表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
私の秘密は増えてゆく ~この幸せを守るため――だからわたしは仮面をかぶる~  作者: 月城 葵
二章    少女と暴かれる秘密

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

56/64

55話  繋ぐ ~課題の終わりと始まる責務~



 夕食を終え、ロエナが食事を運んできた台車とともに退出した。


 一人になった客室で、わたしは机にロウソクを灯し、帳簿を開いた。

 昼間の整理で積み重なった疲労のせいか、文字や数字が霞んで見える。



「……やっぱり、まだ全然、まとまらないなぁ」


 愚痴とともにため息が漏れた瞬間。


(聞こえるか)


 冷ややかながら落ち着いた声が、頭の奥に響く。

 その声に、自然と背筋が伸びた。


(っ! 所長! ……何度経験しても、念話ってびっくりしますね)

(元気そうで何よりだ。さて、今日の状況を報告しなさい。学んだこと、気づいたことを、順序立てて述べよ)


 ……最初、呆れてなかった?


 所長に促され、わたしは今日の作業を振り返った。


 絵と品を照らし合わせる作業には慣れてきたが、それ以上の体系化に苦しんでいること。

 ただ羅列をまとめているだけのように感じ、手応えがないこと。


 一通り話し終えると、念話の向こうで短い沈黙が落ちる。



(……ふむ。君は答えを急ぎすぎているな)


 所長の声は冷徹ながらも核心を突いていた。


(在庫整理とは、並べ替えではない。流れを読み、必然性を見出し、未来に役立つ仕組みにすることだ。用途・使用者・補充頻度。三つの軸で分類せよ。それで羅列が体系へ変わる)


「用途、使用者、補充頻度……」


 わたしは筆を走らせ、書き留める。

 霧のような不安の中に、細い道筋が見えてきた気がした。


(分からぬことを恐れるな。分かるところから広げよ。理解の網は必ず繋がる)

(はい……所長)


 胸に重なっていたものが、ふっと軽くなった。

 そこで、ふとわたしは思い出したように顔を上げる。


(あっ、そういえば!)

(今度はどうした)


 倉庫を整理している時に見つけた黒曜石。

 アイナに渡した黒曜石というのが気になって、ずっとこれが引っかかっていた。


(今日、倉庫を見ていて箱の中に黒光りする石がありました。深い黒で、光の加減で紫がかって見えるような……表面はツルツルで、でも割れたところは鋭い感じでした。品名は黒曜石だったんですが……産地がトバルって……)



 しばしの沈黙、やがて所長の声が低く響く。


(……その特徴は黒曜石に合致するな)

(やっぱり黒曜石なんですね。でも、サンドレアムで採れるんですか?)


 わたしが学んだ限りでは、サンドレアム領では採掘していない。

 たしか、もっと西の地域が主な産地だったはずだ。


 しかし、鉱石の箱には産地にはサンドレアム領トバルとなっていたのだ。


(トバル南部には二つの鉱脈がある。ひとつは鉄や銅が採れ現役だが、もうひとつはすでに廃坑となり、打ち捨てられているはずだ……)


 ……廃坑ねぇ。じゃぁ、あの箱の中は結構、昔の鉱石も混じってるのね。


 わたしは小首を傾げたが、それ以上深く考えは及ばなかった。

 しかし、所長は違ったようだ。


(ルルーナ……でかした)


 その一言に、わたしの頬が一気に熱くなる。

 滅多に口にしない褒め言葉に、胸がいっぱいになった。


(っ……ありがとうございます!)


(今後も気を抜くな。倉庫の在庫だけでなく、どこから運ばれてきたのかにも注目せよ。それが在庫再構築の要だ)

(はい、必ず!)


(それと、明日は所用で念話ができるかはわからん。不測の事態ではないので、気にすることはない)


 念話が途切れ、夜の客室に再び静寂が戻る。


 わたしは帳簿を閉じ、そっと胸に手を当てる。

 少しずつでも、前に進んでいる。

 そう信じられる夜だった。




 ◇ ◆ ◇



 扉の隙間から差し込むわずかな朝の光は、かえって雑多な荷の影を濃くしていた。

 机の上に並べた木札と帳簿の数字は、どう並べ替えても噛み合わない。


「……また違う」


 ページをめくるたびに、欠けた数字や余った品が出てくる。


 一度整理したはずなのに、また崩れる。

 昨日の手応えが幻のように思えた。


「お嬢さま……」


 ロエナの声がする。

 だが答える余裕はなく、わたしは唇を噛みしめた。



 ……このままじゃ、間に合わない。


 そのとき、乾いた靴音が近づいた。

 アゼレアだ。

 琥珀色の瞳が、机上の木札とわたしを一瞥する。


「形だけ整えて悦に入るのは子供の遊びよ。……数字に命を与えなければ、役には立たない」


 冷たくも澄んだ声。

 心臓を鷲づかみにされるような言葉だった。


「夕刻までにひとつでも体系を示しなさい。できなければ、それまでのこと」


 わたしが顔を上げるより早く、アゼレアは背を翻した。

 残された空気は重く、吐く息すら詰まりそうだった。



 昼を過ぎても、帳簿と実物の齟齬は消えない。

 欠けた数字、用途のわからない品、重複した記録。

 混乱するたびに書き直し、木札を並べ替えるが、すぐに行き詰まる。


「はぁ……」


 前任者はどれだけ杜撰だったのだろう。

 目を通すたびに、齟齬が見つかる。

 間違いだらけの帳簿を前にため息が漏れ、わたしは机に突っ伏した。


「お嬢さま」


 ロエナがおずおずと一枚の紙を差し出した。

 そこには、拙い字で畑で使う、鍛冶場で使うと書かれている。


「俺たちも、使う場所なら覚えてます。字は下手ですけど……」

「そうだ。俺も、木材は大工に運んだ覚えがある」

「油は宿屋に回したな」


 使用人たちが次々と口を開く。


 わたしは目を見開き、慌てて木札に絵や印を描き込んだ。


「鍛冶場ならハンマー、畑なら稲の絵……これでどう?」

「あっ、これならわかります!」


 散らかった木札に少しずつ意味が宿る。

 線が繋がり、用途別の流れが形になっていく。


「……うん、見えてきた」


 昨日の所長の声が蘇る。


 ――「用途、使用者、補充頻度」


 わたしは震える手で、次の木札に印を刻んだ。


 小さな工夫でも形になる。

 その実感が、不安の闇にかすかな光を灯し、胸の奥が熱くなる。


 わたしは昼食も満足にとらず、ひたすら整理に励んだ。


 机の上には、絵や印のついた木札が用途ごとに並んでいる。

 午前に比べれば、明らかに整っていた。


 わたしは深呼吸をして、額の汗をぬぐった。


「……これなら」


 扉が軋む音が聞こえた。


 その音に背筋がこわばる。

 アゼレアが再び現れたのだ。


 琥珀色の瞳が、木札の列をすっとなぞる。


 沈黙が続く。

 心臓の鼓動が早くなり、耳に響く。


「朝よりは、形になってきたわね」


 短い言葉。

 少しは認められた――そう思った矢先。


「でも、まだ体系とは呼べない。数字と物が一致するだけでは駄目ね。誰が見ても、すぐに動かせる仕組みでなければ意味がない」


 期待を突き落とす冷たい声。


「三日目で仕上げなさい。それができなければ――そこで終わりよ」


 アゼレアは振り返らずに去っていった。


 倉庫に残されたのは、震える声だけだった。


「……まだ足りない」



 二日目の作業を終え、わたしは客室に戻る。


 客室の机に帳簿を広げても、文字は霞んで見える。

 指先に力が入らず、木札が一枚、ぱたりと落ちた。

 

 所長との念話も繋がらない。

 昨日、「明日は所用がある」と言われていたことを思い出す。


「……今日は、一人なんだ」


 不安が押し寄せる。


 ……もし失敗したら? 三日目が過ぎたら?


 震える手で必死に書き込みを続ける。


 用途の印、補充の順番。

 だが線はすぐに絡まり、頭が真っ白になる。


「……どうしたら」


 思わず声が漏れた。


 そのとき、机の端にそっと湯気の立つカップが置かれる。


「お嬢さま、少しお休みください」


 ロエナだった。

 心配そうに覗き込む目が温かい。


「でも……まだ、終わってないの」

「それでは駄目です! 本当に倒れてしまいます」


 叱っているのに、ロエナの声は優しかった。


 机に突っ伏したわたしの背を、静かに撫でる手。

 張り詰めた糸がほどけ、視界がにじんでいく。


 夜の帳が降りる中、ノートには震える字でいくつもの線が引かれていた。

 未完成のままの体系。

 けれど、その傍らには温もりが残っている。


「……ごめんね、ロエナ」


 小さく呟くと、徐々に瞼が重くなっていった。




 早朝。

 昨夜は疲れでぐっすり寝たせいか、頭がスッキリしている。


 ここのところ、緊張の連続でまともに眠れていなかったんだなと実感した。


 ……ロエナ、ありがとう。


 わたしは机に散らばった木札を見下ろし、深く深呼吸した。


 昨日は細かく分けすぎて、線が絡まってしまった。

 鍛冶場で使う、畑で使う、調理で使う――それぞれを必死に分類したせいで、かえって全体が見えなくなっていたのだ。


「……まずは大きくまとめよう」


 生産、加工、補修。

 大きな枠を先に作り、その下に枝分かれさせる。


 木札に描いた絵や印を入れ替えていくと、昨日のごちゃごちゃが少しずつほどけ、線がすっきり繋がっていった。


 昨日は細かさに囚われすぎた。

 大きな流れを掴む方が、大事なんだ。


「お嬢さま、昨日より見やすいです!」

「これなら俺たちでも一目でわかります」


 ロエナや使用人たちの声に、確かな手ごたえを感じる。

 昨日の絶望が嘘みたいに、少しずつ前へ進んでいる実感があった。


 気付けば、夢中で手を動かしていた。


 完了間際の昼前には、混乱が嘘のように整然としていた。

 机の上には、木札や紙片が用途ごとにまとめられ、簡単な印や絵で分類されている。


 流れを示す線も引かれ、誰が見てもどの物資が、どこで、どれくらい使われるかがわかる仕組みに整えられていた。


 わたしは最後の木札を置き、深呼吸をした。


「……これで、全部」


 在庫の木札と帳簿を整え終えたとき、倉庫に冷たい靴音が響いた。


 アゼレアがゆっくり歩み寄り、机上をじっと眺める。


 琥珀の瞳に光が揺れ、沈黙が長く続いた。

 その長い沈黙が、わたしの心臓をじりじりと締め付ける。


 ……大丈夫。きっと大丈夫。


 わたしの喉が渇き、手のひらに汗がにじむ。


「……ふん」


 小さな吐息が漏れた。

 冷徹に吊り上げられていた唇が、ほんのわずかに緩む。

 だがその表情はすぐにかき消え、いつもの氷の仮面に戻った。


「……よくやったわ」


 吐息のような声。


「形だけでなく、誰が見ても使える体系になっている……合格よ」


 強張った体から、力がどっと抜けるのがわかる。


「これからは、あなたが管理を任される。失敗すれば、責を問う。それでもやるのなら……背負いなさい」

「……はい」


 けれど、続けられた言葉は容赦なかった。


 わたしは小さな声しか出なかった。

 それでも頷く。


 遊びの課題ではなく、もう責務だ。

 その瞬間から、机に積まれた木札と帳簿は、ただの紙切れではなくなった。


 アゼレアが背を向ける。


「明日からは自分の目で確かめなさい」


 その扉が閉まる一瞬、琥珀の瞳が振り返った気がした。

 それは嘲りでも、怒りでもない。


 かすかな――わたしには読み切れない感情が宿っていた。







ここまで拙い文を読んでいただきありがとうございます!


「面白かったなぁ」

「続きはどうなるんだろう?」

「次も読みたい」

「つまらない」


と思いましたら

下部の☆☆☆☆☆から、作品への応援、評価をお願いいたします。


面白かったら星5つ。つまらなかったら星1つ。正直な気持ちでかまいません。

参考にし、作品に生かそうと思っております。


ブックマークで応援いただけると励みになります。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ