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『過労死百貨店マンの江戸商売無双 ~「お客様第一」の精神とドラッカーマネジメントで、天下の市場を買い占める~』  作者: 桐生宇優
第二章:激動の多店舗展開編

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第32話:敵を味方に変える『暖簾分け(フランチャイズ)』

本作は、現代の経営理論で歴史を動かすビジネス思考実験フィクションです。

ギルドが放ったゴロツキたちの恐喝の証拠(生々しい指図書)が北町奉行所に突きつけられたことで、江戸の呉服屋ギルドの悪徳幹部たちは一斉に検挙された。


古い利権にしがみつき、市場を独占しようとした黒幕たちの失脚により、ギルド(株仲間)は事実上の機能停止に陥ったのである。


しかし、黒幕たちが去ったあとに残されたのは、時代の変化(正札・即金販売)についていけず、客をすべて越前屋に奪われて明日の米にも困っている、中小の真面目な老舗や個人経営の呉服屋たちであった。


彼らは日本橋の越前屋の帳場に集まり、貞次郎を恨む気力すらなく、廃業を覚悟して項垂れていた。


「越前屋の若旦那……あっしの負けだ。もう店を畳むしかねえ。だが、うちにいる若い丁稚や職人たちには罪はねえんだ。どうか、あいつらだけでもお前の店で雇ってはくれねえか……」


涙を流す初老の店主――大国屋だいこくやの利兵衛の前に、貞次郎はすっと歩み寄り、その大福帳の上に一枚の新たな「仕法書」を広げた。


「利兵衛さん、皆さん、店を潰す必要はありません。我が越前屋は、皆さんの店を敵として叩き潰す気など毛頭ない。……それどころか、皆さんの店を我が越前屋の仲間として迎え入れたいのです。江戸の言葉で言えば、新時代の【暖簾分け】。現代の言葉で言えば、フランチャイズ(加盟店制度)の提案です」


「暖簾分け……? 加盟店だと?」呉服屋たちは一斉に顔を上げた。


「ですが若旦那、お前さんの店は神田と浅草に直営の大きな店(モデル店舗)を出すんだろ? お互いに客を奪い合って共倒れになっちまう」


利兵衛の懸念に対し、貞次郎は不敵に微笑んで首を振った。


「その通り。だからこそ、皆さんは自分の店がある場所で戦うのです。江戸で最も人口が密集している商業の要衝『芝口』や『本郷』といった大衆市場マス・マーケットを、皆さんの店舗網で一気に押さえます。直営店と加盟店のバッティング(競合)は出来るだけ避ける。これがチェーンストアの立地戦略です」


さらに、貞次郎はうつむく店主たちの肩に優しく手を置いた。


「そして、長年守ってきた皆さんの大切な店の名前(暖簾)を消すような無粋な真似はいたしません。皆さんの店の看板はそのままに、その横に我が社の仕組みを導入している証を掲げていただくのです。


――名付けて、【◯◯屋 越前屋仕法しほう仕込み店】。大国屋さんの店なら『大国屋 越前屋仕法仕込み店』です」


店主たちの目に、じわっと熱い光が宿った。


自分の店の歴史とプライドを守りながら、越前屋の看板の力(プロデュース効果)を得られる。


これほどオーナーの心に寄り添った提案はなかった。


貞次郎が提示したその中身は、現代でよくある本部が加盟店を都合よく使い潰し、利益を一方的に吸い上げるような偏った契約では決してなかった。


オーナーと地域が、本部と共に活性化するための「三方良し」の完全なる共存共栄モデルであった。


「現在、我が越前屋は神田店と浅草店の直営オープンに向けて動いています。まずはこの2つのモデル店舗で、お艶が育てる町娘スタッフの接客作法を学び、私が作った仕法書マニュアルの教育期間を経て、仕組みを完璧に身につけていただきます。準備が整った段階で、一斉に『越前屋仕法仕込み店』として再始動していただくのです」


貞次郎は、その圧倒的なメリットを一つずつ指折り数えた。


「メリットは三つあります。第一に【仕入れの共有】。大坂の善ちゃんが構築した大規模なサプライチェーンから、安くて最高品質の綿布を、我が本店と『まったく同じ最安値の原価』で皆さんに卸します。第二に【仕組みの共有】。お艶が育てる一流の町娘スタッフを各店へ派遣・配置し、売場を華やかに盛り上げます。そして第三に【適正な分配】。売上の大半は、そのまま皆さんの店の利益にしてください。越前屋が受け取るのは、仕組みの維持と看板代としての、ほんの僅かな歩合(良心的なロイヤリティ)のみです」


店主たちは、驚愕のあまり言葉を失った。これまでの株仲間ギルドのような重い上納金とは違い、自分たちの独立性を守りながら、越前屋の「最強の武器」を丸ごと分けてもらえるというのだ。


「皆さんの店が潰れれば、そこで働く丁稚や職人、その家族が路頭に迷う。それは江戸の、そして幕府の大きな損失です。皆さんが長年培ってきた『地域に深く根ざした店舗(立地)』と、我が越前屋の『圧倒的な仕入れと仕組み』が合わされば、皆さんの店は息を吹き返し、その町全体がまた活気を取り戻すのです。奪い合うのではなく、共に江戸の市場を広げましょう!」


敵だと思っていた貞次郎の、あまりにも深く温かい、そして合理的かつ誠実な救済のロジック。


「若旦那……ありがてえ、ありがてえ……っ!」


真面目な呉服屋たちは涙を流して貞次郎の手を握りしめ、次々と「越前屋仕法仕込み店」への加盟を誓ったのだった。


それから数ヶ月後。

神田店と浅草店の華々しい直営オープンと、それに合わせた加盟店店主たちの教育期間(研修期間)の終了と同時に、驚くべき光景が江戸中に広がる事になる。


ゼロから新店を建てる手間なく、芝口や本郷といった人口密集地の既存の呉服屋が、次々と「越前屋仕法仕込み店」の洗練された看板へと掛け替えられていくのだ。これにより、地域間バッティングを完璧に排除した恐るべき速度での「多店舗チェーン展開(ドミナント展開)」がスタートする。


失業者を出さず、むしろ倒れかけた中小企業を救い、江戸の雇用と街の活気を劇的に守り抜いたこの実績は、北町奉行・根岸肥前守を通じて、ついに幕府の最高中枢へと報告された。


報告書を読み終えた、寛政の改革の総責任者にして最高権力者――老中・松平定信は、江戸城の奥座敷で静かに目を細めた。


「……越前屋貞次郎。ただ安売りで世間を騒がせる商人かと思えば、店舗間の争いを防ぎ、失業の民を救い、街の経済の仕組みそのものを組み替えてみせたか。根岸、これほどの仕法を行う男、もはや一商人の枠には収まらん。……いよいよ、この定信が直接、会って話を聞く時が来たようだな」


最高のカタルシスと共に、いよいよ最高権力者・松平定信との歴史的対面が、現実のカウントダウンを刻み始めようとしていた。


(第33話へ続く)



第32話あとがき:三井貞治のビジネス指南と歴

1. ビジネス指南:店舗間競合カニバリゼーションの回避と、オーナーのプライドを守るブランド戦略

今回、貞次郎が実践した戦略には、現代の多店舗チェーン展開における極めて重要な2つの鉄則が含まれています。

第一に、「カニバリゼーション(店舗間競合・バッティング)の徹底的な回避」です。直営店の近くに無計画に加盟店を出店すれば、お互いに市場(顧客)を食い合って売上が低迷します。貞次郎は直営(神田・浅草)と加盟(芝口・本郷)のエリアを明確に分けることで、効率よく江戸全体のシェアを拡大しました。

第二に、「加盟店オーナーのモチベーションとプライドの保護」です。現代の優れたフランチャイズやM&A(企業買収・提携)でも、本部のブランドを強引に押し付けて元の名前を消し去ると、現場の反発を招き、サービスの質が低下します。

貞次郎が考案した「◯◯屋 越前屋仕法仕込み店(現代でいう『◯◯呉服 越前屋プロデュース店』)」という表現は、オーナーが先祖代々守ってきた暖簾へのプライド(承認欲求)を完璧に満たしつつ、越前屋の「圧倒的な仕入れ値」と「お艶の町娘スタッフ派遣(仕組み)」という実務的メリットを享受させる、極めて洗練されたサステナブル(持続可能)な共同経営戦略なのです。

2. 歴史考証:江戸時代の「仕法しほう」という言葉の重み

貞次郎が店名に組み込んだ「仕法しほう」という江戸時代の言葉の歴史的背景について解説します。

江戸時代中期から後期にかけて、「仕法」という言葉は、単なるやり方という意味を超えて、「破綻しかけた財政や組織を立て直すための、極めて緻密で厳格な経営再建計画・ビジネスモデル」を指す言葉として使われていました(のちの二宮尊徳による『報徳仕法』などが有名です)。

当時の商人や武士にとって、「◯◯の仕法を導入する」というのは、現代でいえば「一流のコンサルティングファームの最新経営システムを導入する」というほどの、絶大な信頼感と格調高さを持つ響きでした。そのため、既存の呉服屋が「越前屋仕法仕込み店」と名乗ることは、周囲の庶民に対しても「あの革新的で安くて素晴らしい越前屋のシステムで営業している、最先端の安心な店だ」という、これ以上ない強力なブランド証明(プロデュース効果)になったのです。


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