粒あんを包み、赤・黄・緑の三色の彩りを施した、見た目も可愛らしく上品な和菓子です。何日も歩いて鈴鹿峠を越える旅人たちにとって、この美しい志ら玉とお茶は、最高の癒やしとエネルギー補給となっていました。




