65話 誇りの行方 ~黒髪の弁舌者~
会議室に入ると、机の上に資料を広げた。
わたしは胸を張る。
千歯扱きの効率を数字で示し、稲わらを束にして説明すると、政務官たちは一様に頷いた。
「確かにこれなら……」
「作業が一気に変わるぞ」
賛同の声があちこちから漏れる。
だが、メネズ派の面々は沈黙を崩さず、不満げな顔を浮かべていた。
「……だが、導入の費用が莫大では?」
一人が口を開く。
「収穫効率で十分に回収できるわ」
わたしは即座に答えた。
「だが、農民に扱える保証が――」
「難しくなんかない。力も要らない。子供や老人でも扱えます」
「しかし、導入すれば農民が楽をしすぎて怠けるのでは?」
「効率が上がることで余剰時間は別の仕事に回せます」
数字と理屈で返すたび、相手は黙り込む。
けれど、しつこく別の角度から難癖をつけてくる。
それを繰り返した末――アゼレアの声が鋭く空気を切った。
「……貴族の誇りはどこへ置いてきた? まさか、犬に食わせて捨ててきたか?」
味方だとわかっているわたしまで、びくりと肩が震える。
低く響く声に、会議室の空気が一変した。
張り詰めた沈黙の中、皆が息を呑む。
アゼレアの雰囲気が統治者のものとなり、さらに鋭さが増す。
……アゼレア、なにする気?
でも、不思議と恐怖はなかった。
彼女は決して揺るがない――わたしにはそう信じられた。
「な、貴様……新参者か!」
メネズ派の一人が怒鳴り、机を叩いた。
しかし、別の数人は顔を青ざめ、椅子を軋ませて後ずさる者までいた。
彼らはその声に、聞き覚えがあったのだろう。
かつて仕えた主の声――背筋を伸ばさずにはいられなかった、あの威厳が蘇っていた。
手が震え、声を失う者。
表情を必死に取り繕いながらも、畏怖の色を隠せない者。
目を逸らすことすらできず、ただ見つめている者。
……大丈夫。
心の奥でそう思いながら、わたしは彼女の背を見つめていた。
沈黙を切り裂くように、アゼレアの声が再び響いた。
「何が気に食わぬ? 民が楽をして怠けることか? ……民が楽をしてはいけないのか?」
鋭い眼差しが室内をなぞる。
誰もが息を呑んだまま動けずにいる。
「これは貴殿らの収入を底上げする、画期的な改革だぞ。貴殿らの理屈では、民は苦労して当たり前ということになる」
「い、いや……」
たまらず一人の政務官が声を上げる。
下級貴族の男だ。
「その代わりに、我らは命をかけて守っているのだ!」
「……ふん」
アゼレアは鼻で笑い、冷たく言い放つ。
「命をかけて守っている、だと? ――違うな。命をかけて自分を守っているの間違いではないか?」
その言葉に、政務官の顔が真っ赤に染まる。
反論しようと口を開いたが、言葉が出てこない。
「思い出せ。かつて奴隷制度が廃止された時――雇い主が奴隷に引き裂かれ、ぼろ雑巾のように転がっていたな。なぜそうなったか、わかるか?」
「あれは……! あいつらが勝手にやったことで――」
「そうだな。勝手にやったことだ」
アゼレアの瞳がギラリと光る。
「だが、それは雇い主が奴隷に酷い仕打ちを繰り返した結果でもある……では、同じことを町単位でやったらどうなる?」
「そ、それは……」
政務官の声が震え、喉の奥で詰まった。
「町は機能しなくなり、やがて壊れるだろう」
静かに放たれた言葉に、会議室の空気が凍りついた。
誰もが喉を鳴らすこともできず、ただ視線を落とすしかなかった。
沈黙を破るように、政務官が言葉を絞り出す。
「な、なら……ならば今のままでもいいではないか!」
「なぜだ?」
アゼレアの声は低く鋭い。
「い、今のままでも、民たちは満足しているはずだ!」
「そうかもしれんな」
アゼレアは薄く笑う。
しかし、その目は、まったく笑っていない。
「――それで?」
「そ、それで……? どういう意味だ」
「財政難だと言っておるだろう」
声が一段と冷えた。
「貴殿は政務官か? この状況を作り出したのは前アードであるメネズとその側近たち。そして、その恩恵を受けていたメネズ派の貴殿らだ――どう責任を取る?」
「い、いや、我々は……無関係で……」
「無関係なわけがあるまい」
腕を組み、アゼレアの琥珀色の瞳が、メネズ派の政務官たちを一瞥する。
「なぜ止めなかった? 貴殿らは誰に忠節を誓っているのだ?」
室内に重苦しい沈黙が落ちた。
政務官は言葉を失い、額に汗をにじませる。
「答えられぬということは……保身ということか。己可愛さに仕える主を変える輩か?」
「ち、違う! 我々は……貴族だ! 町だっ! 町を守るために――」
「そうか」
アゼレアはゆっくりと頷く。
「ならば町が発展し、貴族も潤い、民の笑顔が増えれば――問題はないわけだな?」
「あ、いや……」
アゼレアの瞳が細まり、政務官を射抜いた。
「今一度問う。貴殿らの誇りはどこにある?」
しばしの沈黙の後、政務官はかすれた声で答えた。
「……町と共に」
わたしには、わかった。
彼女の目元が、ほんの少し緩んだことを。
何人もの政務官が、アゼレアの言葉に耐えきれず椅子の上で拳を握りしめていた。
反論どころか、声さえ出ない。
政務官の言葉を確認すると、アゼレアは隣に座るわたしへと視線を向ける。
「だそうだぞ、ルルーナ様?」
その一言に、会議室の視線が一斉にわたしへと集まった。
アゼレアが主導権を渡したのだ。
わたしに駆け引きなんてできない。
でも……。
政務官たちの圧は、随分と小さくなった気がする。
自分でも不思議に思う。
これなら、所長と対面で話している時の方が、緊張するかもしれない。
これも、彼女のおかげだろうか。
深く息を吸い、それでも震えそうになる声を抑えて言葉を紡ぐ。
「……お聞きします。貴族の誇りとか、そういうことは関係なく答えて下さい」
政務官たちが困惑したように顔を見合わせる。
「本当はメネズを恐れていたんじゃないですか? あなた方は、犯罪に加担してはいなかったはずです」
「……」
誰もが言葉を失い、目を伏せる。
もうメネズはいないはずなのに、どこかその影に怯えているように見えた。
「わたしも、その気持ちはわかります……だって死ぬのは怖いですもの」
言葉が詰まりそうになる。
だが、それでも続ける。
「その恐怖が、大切な人の命を奪うことを……恐れていただけなのではないですか?」
沈黙のあと、一人の政務官が小さく頷いた。
「……逆らえば死か、追放でした」
その声に、周囲の者たちも次々に静かに頷く。
「だから……権力が他の者に渡るのを恐れているのではないですか? また同じことを繰り返されるかもしれないと」
室内に、わたしの声が響く。
政務官たちの反論はなく、ただ俯くだけ。
「心配しないでください。もう悪政は終わりました。これからは全力で町の発展に協力していただけませんか?」
「私は……メネズ様の派閥で……」
か細い声が返る。
わたしは机に手を置き、真っ直ぐにその下級貴族を見つめた。
「わたし、思うんです。派閥って、まだ必要ですか?」
「……はっ?」
「町を良くするために、みんな同じ方向を向いているのに、派閥なんて必要ですか?」
本当は必要ないと、もうわかっているはずだ。
「だ、だが……」
「考えは違っても、目指しているものは同じじゃないですか? 町のために」
政務官はハッとしたように目を見開き、今にも零れ落ちそうな涙を目に溜めて、ゆっくりと頭を垂れた。
「……申し訳ありません」
わたしは頷き、はっきりと告げる。
「では、この改革の指揮をあなたに任せます――メネズ派なんてもういないんだと、町のみんなに知らしめて下さい。胸を張って、あなたはトバルの貴族だと」
わたしの言葉に、俯いていた政務官が顔を上げた。
その目の奥に、光が宿ったように見える。
「必ず……やり遂げます」
隣でアゼレアが小さく口元を歪め、ぼそりと呟いた。
「落ちたな……人たらしめ」




