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『過労死百貨店マンの江戸商売無双 ~「お客様第一」の精神とドラッカーマネジメントで、天下の市場を買い占める~』  作者: 桐生宇優


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13/20

第13話:洋上の不夜城と、白い黄金の長い旅

【読者の皆様へ:本作を読む前のビジネス・ガイド】

本作は、現代の百貨店マンが江戸時代の呉服屋に転生し、未来の経営理論を駆使して成り上がる「ビジネス思考実験フィクション」です。

物語に登場する江戸の商習慣、歴史的背景、および主人公が巻き起こすイノベーション(正札販売など)の時期や変遷は、「もし、あの経営理論をこの時代に持ち込んだらどうなるか?」を分かりやすく解説するための創作フィクションであり、実際の史実とは一部異なる展開が含まれます。

偉大な先人たちの知恵である「ドラッカーのマネジメント」や「チェーンストア理論」が、江戸の街をどう変えていくのか――。エンターテインメントとして楽しみながら、現代のビジネスにも通じる商売の本質を感じ取っていただければ幸いです。

「……うぷっ。親分、ちょっと船脚ふねあしを落とせませんか」


「ガハハ! 何を言ってやがる若旦那、東海道をのろのろ歩くより、この菱垣廻船で太平洋をぶっ飛ばした方が十倍早えんだよ!」


東京湾を抜け、黒潮のうねりに乗った淡路屋の巨大船は、貞次郎の予想を遥かに超えるスピードで波を蹴立てていた。


現代の快適なクルーズ客船や新幹線しか知らない貞次郎にとって、エンジンも何もない木造船の揺れは、想像を絶する拷問だった。

甲板の手すりにしがみつき、顔を真っ青にしている貞次郎を、船首で舵を操る船五郎が豪快に笑い飛ばす。


当時の江戸・大坂間の船旅は、順風が吹けばわずか数日で到着することもあるが、風待ちや嵐に捕まれば二週間以上かかることもある、まさに命懸けのロジスティクス(物流)だった。


夜になると、船内には小さな灯明が灯る。遮るもののない漆黒の海の上、満天の星空の下で揺れる船は、まるで江戸の街から切り離された不夜城のようだった。


船酔いが少し落ち着いた貞次郎は、船五郎から差し出された気付けの酒を舐めながら、これから乗り込む「綿木綿めんもめん」のサプライチェーン(供給網)について頭を整理していた。


(現代なら、インドやエジプトで採れた綿花は、大型コンテナ船でバングラデシュの巨大工場へ運ばれ、マニュアル化された機械で一瞬で糸になり、布になり、ユニクロの店頭に並ぶ。だが、この時代の流通はどうなっているんだ……?)


おぼろげな記憶をたどるうちに、貞次郎の顔が再び引き攣った。


江戸時代の木綿流通は、現代の基準から見ると、眩暈がするほど非効率な「超・多段階ルート」を辿っていたのだ。


まず、スタートは河内(現在の大坂)や和泉、紀伊といった関西の「綿作農家」だ。


農家が汗水垂らして収穫した綿は、そのままでは布にならない。種を取り除いた「実綿みわた」の状態から、まずは地域の「綿摘み問屋」へと集められる。


そこで最初のマージン(仲介手数料)が抜かれる。

次に、その綿は「紡ぎ手」である近隣の農家の女性たちの元へ内職として配られ、手作業で一本の「糸」に紡がれる。


その糸が今度は「織元(織物工場)」へ集められ、ようやく1枚の「反物」へと織り上げられる。


ここでも、地元の「織元問屋」がマージンを抜く。


さらに出来上がった反物は、大坂の街にある「荷受問屋(大坂問屋)」の倉庫へと運ばれる。ここが江戸時代の巨大な物流ハブ(拠点)だ。


ここで大坂の問屋たちが「これは江戸のどの店に回す」といった利権(株仲間)をコントロールし、さらにマージンを乗せる。


そこからようやく、今貞次郎が乗っている船五郎のような「廻船かいせん」に積まれ、数日かけて江戸の品川沖へと運ばれる。


江戸に着いたら着いたで、今度は江戸の「下り呉服問屋」が荷を受け取り、そこからようやく越前屋のような小売店の店頭に並ぶのだ。


「農家、綿摘み問屋、紡ぎ手、織元、地元の問屋、大坂の問屋、船主、江戸の問屋、そしてうちの店か……」


貞次郎は夜空を見上げ、ため息をついた。

「いったい何回『中抜き』されれば気が済むんだ。農家が10円(換算)で売った綿が、江戸の店先に並ぶ頃には100円に跳ね上がっている。その差額のほとんどが、右から左へ荷物を動かすだけの問屋の懐に入っているなんて、狂ってるな」


「おいおい、若旦那。それが江戸の『お極まり(常識)』ってやつだぜ」


船五郎が酒を煽りながら、ニヤリと笑った。


「その問屋仲間ギルドの株を持ってる大旦那衆が、江戸の経済を牛耳ってるんだ。俺たち船乗りだって、大坂の問屋の許可がなきゃ荷物を一粒だって積めねえ。直仕入れなんて、あの強欲な問屋どもが黙って見てるわけがねえよ」


「だからこそ、やりがいがある」


貞次郎はグラス(お猪口)を船五郎の前に突き出した。


「農家から直接、織元へ。織元から直接、あんたの船へ。そしてうちの店へ。ルートを最短に縮めれば、農家は今より高く売れて儲かり、うちの店は今より圧倒的に安く売れてお客様が喜ぶ。誰も損をしない、三方良しの経営だ。邪魔なのは、真ん中で胡坐をかいている問屋(既得権益)だけさ」


「ガハハ! 相変わらず言うことが恐ろしい若旦那だ。だが、大坂の港に着いたら、まずはその『問屋の壁』がお前を大歓迎してくれるはずだぜ?」


船五郎の不敵な予言を聞きながら、貞次郎は揺れる船室の天井を見つめた。


非効率極まりない、白い黄金(木綿)の長い旅路。その歴史の川をせき止めている巨大なダムを、現代のチェーンストア理論でどう爆破してやるか。


船酔いの吐き気も忘れ、貞次郎の頭脳はすでに、大坂着港後の「流通革命ロジスティクス・ウォー」のシミュレーションで激しく回転し始めていた。


(第14話へ続く)



【第13話あとがき:三井貞治の経営ミニ講座】

今回のテーマ:現代ビジネスにも通じる悪弊「多段階流通」とサプライチェーンのブラックボックス

第13話をお読みいただき、ありがとうございます!

今回は一息つきながら、貞次郎が大坂へと向かう洋上での「歴史・流通の解説回」をお届けしました。当時の木綿がどれほど多くの仲介業者を経て江戸に届いていたか、その構造をお分かりいただけたかと思います。

1. なぜ江戸時代の流通は「中抜き」だらけだったのか?

当時の日本には、現代のような「高速道路」も「インターネット(情報網)」もありません。

そのため、「大坂のどの農家がどれだけ綿を作っているか」という情報は、現地の専門の問屋しか知り得ませんでした。この「情報の非対称性(片方だけが情報を持っている状態)」を利用して、各段階の問屋たちが中間マージンを取ることで、流通が成立していたのです。

しかし、これは裏を返せば、商品が消費者に届くまでに無駄なコストと時間が乗りまくっているという、極めて非効率な状態(サプライチェーンのブラックボックス化)でした。

2. ドラッカーの視点:経済の「結節点ハブ」を疑う

ドラッカーは、組織や社会の構造において「目的を伴わない単なる段階や手続きは、すべてコストであり、ノイズである」と一蹴しています。

当時の「問屋制度(株仲間)」は、江戸幕府から独占権を与えられた強力な利権団体ギルドでした。彼らは流通の安全を守るという名目(結節点)で機能していましたが、時代が進むにつれ、単に「自分たちの利益マージンを守るための障壁」と化していたのです。

3. 今回のチェーンストア理論(渥美俊一):「サプライチェーン・マネジメント(SCM)」の夜明け

渥美俊一氏のチェーンストア理論において、真の低価格を実現するための究極のイノベーションが「サプライチェーンの統合(垂直統合)」です。

小売業(越前屋)が、卸売(問屋)の機能を兼ね、さらには生産(農家・織元)の段階まで踏み込んでコントロールすること。これによって、

不透明な仲介手数料をゼロにする(コストの最適化)

生産から店頭に並ぶまでの時間を最短にする(スピードの最適化)

が可能になります。

貞次郎が目指すのは、まさに現代のアパレル巨頭(ユニクロやZARA)が行っている「SPA(製造小売)」のサプライチェーンそのものです。

次回、船はついに天下の台所・大坂へ着港!

しかし、港を仕切る大坂問屋の刺客たちが、直仕入れを企む「江戸の生意気な小店」を潰しにかかります。貞次郎が放つ、現代のマーケティング理論を使った「問屋包囲網」とは!?


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