第五章 ひとつの結末 八
その女性が現れたとたん、結界内にいた人々がざわついた。
「リーリア! 貴様はリーリア・ララファウスではないか!」
大変珍しいことに、正絹が大声を上げる。
「リーリア」と名指しされた女性は、モスリン風の薄いロングドレスを一枚着ているのみだった。
しかし、周囲に気温調整の術をかけているのだろう。彼女はさむけなどまったく気にしておらぬふうであった。
「貴様呼ばわりしてくるとは、なかなか失礼な話だな」
発する声もひどく落ち着いている。
「あなたは以前夢の中で出会った──、」
純が言うと、彼女はこちらに無感情な瞳を向け、
「そうだ、渡良瀬純。私は先日、夢を通して君にメッセージを送ったのだ」
と告げた。淡々とした口ぶりだった。
「本来ならば、君に直接会って用件を伝えるのが筋というものだったであろう。だが、それができない事情が私にはあったのだ」
「その前にひとつ訊ねたいんだけど、あなたは一体何者なんですか? 皆はあなたのことを知っているようなんですけど」
純粋な疑問をそのまま口から放ったところ、彼女は抑揚のない声できっぱりと答えた。
「私の名前はリーリア。神域全体を統べる者──すなわち、幻想種の王である」
すると、剣崎、もといサイクロプスオーガが片膝をついて、
「リーリア様、よくぞご無事で……!」
と恭しく挨拶をした。
純は驚きに打たれた。常日頃、無邪気に振る舞っている剣崎が、他者に向かって、あんな態度を取るとは想像すらしていなかったものだから──。
「おもてを上げよ、サイクロプスオーガ。堅苦しい挨拶はいらぬ。今日は、渡良瀬純にある選択を持ちかけるためにここに来たのだからな」
「おれにですか?」
純が自分の顔を指さしたところ、リーリアは、
「そうだ」
と重々しくうなずいた。
「ここに二振りの剣がある」
彼女の両腕にまばゆい光が集まった。竜たちが放ったような禍々しい色彩の光ではなく、魂までもを潤すような、実に綺麗な光であった。
夜の闇の下、街灯の明かりすら蹴散らすような強い光輝が、リーリアの両手に集う。
やがて、それは二振りの剣の形をなした。
「ここに二つの剣がある。ひとつは肉体を透明にする力と、人間だけを切ることができる剣だ。この剣を用いれば、竜たちに気づかれることなく、星来だけを滅ぼすことができよう」
リーリアがそうして、左手に持った剣をちらりと見やった。
「こちらは、人間を斬ることができぬ剣だ。これは人間でなく、邪神のもたらす呪いを斬るための剣──つまり、この剣では天宮星来を殺すことはできない」
ひととおり説明を終えると、彼女は純の目をまっすぐ見据えて言った。「これら二振りの剣は、エクストラオメガにしか扱えぬ代物だ。他の者が使っても、さしたる効力は望めない」
「つまり、おれが選ばなくちゃいけないってことですか?」
「そうだ」
リーリアがまたしても、重々しくうなずいた。
「天宮星来を殺せば、竜たちは本拠地たる神域に戻るであろう。しかし、『彼を殺さず、彼の身を脅かしている呪いを祓う』という選択肢もある。もっとも後者を選べば、渡良瀬純、君の命は保証できぬが」
彼女が静かに言い終えたそのすぐあと、月世がこちらを見て言った。
「純。星来兄様を殺せ。俺はおまえを失いたくない」
「でもあいつは天宮家の長男なんだぞ? それに、……このまま見捨てるのは可哀想だ」
「しかし──」
「月世。おれ、星来を救いたい。あいつを呪いから解放してやりたいんだ」
すると、彼は渋い顔つきをして、
「駄目だ」
と言った。
「俺も星来兄様を見殺しにしたくない。だが、それ以上におまえを失いたくないんだ。おまえのことを愛しているから」
「その言葉が聞けて嬉しいよ」
純は屈託なく笑った。
「でも、月世。おれの心はすでに定まっている。おれは星来を救いたい。あいつがやったことは確かに悪いことだけれど、それでも、おれは誰のことも裁きたくはないんだ」
「許すというのか? おまえの命を狙った人間のことを」
「違う」
純は首を横に振った。
「許すんじゃない。あいつを憎悪の念から解放したい──それだけのことなんだ。だってあまりにも切なすぎるだろ? 憎しみに身を委ねたまま死ぬなんて、辛い話じゃないか」
「どうやら腹を決めたようだな」
リーリアが言った。彼女の声は、果てなく厳格な響きをたたえていた。
【続く】
【裏話】
これからクライマックスシーンに入ります。
なお、リーリアには、「リージア」という名の妹がいます。
※2026 4/4 加筆修正しました。




