第3話 幼馴染は濡れたらふいてくれる
俺の家に特徴があるとすれば、隣に古風な洋館のようなお屋敷が建っている点だろう。
水上家だ。
それ以外はごくありふれた、築十六年ほどの建売住宅だ。
とはいえこのご時世で家を買い、共働きで毎月ローンを支払ってくれる親には感謝しかない。
「あれ? 朝陽……」
玄関で靴を脱いでいると、深怜那が何かに気づいた。
「どうした?」
「右肩がやけに濡れていませんか?」
「気のせいだと思うよ。それより、深怜那は濡れてない?」
「はい。おかげさまで……?」
俺の学ランは右側だけが濡れていて、左側は乾いている。
対して、俺の左に立っていた深怜那のブレザーは、ほとんど濡れていない。
その理由に、深怜那は気づいた。
「もしかして、私が濡れないように傘をこちら側に傾けてくれていたのですか?」
「こういうのはできる男子のたしなみなんだ」
「……なるほど、効果抜群です」
深怜那は頬を緩ませた。
「少し顔が赤いけど、もしかして寒かった?」
「朝陽が気の利く男子なのは否定しませんが、少し残念なところがありますね」
深怜那はなぜか少し不満げな様子を見せながら、ハンドタオルを取り出した。
「残念って……まったく身に覚えがないな」
「そういうところです」
深怜那は愚痴めいたことを言いつつも、濡れた箇所を拭いてくれた。
「ありがとう。深怜那の想い人も優しい性格だと安心できるけど」
「ふふ。その点は心配無用です」
深怜那はやけに自信満々だった。
よほど想い人のことを信頼しているらしい。
良かった。
そのはずなのに、何か引っかかる。
最近たまに感じる、この気分は何だろう。
◇
濡れた服を拭いた後。
深怜那は俺よりも少し前を歩いていた。
勝手知ったる様子で、リビングへと向かう。
「何か、温かい飲み物を用意しますね」
「深怜那はお客様なんだから、そういうのは俺の仕事だよ」
「お邪魔している立場なので、私が働きます」
深怜那は相羽家に来る度、率先して手伝いをしてくれる。
「でもなあ。毎回思うけど、やっぱり気が引けるというか」
「今更そのような気遣いは不要ですよ。私たち、何年の付き合いだと思っているんですか?」
「……そこまで言ってくれるなら、お願いするよ」
「はい。朝陽は濡れた服を着替えていてください」
深怜那は一人でキッチンに入る。
水上家と相羽家は長年、家族ぐるみの付き合いがある。
お互いの家にもよく、出入りしていた。
だから、どこに何があるかは、深怜那も把握している。
「じゃあ、先に部屋に行ってるよ」
「あ。私の鞄も持っていってくれると助かります」
「了解しました、っと」
玄関横の棚に置いたままになっていた深怜那の鞄を、俺は手に取った。
そのまま、二階の部屋に向かう。
深怜那の相談はいつも俺の部屋で行われている。
今更ながら、他の男の部屋で恋愛について作戦会議みたいなことをするのはどうなんだ?
なんてことを、俺としては思ったり思わなかったりする。
が、当の深怜那が気にしていない様子なので、俺から指摘するのも不自然だ。
私服に着替え終わった頃、深怜那が部屋の扉をノックした。
「入ってもいいですか?」
「どうぞ」
律儀に聞かれたので、俺は扉を開けてあげた。
「ありがとうございます……あっ」
部屋に入ろうとした深怜那が、何もないところでつまずいた。
そのままよろめいて、手に持ったお盆をひっくり返しそうになる。
俺はそんな深怜那とお盆に手を差し伸べて、支えた。
「……なんとなく、こうなる気がしたよ」
「予想されていたのは不本意ですが……助かりました」
深怜那は油断するとすぐドジをする。
学校ではそんな話を聞かないので、いつも気を張っているのかもしれない。
その反動なのか、俺の部屋に来た時は緩みきっているように見える。
「よいしょ」
深怜那は常備されている自分用のクッションをローテーブルの前に持ってきて、気の抜けた声を漏らしながら座った。
ベッドを背もたれ代わりにして、お嬢様らしからぬ庶民的な振る舞いだ。
学校では常に背筋が伸びているのに、今はすっかり脱力している。
それはそれで、この部屋には馴染んでいた。
「やっぱり、深怜那が淹れてくれたコーヒーはおいしいな」
「朝陽の家にはいい豆がありますからね。そのおかげです」
深怜那が持ってきたコーヒーカップは二つ。
俺のは黒褐色で、深怜那のは見るからにクリーミーな茶色だ。
「深怜那は甘い物が好きだよね」
「はい。よそのお宅で、ミルクや砂糖をたくさん使うのは申し訳ないですが……」
「それなら、ブラックも飲んでみる?」
「遠慮しておきます」
深怜那はきっぱりと断った。
「前も試したけど、飲めなかったよね」
「あんなに苦いものを飲めるなんて、朝陽は大人ですね。私はまだまだ子供舌です……」
「まあ、そうだね」
「そこはあっさり肯定せず、もう少し手心を加えてください」
深怜那はジト目を向けてきた。
「ブラックコーヒーを飲むかで大人か子供かを判断しているうちは、それ自体がまだ子供の証だと思うよ」
「朝陽は容赦ないです」
「だけど、世界的には甘い物を入れるのが主流らしいよ」
「む……それなら安心です」
深怜那はまた、見栄とかを気にしていそうだ。
コーヒーカップを手に取ったが、猫舌でもあるので飲まずに「ふーふー」と冷ましている。
そんな深怜那を微笑ましく見守りつつ、俺は窓に目を向ける。
外はまだ、雨が降っている。
向こう側には、隣にある水上家のお屋敷が見えた。
ちょうど真向かいに、深怜那の部屋の窓がある。
その気になれば送り届けることのできる距離だ。
この家で、雨宿りしていく必要はない。
用がないなら、帰ったらいい……なんてことは言わない。
別に、好きなだけくつろいでもらって構わない。
けどそれは、本当に用事がない場合の話だ。
「深怜那、相談があるのを忘れてない?」
「はっ。そうでした!」
ようやくコーヒーに口を付けてほっこりしていた深怜那が、目を見開いた。




