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『過労死百貨店マンの江戸商売無双 ~「お客様第一」の精神とドラッカーマネジメントで、天下の市場を買い占める~』  作者: 桐生宇優
『第一章:垂直統合(SPA)の夜明け』

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第23話:日本橋パニックと、吉原を統べる男の美学

【読者の皆様へ:本作を読む前のビジネス・ガイド】本作は、現代の百貨店マンが江戸時代の呉服屋に転生し、未来の経営理論を駆使して成り上がる「ビジネス思考実験フィクション」です。

物語に登場する江戸の商習慣、歴史的背景、および主人公が巻き起こすイノベーション(正札販売など)の時期や変遷は、「もし、あの経営理論をこの時代に持ち込んだらどうなるか?」を分かりやすく解説するための創作フィクションであり、実際の史実とは異なる展開が含まれます。

朝六ツ(午前6時)、初夏の柔らかい朝光が東の空を染めると同時に、日本橋の越前屋の店口みせぐちは、すでに身動きが取れないほどの群衆で埋め尽くされていた。


「さあさあ、明けたよ明けたよ! 本日は吉原大門おおもん前の大箱が開く日だ! 三浦屋のお艶か、大文字屋の高尾か、角海老の薄雲か! 江戸一番の花魁を決めるのは、お前さんの一票だ!」


チリンチリンと小気味よい鈴の音を響かせながら、【読達(よみうり・瓦版屋)】たちが息を切らせて日本橋の通りを駆け抜けていく。


彼らが配るのは、最新の事件を伝える瓦版だけではない。その手には、色鮮やかな木版画【一枚摺(いちまいずり・浮世絵)】が大量に握られていた。


当時の江戸の浮世絵は、絵師が原画を描き、彫師が木版を彫り、刷師が寸分の狂いもなく色を重ねるという、驚異的な職人技の分業制によって支えられた「量産型の高速視覚メディア」である。


三浦屋の弥左衛門が裏で手を回し、江戸中の版元(出版社)を一斉に動かして何千枚、何万枚と刷り上げさせた各店のトップ花魁たちのブロマイドが、大衆の欲望を煽るように飛ぶように売れていく。


「おい、越前屋で反物を買えば、お艶花魁と全く同じ『市松縁取りの着物』が当たる抽選札も貰えるんだろ!?」


「だったら、長屋の娘たちに買ってやる木綿は全部越前屋で決まりだ!」


朝四ツ(午前10時)、長吉の手によって越前屋の「大戸おおど」が引き開けられると同時に、日本橋の熱狂は一気の臨界点を突破した。


「お待ち遠様でございました! 越前屋、開店でございます!」


ドッと狭い店内に雪崩れ込む客。


しかし、売場はパンクしなかった。


貞次郎が作った「壁も座敷もない大空間」と、すべての商品につけられた「正札ワンプライス」のおかげで、客は自分で次々に色とりどりの反物を手にとり、出入り口のお会計所レジへと運んでいく。


「お小夜に五十票入れるために、この格安の色木綿を二十反、即金でくれ!」


「私はお艶様の抽選札を!」


値段交渉の手間が一切ないセルフサービスの仕組みが、大坂からの艦隊がもたらした「十倍の色彩の在庫」を、恐ろしい速度で現金キャッシュへと変えていく。


同じ頃、日本橋から数里離れた「吉原のど真ん中」では、もう一人の天才が、別の熱狂の渦を巻き起こしていた。


吉原大門のすぐ前。そこには、普段の登楼の華やかな衣装を脱ぎ捨て、粋な職人風の法被はっぴを羽織った善右衛門が、巨大な二つの木箱(投票箱)の上にドカッと跨がっていた。


「よおし! 江戸中の粋で鯔背いなせな男衆、それに大店の旦那方も、よおく聞きやがれ!」


善ちゃんは、集まった無数の見物人や、各遊郭の男衆、太鼓持たちを見下ろしながら、喉が張り裂けんばかりの声で煽り立てた。


吉原には、格式高い「大見世」から中小の「小見世」まで、それぞれが強いプライドを持った『株仲間(組合)』が存在する。


普段なら他店の売り込みなど絶対に許さない閉鎖的な街だが、善ちゃんは自らの圧倒的な人間力と大豪商の信用をフルに活かし、吉原中の全ての楼主や若衆の懐へ飛び込んで、夜通し酒を酌み交わしてこのお祭りを仕込んできたのだ。


「これはなぁ、ただの越前屋の宣伝じゃねえ! 三浦屋のお艶が勝つか、大文字屋の高尾が勝つか、お前たちの『店と男の意地』のぶつかり合いなんだよ!

吉原に上がる金がねえ小僧だって、一枚摺(浮世絵)の一票がありゃあ、一国の主と同じように自分の惚れた女を江戸一番に押し上げられるんだ!

男が惚れた女の一大事だ、黙って見てて職人や若衆が廃る(すたる)ってもんだろ! ほら、日本橋の越前屋で仕込んできた投票札を持ってる奴は、ど真ん中のこの大箱に、男の魂をぶち込みやがれ!」


「――おうよ! 鴻池の若旦那の言う通りだ! 大文字屋の意地を見せてやるぜ!」


「お艶を負けさせたら男が廃る! 俺の一票を持っていけ!」


善ちゃんの情熱的で泥臭い演説に、吉原中の男たち、そして見物に来た庶民たちの血が沸き立った。高嶺の花だった吉原のヒエラルキーが、善ちゃんという最高プロデューサーの手によって、江戸中を巻き込んだ「大衆参加型の巨大な格闘技エンタメ」へと昇華した瞬間だった。


夕刻、日本橋の越前屋では、押し寄せる群衆のトラブルを防ぐため、貞次郎の手によって「本日の札止め(区切り)」が宣言された。


大戸がバタンと閉まった瞬間、奉公人たちは心地よい疲労感でその場にへたり込んだが、店内の金蔵は、ツケなしの即金小判で文字通り「あふれかえって」いた。


そして、手渡された数千枚の投票札を持った庶民や娘たちが、夕暮れの江戸の街を、一斉に吉原の大門へと向かって走り出していた。


夜、四ツ(午後10時)。吉原の門前で、山のように積み上がった投票札の入った大箱を見つめながら、善ちゃんは汗を拭い、やりきった顔で笑っていた。


そこへ、江戸店での現金の精算を終えた貞次郎が、静かに歩み寄ってくる。


「見事な大立ち回りだったな、善ちゃん。吉原中の男たちが、お前の声一つで狂ったように踊ってたぞ」


「へへ、貞ちゃん。お前が日本橋で作った『現金の濁流』が、ほら、俺の仕掛けた吉原のこの『欲望の大箱』へ、一滴も漏れずに流れ込んできただろ?」


二人の若旦那は、夜の吉原の灯りの下、がっしりと肩を組んだ。


現代のセルフサービス理論と、江戸の印刷メディア、そして吉原の人間関係を120%掌握した善ちゃんの人間力。


その二つが完全にドッキングし、お江戸の商業の歴史を完全に塗り替える「総選挙大パニック」の初日が、完璧な大勝利で幕を閉じた。二人の天才の瞳には、すでに江戸の頂点を掴み取った確信の光が、美しく輝いているのだった。


(第24話へ続く)




【第23話あとがき:三井貞治の経営ミニ講座】 今回のテーマ:吉原のメディアインフラ「読売・一枚摺」と、善ちゃんのプラットフォーム・リーダーシップ

第23話をお読みいただき、ありがとうございます!

1. 江戸の最先端印刷インフラ「一枚摺(浮世絵)」のリアリティ

当時の江戸において、浮世絵(一枚摺)は単なるアートではなく、現代の「アイドルブロマイド」や「SNSの画像拡散」と全く同じ役割を持つ、超高速の大量量産メディアでした。絵師・彫師・刷師の完璧なチームワークにより、数日で何千枚ものカラー印刷を市場に投入できるシステムは、世界的に見ても当時の江戸にしか存在しなかった圧倒的なテクノロジーです。

貞次郎と三浦屋の弥左衛門は、この既存のインフラを「投票券付きブロマイド」という現代のAKB48と全く同じビジネスモデルにコンバートしたのです。

2. 善ちゃんが発揮した「プラットフォーム・リーダーシップ」

ビジネスにおいて、最も強力な戦略の一つが「プラットフォーム(市場・お祭り)の創造」です。

もし善ちゃんが「三浦屋のお艶だけを応援してくれ!」と吉原で叫んでいたら、他の遊郭(株仲間)から「勝手な真似をするな」と袋叩きに遭っていたでしょう。しかし善ちゃんは、他店の楼主や職人、太鼓持たちに先回りして酒を酌み交わし、「これはお前たちの『店と男の意地』のぶつかり合いだ!」と、吉原全体を巻き込む共通のルール(プラットフォーム)を作りました。

敵を排除するのではなく、全員が乗っかる「より大きなお祭り」を作ることで、吉原中のエネルギーを味方につけた善ちゃんの人間力。これこそが、現代のメガ・プロデューサーに必須の資質なのです。

3. 次回予告:いよいよ運命の開票!「江戸一番の花魁」の称号は誰の手に!?

初日の熱狂が冷めやらぬまま、三ヶ月におよぶ総選挙の投票期間が締め切られ、いよいよ運命の「開票の儀」が執り行われます!

お艶をトップに押し上げるための男たちの小判の殴り合いと、最後のドラマ。

そして、見事一位を勝ち取った花魁の浮世絵が、江戸中の女性たちのファッションを一変させる「インフルエンサー無双」の瞬間とは!?

次回第24話「総選挙開票、江戸初のトップインフルエンサー誕生!」、ぜひお楽しみに。

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