今度のお下がりは婚約者?お姉様、後で返してと言ってもダメですからね!
「ルチア、あんたに私のお下がりをあげるわ。感謝なさい?」
お姉様の発言に、私、ルチア・ラベールは驚かなかった。
「婚約者、というとエリオット・ローデン様のことでしょうか?」
「それ以外に誰がいるって言うのよ? 見た目だけじゃなくて頭まで残念になったの?」
ツギハギだらけのお仕着せふうのワンピース、多用し過ぎで傷んだ靴、埃で薄汚れた頬に、あかぎればかりの手の私を見ながら、ヴェロニカお姉様は馬鹿にしたようにそう言う。
(失礼な! このワンピースは結構いい出来なのに)
私はいわゆる私生児だ。
ラベール伯爵家当主である父が、当時屋敷にメイドとして勤めていた平民の母を無理やり手籠めにした末に生まれた子である。
母は体が弱かったらしく、私が幼い頃に他界。
お姉様の母である奥様は私を孤児院に追いやるつもりだったのだが、体裁が悪いからと父が使用人として私を屋敷に留めることに決めた。
そのせいで私は幼い頃からずっと、奥様からは冷遇され、奥様の愛娘であるヴェロニカお姉様からは虐められている。
(こちとらいい迷惑だ! どうせ異世界転生するなら優しい両親と、無愛想に見えてるけど、たまに見せてくれる表情がとっても可愛い姉のもとに生まれたかったわ!)
後半はただの行き過ぎた好みだが、これくらい許してほしい。とりあえず諸悪の根源は父だ、バカ父!
「それで、エリオット様を私にくださる、というのは一体?」
「言葉通りの意味よ。これまで要らなくなった服や靴、身の回りのものをあんたにお下がりとして与えてあげたでしょう? だから今度は婚約者をお下がりとしてあげるって言ってるの」
確かにこれまでのお下りはありがたく頂戴した。
お姉様的にとっては、私を惨めな気持ちにさせてやろう、という嫌がらせの一種だったのだろうが、実は私、前世では両親が返しきれないほどの借金を抱えたせいで返済に追われていたのだ。
そのせいで明日の食事さえままならない生活を送っていた。
だから流行遅れだろうと、破けていようと、汚れていようと服や靴をもらえるのは助かった。靴は臭かったけど。
……へんっ、だからといって父の所業は許すまじ!
「因みにお姉様、お父様もエリオット様側も今回の件は了承しているのですか?」
「ええ。私たちが婚約を解消して家同士の繋がりがなくなるより、たとえあんたであってもエリオット様の新たな婚約者になる方が有益だろうからって」
まさかのエリオット様サイドも納得しているらしい。
正直驚きだ。
「そうですか。けれど何故お姉様はエリオット様と婚約を解消を望むのですか? 寡黙な良い方では?」
「ふん、あんた見る目ないわね。あんな仏頂面で面白みのない男、絶対にごめんよ」
お姉様の婚約者(だった?)の侯爵令息エリオット様は、時折この屋敷に訪れていた。
確かに、いつも仏頂面で笑顔なんて見たことがない。相当無口なのか、あまり会話らしい会話も聞いたこともなかった。
だが、お姉様をぞんざいに扱うことはなかった。
よく会いに来ていたし、その度に花やちょっとした贈り物をしていたし、忙しい時には手紙も送ってきていたし。
顔付きや無口であることを差し引いても、私としては好印象だったのに。
(って、待って? つまり、そんな好印象な男性が私の婚約者になるってことよね!?)
前世では、働いて働いて働いて借金を返すばかりの生活で、結婚はおろか彼氏の一人もできなかった。
それなのに、この世界では婚約? 私的に好印象の相手と?
しかも、相手は侯爵家の一人息子。
私が嫁ぐのは決定事項。
──もしかして、今よりも生活水準が上がるのでは!?
「お姉様、本当にありがとございます! こんな私めにエリオット様を譲ってくださるなんて!」
「うぎゃあっ」
あまりの嬉しさにお姉様の手を握れば、痛そうに顔を歪められた。これは申し訳ない。
「一応確認ですが、後でエリオット様を返してなんて言いませんよね?」
「言うわけないでしょう? 私があの男を惜しむことも、あんたに返してなんて頼むことも一生ないわよ」
「その言葉を聞いて安心しました」
さすがお姉様。
根っから貴族な彼女は元貧乏人の私と違い、人に何かを与えることに迷いがないようだ。
婚約者をお下がりだのあげるだのと表現するのは、倫理観を疑うが。
(でも、本当に今回の判断には感謝しかないわ。お姉様はお下がりだと言うけれど、滅相もない! こんなに素敵なお相手と婚約できて、いずれ夫婦になれるなんて。私の異世界転生後の人生も捨てたもんじゃない!)
とはいえ、突然婚約者を変更されて、エリオット様はさぞ驚いていることだろう。
もしかしたらお姉様にフラレたことが辛すぎて、毎日枕を濡らしてるかも。
いや、この世界において政略結婚は常識だから、意外とへらっとしてたり……?
(何にしても、ご安心くださいエリオット様。私にとって棚からぼた餅の今回の婚約……絶対に後悔させません。私ルチアは、何があっても私が貴方を幸せにしてみせる!)
◇◇◇
正式に婚約者変更の手続きが行われた後、私はすぐにローデン侯爵家の家でお世話になることが決まった。
婚約段階の二人が同じ屋敷に暮らすのを強く望んだのは私の家族だった。さっさと厄介払いしたかったのだろう。
「初めまして。ラベール伯爵の娘、ルチアと申します」
挨拶初日。
執務室で羽根ペンを走らせるエリオット様は、私の挨拶に手を止め顔を上げた。
(おお、間近で見ると綺麗な目だな〜)
墨汁のような真っ黒な髪から覗く、まるで快晴の空のような透き通った青色の瞳。
鋭い目つきと、キュッと引き下がった口角から、無愛想に見えるというのも頷ける。しかし中々に顔がいい。
「出迎えもせず申し訳ない。俺はエリオット・ローデン。君の姉の元婚約者だ」
長身の体躯と顔付きによく似合う低い声。
声色に苛立ちは滲んでいないが、わざわざ姉の元婚約者と名乗るあたり、この状況が不本意なんだろうな、ということくらいは分かる。
「その節は本当に申し訳ありません!」
いや、まあ、私は何もしてないけどね。
とは思いつつ、立場的には謝ってしかるべきだろう。
令嬢教育など受けていない私は、前世で借金取りに返済を待ってもらう時のごとく、これでもかと頭を下げる。
これも全てお姉様の我が儘を受け入れたお父様のせいだ!
「……いや、そこまで謝る必要はない。むしろすまなかった、嫌味を言って。君だって突然俺の婚約者にされた被害者なのに」
「へっ」
歓迎されないどころか嫌われてもおかしくない。
それなのに優しい言葉をかけてくれるエリオット様に、ぽつりと本音が溢れた。
「こんな優しい人と婚約解消するなんて、お姉様は馬鹿なの?」
「は?」
そりゃあ言いたくなるだろう、という程度の嫌味でもすぐに謝罪し、憎んでもおかしくない私のことも思いやってくれるなんて、実にできた人だ。
「ハッ、失礼しました。つい本音が」
「……ルチア嬢は、怒っていないのか? 俺は君を出迎えることもせず、労りの言葉をかけるどころか嫌味を言い、正式に婚約が決まってから手紙も贈り物もしなかったんだぞ?」
エリオット様が申し訳なさそうに問いかけた。
「えっと、当然では? いきなり婚約解消されて、今度は妹が新しい婚約者ね、しかも同居ね、なんておかしな話です。エリオット様が嫌味の一つくらい言いたくなるのも当然です。あ、エリオット様とお呼びしても大丈夫でしたか?」
「あ、ああ」
「それは良かった。私のことはどうかルチア、と。とにかく、私に対する謝罪も罪悪感も不要です。今回のことは全面的にラベール伯爵家が悪いので。改めて申し訳ありません」
再度謝罪をする。今度は極めて冷静に。
「……」
何も言われないので少しだけ顔を上げる。
ちらりとエリオット様の顔を確認すれば、彼は手を口に当てて悩ましい顔をしていた。
「あの?」
「君は今回の婚約についてどう思っている?」
「はい?」
「自身の姉が捨てた男の婚約者になるなんて、内心嫌でたまらないんじゃないのか?」
まるで、捨てられた子犬のような庇護欲をくすぐる目でエリオット様は問う。
質問の意図はあまり分からなかったけれど、私の返答は決まっていた。
「嫌だなんて滅相もない! 私にしてみれば棚からぼた……」
「え?」
「いえ、失礼しました。私にとって今回の婚約は、これ以上ないくらい幸運です!」
「!」
バチッと音が聞こえてきそうな程大きく、エリオット様が目を見開いた。
「ですから、エリオット様にも私と婚約して良かったと思えるよう、努力を惜しまぬつもりです! 貴方を幸せにしてみせるという覚悟だけは、誰にも負けません!」
「……っ」
エリオット様の頬が薄っすらと赤く染まった。
凛々しい眉毛は弱々しくへの字に曲がり、鋭い瞳は力強さの欠片もないほど伏せられている。
黒髪から覗く耳が真っ赤になっていて……。
(かっ、かわ……かっっっわ……)
何ということでしょう。
無愛想な方かと思いきや、エリオット様はこんなにも可愛い表情を見せてくれるプリティーマンだったようです。
無愛想に見えてるけど、たまに見せてくれる表情がとっても可愛いという、理想の姉に求めた属性が備わっているとは……。
(もうほんと、お姉様ありがとう。お下がりだとか言ってエリオット様を私にくれて。いや、エリオット様はお下がりでもモノでもないけど!)
お姉様のような華やかさも、妖艶な笑みも、ボンッキュッボンッなナイスバディでもないけれど、こんなに素敵で好みど真ん中な方、絶対手放してなるものか!
「分かった。よろしく頼む、ルチアじょ……ルチア」
「はい! よろしくお願いします、エリオット様!」
名前を言い直すエリオット様、可愛い!
◇◇◇
それから約一ヶ月、私はエリオット様のお屋敷で共に過ごした。
慣れない環境だから入籍まではゆっくり過ごすようエリオット様は言ってくれたが、私は家庭教師をつけてほしいと頼んだ。
ろくな教育を受けていないままの私では、後の侯爵夫人には相応しくないと思ったからだ。
(終わらない勉強と作法、キッツキツに閉めたコルセット……毎日続けるのは借金返済並みに大変ね。でもやると決めた以上やる。頑張れ私!)
心折れることなく慣れないことに頑張れたのは、ひとえにエリオット様の存在が大きい。
彼は仕事が多忙な中でも、頻繁に私の様子を見に来てくれては励ましの声をかけてくれたのだ。
(やっと少し作法が身についただけなのに、かなり筋がいいって褒めながら小さく拍手してくれたり、側近の方が迎えに来るギリギリまで私の様子を観察して、退出する時には、赤い顔をしながらぷいっと目を逸らして、頑張れ、だが無理をするな、夕食は好物を用意させるって言ってくれたり! ハァ……今日のエリオット様も可愛かった。いや、可愛すぎた。というか私の好物を把握してくれてるの!?)
改めて分かったことは、やはりエリオット様は口数は少ないし、一見したら無愛想だということ。
けれど、本当は優しくて温かくて、情の厚い可愛い人だということだ。
(あーもー、好き! 愛しい〜〜!)
エリオット様はもとより好印象だった相手だ。
こんなふうに大切にされて、好きになるのにそう時間はかからなかった。
(へへ、今日は一緒に夕食をとれるし、楽しみだな)
しかも今日は家庭教師の先生の都合で、午後から休みだ。久々の空き時間に胸が躍る。
せっかくならば、今の私でもエリオット様の役に立ててしっかり戦力になれることをしたい。
そう考えて思い付くのはやはり家事だった。しかも今は掃除の気分だ。
「……勉強で凝り固まった体を動かせるし、使用人の皆とも仲良くなれるかもしれないし、一石二鳥では?」
そう考えた私は「いや、さすがにルチア様に使用人の仕事をさせるわけには!」と顔を青くする執事長をなんとか説得し、「お掃除をするにしてもせめてほうきを!」とこれまた顔を青くするメイド長に大丈夫だからと告げて雑巾をゲットし、使用人たちに混じり床掃除を始めた。
(さすが侯爵家。雑巾でさえ実家より質がいい気がする。んふふ。いつまでもどこまでも拭ける気がする)
なんてことを考えながら床掃除に勤しんでいると、手元に人影が映る。
この見慣れた黒い革靴は……と顔を上げれば、そこには困惑を隠せない表情をしたエリオット様が私を見下ろしていた。
いつもより早い帰宅に、パアッと笑顔になる。
「お帰りなさい、エリオット様!」
「ただい……いや、そうではなく。ルチア、何故君がこんなことを……まさか我が家の使用人に虐められているのか!?」
エリオット様が珍しく大きな声を出す。
彼を誤解させてしまっているのだと理解した私は、極めて落ち着いた声色で話した。
「ああ、驚かせて申し訳ありません。そんな事実はありませんし、私が好き好んでしているだけなので心配は無用です」
「好んで?」
「はい。実家でも毎日やってましたから、慣れたものなんです」
「実家で毎日掃除、だと?」
ピキッとエリオット様の額に青筋が浮かぶ。
(あら?)
何故エリオット様がこんなに怒りを露わにしているか分からぬまま、私は彼に手を引かれ歩き出した。
◇◇◇
「エリオット様、私、掃除が途中で」
「そんなことはどうでもいい。まずは座ってくれ。聞きたいことがある」
提案はきっぱりと却下され、エリオット様の部屋のソファに半ば無理やり座らされた私は困惑していた。
ボスンと隣に腰を下ろしたエリオット様はえらく神妙な表情だ。
「先程、実家では毎日掃除をしていたと言っていたな」
「はい、そうです」
「……君は、家族に冷遇されていたのか?」
あれ、言ってなかっけ?
そういえば、お姉様の件を謝罪したり、新生活を頑張ることに必死で、家庭教師をつけてほしいとお願いはしても、これまでの境遇については伝えていなかったかもしれない。
「はい。実は私は私生児で、使用人同然で育てられました。お伝えし忘れており申し訳ありません」
「いや、忘れていたのなら構わないんだ。いいんだが、そのだな」
「……」
エリオット様が言い淀む。
(まあ、そりゃあそうか。そもそも、私じゃエリオット様の婚約者に相応しくないよね)
いくらラベール伯爵家の娘とはいえ、私は私生児で、令嬢らしい教育も受けていない。
貴族同士の婚姻にとってそれがどれほど大きいことか、なんとなく分かる。
「君のことは、ラベール伯爵家夫妻の実子で、引っ込み思案のために社交界には出てこない娘だと聞いていたから驚いてしまって……」
「そう、でしたか。父は体裁を大変気にする人なので、そう説明したのだと思います。嘘をつく形となってしまい申し訳ありません」
父よ、バカ父よ。せめて私の境遇を隠したいならその旨伝えてよ!
その場限りの嘘をついた父に内心で悪態をつくものの、そんなことでは状況は一転しない。虚しさしか残らなかった。
(婚約解消、されるのかな)
エリオット様は優しい。
とはいえ、私の事情を知り、更に結果的に彼を騙してしまったわけだから、その判断に至るだろう。
(好き、なのになぁ)
私って、どこまで行っても幸せになれない人生なのかなぁ……。
珍しく落ち込んでいると、エリオット様は私の肩にそっと手を置て、優しい声で問いかけた。
「一応聞くが、ルチアには私を騙す気はなかったんだな?」
「はい。信じていただけないかもしれませんが、私はこれっぽっちもエリオット様を騙す気なんてありませんでした」
「……そうか」
きっと信じてはもらえないだろうけど。
(どうせ婚約解消をするなら、できるだけ傷が浅いうちに、もう赤子に触れるかのように優しくしていただけると助かります……)
そんなことを考えている私に対して、エリオット様は安心したように、ふぅと息を吐いた。
「良かった、ルチアがそう言ってくれて。安心した」
「え?」
嘘、たったあれだけの弁明で信じてくれるの?
目を見開く私を見て、エリオット様はふにゃりと口元を緩めた。え、かわ……。
「ルチアと初めて挨拶した時から、少しおかしいと思ってたんだ。どう考えても引っ込み思案な性格には見えなかったから」
……確かにその通りである。
「でもあの、信じてくれるんですか?」
「ああ。初対面で嫌味を言った俺に対して、全力で謝るだけでなく、幸せにしてみせるとまで誓ってくれた上に、次期侯爵夫人になるべく勉強やレッスンも頑張ってくれていた。君のこれまでの言動に嘘はないと思う。……だから俺は、ルチアを信じたいと思った」
「エリオット様……」
私を責め立てたっておかしくないのに、エリオット様はなんて優しいのだろう。
「ありがとうございます、エリオット様」
あまりの感動に彼の手をギュッと握れば、エリオット様は照れながらも握り返してくれた。エンジェェェルゥ……。
「い、いや、礼を言われるようなことじゃない。むしろ、気付いてやれなくてすまなかった。これまで冷遇されていたのなら、いきなり勉強やレッスンを詰め込んで大変だっただろう?」
しかも、私に対する労りの言葉までかけてくれるとは。
改めて、ヴェロニカお姉様は本当に見る目がないのだなぁと感じざるを得なかった。
「それは確かにそうですけど、エリオット様がいてくれたから頑張れました!」
「っ、なら、いい。だが、冷遇とは許せないな。おそらく今回の縁談も強制だったんだろう?」
「……はい」
「良ければ、俺の婚約者になるようなんて言われたのか、聞いてもいいか?」
「それは」
今度は私が口ごもる番だった。
ヴェロニカお姉様の発言はエリオット様を傷付けるようなものだったからだ。
「俺は傷付いたりしないから頼む、ルチア」
しかし、真剣な表情でお願いされたら、断るわけにはいかなかった。
「分かりました。全てをお話します」
何より私が、もうエリオット様に隠し事をしたくはなかった。
「実は──」
それから私は、自分がエリオット様の新たな婚約者となった経緯を洗いざらい話した。
エリオット様は淡々とした様子で、私の話に耳を傾けてくれた。
「……話してくれてありがとう、ルチア。そうか、仏頂面で面白みのない男、か」
「いやでも、それは間違いなくヴェロニカお姉様の見る目がないだけというか」
「しかもお下がりとは。人をなんだと思ってるんだか」
エリオット様の声色に、若干苛立ちが滲む。
そりゃあそうだ、と納得する反面、行き場のない罪悪感にドッと嫌な汗が全身から噴き出した。
「ああああ! 本当にそうですよね! 私も本当にそう思います! ヴェロニカお姉様の人でなし! もうほんっとに、ほんっとに申し訳ありま──」
「だが、そのおかげでルチアと出会えたんだ。あながちお下がりも悪くないか、も……」
「え?」
今、何て? 何やらとんでもない爆弾発言が投下されたような?
「あ、あの、エリオット様、今」
「いや、何でもない。今のは、忘れてくれ……」
「っ」
前世では、恋人はおろか恋もしたことがなかった。
つい最近、エリオット様への恋心は自覚したけれど、両思いになれたらなんて夢みたいな想像もしたことはなかったのに。
(ダメだ……期待、しちゃう)
それに嬉しさと、勘違いかもしれないという切なさ、様々な葛藤が胸に広がり、きゅうっと締め付けられる。
「そ、それにしても、自分はあんなことをしておいて君の姉はなかなか面の皮が厚いな」
どこかぎこちない空気を誤魔化すように、エリオット様がそう言う。
「? あんなこと?」
「……そうか、まだルチアは聞かされていなかったんだな。実はな──」
「エリオット様、ヴェロニカですわ! お話がございますの!」
「「!」」
バンと勢いよく扉が開いたその先には、屋敷の使用人たちの制止を振り払い、必死な表情でエリオット様を見つめるヴェロニカお姉様がいた。
(な、何でここにお姉様が!?)
わたわたと慌てる私とは違い、エリオット様は一瞬驚いただけで今は平然としている。
何故だろうとエリオット様にジッと見つめていれば、彼は無愛想と言われているとは思えないほど柔らかい笑みを浮かべ、私の頭にポンと手を置いて立ち上がった。
「お前たち、ヴェロニカ嬢と少し話す。廊下で待機するように」
「承知しました」
使用人たちが廊下に下がると同時に、私もすくと立ち上がる。
ヴェロニカお姉様はぷるりとした唇を強調するように笑みを浮かべると、コツコツとヒールを音を立ててこちらに近付いた。
「エリオット様、お久しぶりですわね。元気にしていらしたの?」
敢えて私になんの挨拶もしないところがお姉様らしい。
エリオット様は若干苛立ちを露わにしているが、ここは黙っておくべきだろうと聞き役に徹することにした。
「前置きは結構だ。何の用でここに? 元婚約者の屋敷に前触れもなく現れるとは、お世辞にも褒められる行動ではないと思うが」
「それに関しては謝りますわ。でもエリオット様にとってもいい話を持ってきましたの」
「ほう」
女の勘なのか、この時私は初めて嫌な予感がした。
「ルチアとの婚約は解消して、やはり私と婚約しましょう」
「え……」
驚くくらいにか細い声が漏れた。
(どうして?)
お姉様はエリオット様に好意を抱いていなかったのに。それどころかあんなに文句を垂れていたのに。エリオット様を求めることは二度とないって言ってたのに。
言いたいことは沢山あるのに、驚きと、何より不安で上手く声が出ない。
(エリオット様と、もう一緒にいられないの?)
エリオット様が私に対して悪印象を抱いていないことは分かる。
何ならさっき、もしかしたら両思いかも? なんて勘違いまでしそうになった。
けれど、エリオット様は元々ヴェロニカお姉様の婚約者だった。
お姉様には満足できなかったのだろうが、彼はお姉様にちゃんと尽くしていた。
(この屋敷に来てからあまり考えないようにしてたけど、やっぱりエリオット様ってお姉様のことが好きだった?)
その可能性は大いにある。
胸が苦しくて切ない。前世でも、こんな気持ちになったことはなかった。
勝ち誇ったような笑みを浮かべるお姉様の顔を見ていられず俯けば、エリオット様が息を吸う音だけが耳に届く。
ああ、私、ふられるのかな。
「寝言は寝て言ってくれ。誰が君と婚約などするものか。天地がひっくり返ってもごめんだ」
「え?」
「はぁ?」
とんでも威圧感を滲ませた声色で断固として拒絶するエリオット様に、お姉様はプライドをへし折られたからなのか、恥ずかしさからか、カッと顔を赤くした。
「何よ、偉そうに!」
「偉そうはどちらだ。突然婚約解消しておいて。どうせ不倫がバレてまずい状況になったから、ここにきただけだろう?」
「え? 不倫?」
エリオット様の発言に驚きお姉様を見れば「何で知ってるのよ!」と文句は垂れているものの、否定はなかった。
(ほんとにお姉様が不倫してたの? それなのに、エリオット様に非があるみたいな言い方をして婚約解消したってこと? さすがにクズ過ぎでは?)
情報過多で頭がパンクしそうになる私に、エリオット様は落ち着いた声で説明してくれた。
どうやら、先ほどエリオット様が話そうとしていたのも今回の件らしく、ヴェロニカお姉様はエリオット様との婚約中にも関わらず、別の既婚男性と関係──つまり不倫していたらしい。
エリオット様は不倫にはかなり早い段階から気付いており、婚約解消されることも予期していたらしい。
だが、こちらに明らかな非がないことを証明するために、我慢してお姉様に会ったり贈り物をしたりしていたようだ。思いのほか策士である。
「大方、不倫相手の妻に多額の慰謝料を請求されたんんじゃないのか?」
「ぐっ」
「ラベール伯爵家にはそれを返せるほどの蓄えはない。だからまた俺と婚約し、自分に課された慰謝料を俺に支払わせる魂胆だった……違うか?」
「んぎぃー! グチグチうるさいのよ! そうだったら何なのよ!」
お姉様が長い髪を振り回し、キンキンと高い声で怒りを吐き出す。
けれど、私はそれどころではなかった。
「じゃあつまり、エリオット様はお姉様に全く未練はない、ということですか?」
「未練どころか、ほんの僅かでさえ好意を抱いたこともない。俺が好意を抱いているのは……その……」
エリオット様の熱を帯びた瞳が私を射抜く。
トクン、と自分でも聞いたことのないような胸の高鳴りを覚えた。
「というか、色々分かってるなら助けなさいよ! 元婚約者でしょ!?」
甘い雰囲気をぶち壊す怒号に腹を立てたのか、エリオット様はお姉様をギロリと睨見つけた。
「助ける義理も理由もない。さっきも言ったが、君みたいな女ともう一度婚約するなんて二度とごめんだ。……そもそも、お下がりの俺は、君に不要だろう?」
「! 何でそれをぉ」
般若のような顔のお姉様に睨みつけられる。
お下がりだと言っていたのを私が言ったことを怒っているらしい。
いやでも、言うなって言われてないし。そもそも人として対人をお下がりなんて言うのが悪いのだと思う。
私が知ーらないっと言わんばかりに顔を逸らせば、お姉様は今度は必死に笑みを作ってエリオット様に擦り寄った。
「あ、あれは違うんです〜言葉の綾って言うのかしら〜? 私は貴方を心から愛してて〜」
猫なで声で愛をさえずり体を寄せてくるお姉様を、エリオット様は嫌悪感を露わにした顔で押し返した。
「それならば誠心誠意断ろう。俺は絶対に君と復縁しない」
「ぐっ、そこを何とか」
「無理だ。……何故なら俺は、どんな境遇にも負けることなく前向きで、誠実で、俺を幸せにすると誓ってくれた女性を──ルチアを愛しているから」
告白と同時に、ぐっと肩を肩引き寄せられる。
熱い視線を私に向けながらも、照れているのか、唇を僅かに震わせ、耳まで真っ赤になっているエリオットさまが愛おしくてたまらない。
「エリオット様……」
「ちょ、何よその雰囲気は! ルチア、あんたからも言ってやりなさいよ! エリオット様には私が相応しいでしょう!?」
「ヴェロニカお姉様、申し訳ありませんが、それはできません。この方は私の婚約者です。それに、私もエリオット様のことを愛していますから。どうぞお帰りください」
はっきりと断れば、お姉様は意味が分からないと言いたげに顔を歪めた。
対してエリオット様は一見して分かりづらいものの、目をキラキラ輝かせている。
尻尾があったらぶんぶん振っているんだろうなぁというくらいの喜びようだ。ほんと、か、かわ……。
「それにお姉様、あんなに啖呵を切ってたじゃありませんか。エリオット様を返してなんて頼むことは一生ないわよ、って」
「そ、それはぁ」
「私生児の私とは違い、生粋の貴族であるヴェロニカお姉様ともあろう方が一度口にされたことを反故になさるのですか? そんなこと、なさいませんよね?」
「ぐっ、ぐぅ! 二人揃って何なのよ! ルチアのくせにぃ! お下がりの分際でぇ!」
またもや激しく扉が開かれると、そこからお姉様は逃げるようにして去っていった。
その後、不倫とエリオット様への度重なる失礼な行為が公となったお姉様は、社交界で爪弾きにされた。
借金にも追われ、返済の目処が立たずラベール伯爵家は没落したそうだ。
一方、私はというと。
「エリオット様、今日も好き! ずっと好き!」
「ああ、俺も、だ。だがそろそろ、俺のことはエリオット、と」
「! へへ、エリオット! 名前さえ愛おしい〜〜!」
隠すことなく愛を伝える私に、エリオットは無愛想と取られる鋭い目を柔らかく細める。
初めはお下がりだと与えられた婚約者だったけれど、今や誰にも譲ることのできない最高の、そして可愛い私の伴侶だ。
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